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前回、有間皇子を取り上げてしまったので、やはりこの和歌も、載せておきます。
★ いえにあれば けにもるいいを くさまくら たびにしあれば しいのはにもる
★ 我が家にいるのならば、家の食器に盛って食べるご飯も、旅に出ているから
椎のはっぱに盛って食べるのだ
有間皇子(ありまのみこ) 巻2-142
この歌は、西暦658年11月9日に詠まれた歌です。
そして、この2日後、西暦658年11月11日に、有間皇子は殺されてしまう・・・
自分で首をくくったという形をとらされて・・・・
自分は殺されるのだという事が分かっていて、前回の歌と共に詠んだわけです。
辞世の句といえるでしょう・・・
そう思うと、この歌はあまりに悲しいですね・・・・
▲ 草枕・・・・旅の枕詞ですが、手枕に対して、要するに家では愛する妻の手枕で休める・・・
けれど、旅に出ると草を枕に寝る・・・という意らしいのですが・・・手枕というよりは
きっと、我が家では膝枕・・・ですよね
家にあれば 筍の盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
お友やん (2009年9月 1日 06:11) | コメント(0) | トラックバック(0)
前回、有間皇子を取り上げてしまったので、やはりこの和歌も、載せておきます。
★ いえにあれば けにもるいいを くさまくら たびにしあれば しいのはにもる
★ 我が家にいるのならば、家の食器に盛って食べるご飯も、旅に出ているから
椎のはっぱに盛って食べるのだ
有間皇子(ありまのみこ) 巻2-142
この歌は、西暦658年11月9日に詠まれた歌です。
そして、この2日後、西暦658年11月11日に、有間皇子は殺されてしまう・・・
自分で首をくくったという形をとらされて・・・・
自分は殺されるのだという事が分かっていて、前回の歌と共に詠んだわけです。
辞世の句といえるでしょう・・・
そう思うと、この歌はあまりに悲しいですね・・・・
▲ 草枕・・・・旅の枕詞ですが、手枕に対して、要するに家では愛する妻の手枕で休める・・・
けれど、旅に出ると草を枕に寝る・・・という意らしいのですが・・・手枕というよりは
きっと、我が家では膝枕・・・ですよね
白波の 浜松が枝の 手向け草 幾代までにか 年の経ぬらむ
お友やん (2009年9月 1日 05:27) | コメント(0) | トラックバック(0)
★ しらなみの はままつがえだの たむけぐさ いくよまでにか としのへぬらむ
★ 白波の押し寄せる海岸に生える松に、その枝に結んだ手向けの御幣は、
どれほどの歳月を経て来たのだろうか・・・・
川島皇子(かわしまのみこ) 巻1-34
この和歌を読むと、ある痛ましい事件を思い出します・・・・
■ 磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む
■ いわしろの はままつがえだを ひきむすび まさきくあらば またかへりみむ
■ 磐代の浜松の枝に、御幣を結んでおこう・・もし、幸いに無事であったなら、また戻ってきて
この松を見ることが出来るであろう・・・そうなってもらいたいものだ・・・
有間皇子(ありまのみこ) 巻2-141
前者の和歌は、690年に詠まれた物で、有間皇子事件は、658年・・・・
事件から32年しか経っていない訳です。
有間皇子は、中大兄皇子(なかのおおおえのおうじ)から、妬まれて、謀反を起こした罪で
自ら首をくくって死ぬ事を余儀なくされました。
自分から本当に謀反を起こしたわけではなく、そそのかされてしまったのです。
19歳でした。
これからという時に死ぬ事を強制されてこの世を去っていかねばならない無念・・・・
時代は残酷です・・・いつの時代も、人の嫉妬・妬みは、一番取り扱いがやっかいな情緒ですが、
この時代の天皇家では、それが死をも招いたわけです・・・
川島皇子の歌は、有間皇子が、浜の松に結んだ御幣のことを、偲んで詠んだ歌です・・・・・・