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万葉歌手、辻友子のブログへようこそ! http://tomoko.ciao.jp
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★ おわりにし けふというひは おわりにし

          


25日は終わりました。明日から新しい日・・・清き明き直き・・・心で

真っ直ぐ前を向いて、行くぞ~!!

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師走に入ると、焦っていた・・なんだか知らないけれど焦るのだ。

多分、周りの気にやられていたのだと思う。


今年も、残り後7日になった。大掃除も、進んでいない。

おせちも年々手薄になり、自分のペースを守るようになってきた。

そういうのを、別名我が儘、自分勝手とも言う。


九州男児の夫一人、娘二人、孫二人男児、犬1匹、近くに痴呆の母親・・・

みんなを、最優先し、生活していたら、私は歌は歌えない。

当たり前のこと。


でも、「歌う」・・・家政婦さんを雇うお金も無いけど・・・

だから、少しづつみんなにも協力や我慢をしてもらうよう説得した。

脱主婦宣言・脱母宣言もした。

しかし、家族を優先する生活習慣を中々抜け出せなくて苦労している。

プロデュサーも、腹を括ってやりなさいと怒られる。

当たり前ですよね。

家に居る暇が無いほど売れっ子になったら、みんな諦めるだろう

その日までがんばるぞ=








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何人もの人から、福岡教育大学を卒業した時点で、何故芸大の大学院を

受けなかったのかと聞かれる事が良くあった。今でもある。

私の大学は九州では、一番良い音楽科とされていた。ソルフェージュは

得意でクラス分けでは、芸大の作曲家の男の子と同じクラスだった。

私の大学の声楽の教授連は、福岡教育大学を出てから、芸大の大学院に

行き九州に戻り、大学の先生をするというパターンが多かった。

正直に言おう。先生方の歌は決して上手くなく、私は芸大の声楽科って

大したことがない・・・と、思っていた。その中で、部活の先輩でもあり

音楽科ではなく英語科の、勝部太さんと言う、バリトンの歌手は、芸大

の大学院を出て、留学し、二期会でも活躍していた。

実力があったのだろう。

同級生も「えっ、ともは芸大の大学院を受けると思ってた」と言われた。

更に、正直に言おう、私は、一応卒業演奏で、ピアノを選択した。

ラベルを弾いた。国立大学なので、卒論もあり、ラベルを研究???

した。今考えると冷や汗もんである。

声が出ると言われても、声楽自体に興味が持てなかった。

素晴らしいオペラ歌手や声楽家を聴いたことがなく、人の声の織りなす

綾である、合唱に魅かれていた。関屋晋先生と出逢ったからだと思う。

そこに、音楽の本質を見出していた。

親に大枚を出させて、東京の大学に行って、私はどうなるだろう・・・

と考えてしまった。立派な歌手になる気持ちはなく、ピアニストになる

自信もなかった。親にお金を無駄遣いさせたくない、と思い、どこで

勉強しても変わらないなどと、たかをくくって、それなら、地元の大学

と思って選択した。

ちょうど、時代は、マークシート方式になり、前例も無くみんな、

それぞれに悩んでいた。進学校でもあったので、音楽に進む

人も少なかった。

福岡を出ることも無いだろう・・と、考えていたので、わざわざ東京に

行ったら、神経的に強くない私は潰れてしまうとも思った。

でも、何故か、横浜に来る羽目になり、家庭を持ち、子どもを二人産み、

様々なことがあり、今の自分がある。まさか、横浜で、20年以上も

暮すなんて、しかも、歌手としてデビューするなんて・・・

人生は不思議なものである。

負け惜しみでも、泣き言でもない、

これから、自分がどう成長?していくのか、楽しみである。

「歌う」と、心に決めたのだから・・・・

しかし、東京では名も無い、私の大学は通用しづらく、厭な事も沢山

あった。けれど、今はどの立場でもみんな苦労しているんだと、思える。

一時期は、都会に馴染めず、気の強い人に馴染めず、苦労した。

その私が、舞台で人前で歌っている・・・

そして、幸せを感じている。大切にしたい。勉強したい。いい舞台を

作りたい・・・心からそう、思う。






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ぅわ~い■■■

アクセスが10000を越しましたぁ。

パンパカパ~ン 

なんとなく、励みになりますね。

みなさま、これからも読んで下さい!!

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今年最後の、寿町衣服支援でした。

寿町は、仕事がない人、働けない人、年を取っても行く所が無い人、

独りぼっちの人、少し知能が低めで世の中からはみ出てしまった人・・・

様々な人が集まり、寄り添って暮しています。


回数を重ねてきて、私たち「テラの会」、とりわけ代表は、覚えられて

きたようです。ニコニコしながら、自分に合った洋服を捜す人たち・・

ほんのちょっと、何かがずれて世の中からはみ出さざるを得なかった

人たち・・・若い人も二人居ました。

代表は、大将!とか、かしら!とか、呼ばれながら、一生懸命服を

手渡しています。

車椅子のおじいさんは、前からジャージのリクエストをされていて

「持って来ましたよ~」と言ったら、満面の笑みを浮かべていました。

あぁ、来てよかった。素直にそう思いました。

古着でも、まだまだ十分着られる服です。

こんなのゴミにしたら、罰が当たります。

全国、とりわけ北海道から、送られてきた沢山の衣類・・

大人の男もの中心に持って行きました。

「作業着ないかな~」「でも、仕事無いしなぁ」

「コートある?」「これ似合う?」「似合わねぇよ」

寿町に、みんなの明るい笑い声が響きます。

冬晴れの午後、たのしいひとときが、そこにはありました





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