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万葉集を、取り上げた理由は、
私自身が、
大和言葉に、心も精神も慰められたからだ。
日本最古の和歌集「万葉集」は、
別に、私が取り上げなくても、
凄い数の、研究者の方たち、また、市井の研究者の方々
など、いらっしゃる。
私は、私自身が感じたことしか表現できないし
伝えられない・・・
何度も読んでいると、しみじみとして
穏やかな気持ちになる。
その内容が、激しいものであっても
政治的策略に満ちていても
そのことばの、「流れる音」に
心、清められ、癒されてゆく・・・・
わたしにとって、万葉集とは
そういうものである。
そして、索漠とした、現代で、
一人でも多くの人の心の慰めと
なってもらいたい・・・そして、
男女の言葉が逆転したような
子供たちに、美しい言葉を
聞かせたい・・・・・・
そういう思いから活動している。
「言葉」は「理論」や「理屈」も作るが
「やさしい心」「穏やかな心」も作るのだ・・・
私自身が、
大和言葉に、心も精神も慰められたからだ。
日本最古の和歌集「万葉集」は、
別に、私が取り上げなくても、
凄い数の、研究者の方たち、また、市井の研究者の方々
など、いらっしゃる。
私は、私自身が感じたことしか表現できないし
伝えられない・・・
何度も読んでいると、しみじみとして
穏やかな気持ちになる。
その内容が、激しいものであっても
政治的策略に満ちていても
そのことばの、「流れる音」に
心、清められ、癒されてゆく・・・・
わたしにとって、万葉集とは
そういうものである。
そして、索漠とした、現代で、
一人でも多くの人の心の慰めと
なってもらいたい・・・そして、
男女の言葉が逆転したような
子供たちに、美しい言葉を
聞かせたい・・・・・・
そういう思いから活動している。
「言葉」は「理論」や「理屈」も作るが
「やさしい心」「穏やかな心」も作るのだ・・・
父は生前、癌とわかってから、
葬式は無宗教で密葬と何度も言っていた。
私は父の、思いを組んで、
宗教と言う形を成さない時期の
古神道で、密葬をやっていただいた。
空に上りゆくような、大きく大胆な榊の枝振りが
素晴らしかった。父も満足したことだろう・・・
天井ででも見ていただろうか・・・・
一時期は、京大時代に磯崎新さんと
並べて評価されていたほどの、
父の絵の才覚は、一生の中で、
大きく花開くことはできなかった。
家族を養うことをとったからである。
それでも、退職後最初は、水彩画から
と始めた絵は、さすがに評判が良く、
結構な数書き溜めたものを、
父の本拠地である福岡の天神の
懇意にしていた画廊で、
「父を偲ぶ会」と称して、
個展を開いた。最後の日には、
簡単なセレモニーをした。
多くの人が集まったくださり、
父を偲んでくださった。
みなで、黙祷をした・・・・
絵は、売ることにした。
なかなか評判が良くて、
殆ど売れてしまった。
プロの画家として成功したかったであろう
父・・・・喜んでくれたらうれしい。
父の好きな和歌・・・
願わくば 花の下にて 春死なん
その如月の 望月のころ 西行
その言葉通りに父は逝った。
仲間のみなが黙祷をしていたとき、
ふと、父の写真を見た。
うれしそうな様子であったと、勝手に思っている。
葬式は無宗教で密葬と何度も言っていた。
私は父の、思いを組んで、
宗教と言う形を成さない時期の
古神道で、密葬をやっていただいた。
空に上りゆくような、大きく大胆な榊の枝振りが
素晴らしかった。父も満足したことだろう・・・
天井ででも見ていただろうか・・・・
一時期は、京大時代に磯崎新さんと
並べて評価されていたほどの、
父の絵の才覚は、一生の中で、
大きく花開くことはできなかった。
家族を養うことをとったからである。
それでも、退職後最初は、水彩画から
と始めた絵は、さすがに評判が良く、
結構な数書き溜めたものを、
父の本拠地である福岡の天神の
懇意にしていた画廊で、
「父を偲ぶ会」と称して、
個展を開いた。最後の日には、
簡単なセレモニーをした。
多くの人が集まったくださり、
父を偲んでくださった。
みなで、黙祷をした・・・・
絵は、売ることにした。
なかなか評判が良くて、
殆ど売れてしまった。
プロの画家として成功したかったであろう
父・・・・喜んでくれたらうれしい。
父の好きな和歌・・・
願わくば 花の下にて 春死なん
その如月の 望月のころ 西行
その言葉通りに父は逝った。
仲間のみなが黙祷をしていたとき、
ふと、父の写真を見た。
うれしそうな様子であったと、勝手に思っている。
私は、看護婦さんを呼ぶボタンを押した。
夜間担当の看護婦さんは
「モルヒネを増やしてもよいですが、
たぶん、この量で限界です。
院長に聞いてきます。」
と言った。
その言葉の意味する所は、私も理解した。
看護婦が院長に聞きに行っている間も、
父は私を呼び続ける。
私は、「もうすぐ、看護婦さんが来て
薬を増やしてくれるから・・・」
「う~う~」と、うめき声を上げ続ける
父・・・・
父の頭の側に寄り,体をさすった。
意味が無いことはわかっていたけれど、
そうするよりほか思いつかない。
「おとうさん、おとうさん、」
父の手を握りしめた。
唇はひび割れ、痰も出せない。
顔面は異様な色になっていた。
切羽詰った私の口から、
思わずでた言葉は
「お父さん、お父さん、ありがとう。今まで育ててくれて
ありがとう。ありがとう。」
父は、一瞬、うめき声を止め、私を凝視した。
そして、まぶたを閉じ、スローモーションの映画のように
布団に沈み込んだ。
看護婦さんが、来た。
電話に出てくださいと言われ、
持ってこられた電話に出た。
よく覚えていないが
「今度増やしたら、意識不明になります。
よいですか?」
そのような意味の話をされた。
私は一瞬、逡巡したが、
「よろしくお願いします」と言った。
看護婦さんが点滴の量を増やした。
私は、両手を合わせて、震えながら
見守った。
涙が溢れてくる・・・・・
夜間担当の看護婦さんは
「モルヒネを増やしてもよいですが、
たぶん、この量で限界です。
院長に聞いてきます。」
と言った。
その言葉の意味する所は、私も理解した。
看護婦が院長に聞きに行っている間も、
父は私を呼び続ける。
私は、「もうすぐ、看護婦さんが来て
薬を増やしてくれるから・・・」
「う~う~」と、うめき声を上げ続ける
父・・・・
父の頭の側に寄り,体をさすった。
意味が無いことはわかっていたけれど、
そうするよりほか思いつかない。
「おとうさん、おとうさん、」
父の手を握りしめた。
唇はひび割れ、痰も出せない。
顔面は異様な色になっていた。
切羽詰った私の口から、
思わずでた言葉は
「お父さん、お父さん、ありがとう。今まで育ててくれて
ありがとう。ありがとう。」
父は、一瞬、うめき声を止め、私を凝視した。
そして、まぶたを閉じ、スローモーションの映画のように
布団に沈み込んだ。
看護婦さんが、来た。
電話に出てくださいと言われ、
持ってこられた電話に出た。
よく覚えていないが
「今度増やしたら、意識不明になります。
よいですか?」
そのような意味の話をされた。
私は一瞬、逡巡したが、
「よろしくお願いします」と言った。
看護婦さんが点滴の量を増やした。
私は、両手を合わせて、震えながら
見守った。
涙が溢れてくる・・・・・
こんな静かな夜更けには、
父が意識不明になった夜を思い出す。
肺腺小細胞癌、手遅れだった・・と言うか、
ただの気管支炎と間違えた医師のせいで
死んだのかもしれない・・・・
「ともこ、咳が止まらん」
「私もよ。肺炎になったの」
親子とは不思議な物である。父と同じ
胸に水が溜まった。
でも、父は肺腺小細胞癌だった。
非常に治癒しにくい癌の末期・・・
父は、痛まないようにしてくれればよいといった。
とても、冷静だった・・・腕組みをして、
それだけ言った。
医者は、長くても半年持つかどうか・・・・
弟と母が、もっとがんばってといった。
ビタミンCの治療からは、はかばかしい影響は見られない。
父は、ただ、苦しく痛いのを止めたいのだ。
入院する・・・と、父・・・
モルヒネを少しずつ打つ、だんだん、分からなくなり・・・
意識が混濁する。
「ともこ、痛いっていいようろうが。何で何もせんとか」
攻められてもこれ以上どうしようもない。
看護婦さんは30分毎に夜中に呼ばれても、もう、
院長指示で、モルヒネを増やすしかないのだ。
あるよ。モルヒネを打てば・・・・
「ともこ!」父が突然大きな声で「ともこ、どうにかならんのか」
痛いがのう・・・・」父の苦しみを見てきて、もう十分だと思った
父が意識不明になった夜を思い出す。
肺腺小細胞癌、手遅れだった・・と言うか、
ただの気管支炎と間違えた医師のせいで
死んだのかもしれない・・・・
「ともこ、咳が止まらん」
「私もよ。肺炎になったの」
親子とは不思議な物である。父と同じ
胸に水が溜まった。
でも、父は肺腺小細胞癌だった。
非常に治癒しにくい癌の末期・・・
父は、痛まないようにしてくれればよいといった。
とても、冷静だった・・・腕組みをして、
それだけ言った。
医者は、長くても半年持つかどうか・・・・
弟と母が、もっとがんばってといった。
ビタミンCの治療からは、はかばかしい影響は見られない。
父は、ただ、苦しく痛いのを止めたいのだ。
入院する・・・と、父・・・
モルヒネを少しずつ打つ、だんだん、分からなくなり・・・
意識が混濁する。
「ともこ、痛いっていいようろうが。何で何もせんとか」
攻められてもこれ以上どうしようもない。
看護婦さんは30分毎に夜中に呼ばれても、もう、
院長指示で、モルヒネを増やすしかないのだ。
あるよ。モルヒネを打てば・・・・
「ともこ!」父が突然大きな声で「ともこ、どうにかならんのか」
痛いがのう・・・・」父の苦しみを見てきて、もう十分だと思った