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ー誰もが押し寄せる所なら誰かが行く
誰も行かない所でこそ、我々は必要とされる -中村 哲
おこがましいことですが、
「国際ボランティア テラの会」は
中村さんのこの言葉と同感です。
東北大震災も、日本中どころか、世界中がこぞって
支援をし、今も続けています。
規模こそ、お話になりませんが、テラの会の衣服支援は、
「手渡し」が、基本理念です。
大きな場所に集まることが出来る難民孤児もいます。
悪い大人に働かされて、仕事をしている、難民孤児も居ます。
子供たちだけのグループで、ミサンガを売ったりして、
助け合いながら、生活している難民孤児もいます。
親が居ても、居なくても、あまりに貧しく物乞いをしている
難民もいます。
凄まじい数の難民や難民孤児たちを、生活状況の裏の裏まで
判断するのは、かなり難しいことです。
その中で、最も確実な方法が、私たち自身が出向いて、その人、
もしくは、その子が、たった今必要なものを、その人に合わせて
手渡し・・・と言うやり方だったのです。
中村哲医師は、1984年にパキスタンに渡り、ハンセン病棟に赴任し、
10年間、診療活動に従事。
1986年より、アフガニスタン難民への診療を本格的に開始。
1998年に、ペシャワールにパキスタン・アフガニスタン両国の
恒久的な拠点となる基地病院を建設
2000年 アフガン全土が大干ばつの被害を受けて、多くの難民が
流出。深刻な水不足が原因の赤痢患者他、感染症が
急増。医療活動と並行して、水源確保事業を開始。
この辺りから、医療だけでは、解決し得ない問題に携わり始めました。
中村哲医師のお話では、2010年にアフガニスタン・パキスタンで
大洪水が起こった際には、人口の半分が被災し、600万人が飢餓及び
餓死したと言う事です。
彼は、ここから、水源確保の為の用水路事業・自給自足させるために
緑の大地計画と、農業事業を展開して行ったのです。
それは、凄まじい事です。
そのような、活動のスクリーンを見ながら中村哲医師が語った、
印象的な言葉を、書いていきたいと思います。
続く