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★ 天を飛ぶような軽の地は、愛する妻の住む里・・ねんごろに、見たいのだけれど、
絶え間なく行くと人目につきすぎるし、何度も行くと、人の噂になってしまうので、
さね葛のようにからまりながら、また、逢いましょうと言って、大船をたのむような気持ちで、
玉のように輝く石に囲まれた淵のように、隠れ籠って恋慕っていたのですが、
空を渡って暮れていく太陽のように、照る月が雲間に隠れるように、
沖で靡く藻のように、靡き絡まりあった愛する妻は、黄葉のように、死んでいったと、
玉のような梓の杖を持った使者が来て言う・・・まるで、梓の弓の音を聞くように、
その知らせを聞いて、何と言えばよいのか、どうしたらよいのか、途方にくれて、
知らせだけ聞いてじっとしてはおられないので、恋する心の、千分の一でも、
慰められるだろうかと、愛する妻がいつも出ていた軽の地の市に、私も行って
立ち止まって耳をすますと、玉襷のかかるような畝火の山に、鳴く鳥の声も
聞こえず、玉ほこの道を行く人も、誰も妻に似た人もいなくて、しかたなく、
妻の名を呼び、袖を振ったことです。
巻2-207 柿本人麻呂
柿本人麻呂が、妻死りし後に、泣血ち、哀慟みて、作れる歌
かきのもとのひとまろが、つまみまかりしのちに、いさち、かなしみて、つくれるうた
と、あります。
万葉の歌を読む時、だれだれがだれだれに対して詠った歌・・・とは、
はっきりしないことがよくあります。
過去の人に言えない恋の話しを、ある宮廷の場で披露したり、
天皇の御心の代読であったり・・・
そういう事は、研究者の方にお任せして、あまりとらわれずに、
歌の根底に流れる恋の思いや、切なさ、その表現の美しさに
心を委ねたいと思います・・・・この歌も、そういう一首でしょう