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立ちのぼる高貴な香りのするお香・・・・・・藤岡さんの歌声を日本語で表現するとしたら、
こういう感じでしょうか・・・・・以前、書いた事があるかもしれないけれど、バリでガムランを
聴きました。
凄まじい音量です。ところが、聴き終わったあと、とても気持ちがよいのです。
何故だろうか・・・・?私は疑問に思いました。
ある方から新聞の切り抜きを頂きました。
ガムランの音に何があるのか・・・・・
簡単に言うと、自然の中にあるような耳には聞こえてこない音色の揺れがあるというのです。
私たちは耳だけで音を聞いていると思いがちですが、実は違います。
身体の皮膚を伝って全身で微妙で繊細な音色の揺れを感じているのです。
何が良いのか良くわからないけれど、何だか気持ちいいというのは、身体がその揺れを
好ましく思ったのです。
特に都会で生活する人間はそれを失いがちです。
何故なら、都会は人の手で作られた物ばかりであり、それを超えないのです。
人間が自然を超える事などありはしません。
太陽が何秒地球を照らさなかったら、氷河期になるのか、専門家ではないので知りませんが、
直下型地震が来たら、どんなに堅牢に作られた建物も壊れます。
地盤が無くなる訳ですから、その上がいかに立派であろうとひとたまりもありません。
そういう人間にとって怖い自然もありますが、殆どは人間を守り、恵みを与えてくれのも
自然です。
暑い太陽の下、木陰で一休みして、そよそよと頬を撫でていくそよ風の気持ちよさ
川の水の冷たさ・・・花の香り・・・美しい色・・・どれほど、私たちの心を慰めてくれるでしょか・・・
都会のクーラーとは、質が全く違いますよね・・・・
で、何を伝えたいのかと言うと・・・・
藤岡さんの歌声にはそれに近しい音色の揺れを感じたのです。
包まれるようなそして何だか気持ちのよい音色・・・・何かずっと遠くから伝わってくるような音色
とても、懐かしく、そして、とても切ない・・・・たとえようのない音色・・・・・
それが、藤岡宣男の歌声でした。
★ 籠もよ み籠持ち ふ串もよ みぶ串持ち
この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね
そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ
しきなべて われこそ座せ
われこそは 告らめ 家をも名をも 雄略天皇 (巻1-1)
★ こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち
このおかに なつますこ いえきかな なのらさね
そらみつ やまとのくには おしなべて われこそおれ
しきなべて われこそませ
われこそは のらめ いえをもなをも ゆううりゃくてんのう
★ 籠を持っているね いい籠ですね 菜を摘む鎌も持っているね いい鎌を持ってますね
この丘に来て、若菜を摘んでいるお嬢さん、 どちらの家の人ですか、名前は何と言うんですか?
大和の国は 全て 私が治めています
どこもかかしこも 私が居る所です
私は言いますよ、家も名も・・・・・ 雄略天皇
これは、プロポーズの歌です。
万葉集の一番最初に記してあります。
万葉の特徴がとても良く表れていると思います。
まず、躍動するリズム感が感じられます。
非常に直情的であり、雄雄しい感じがします。
ますらお・・・とはこういうものではないのでしょうか・・・・・
繰り返しが多いところも、万葉ですね・・・繰り返す事で 気持ちが高まっていく・・・・
まず、自分の気持ちを表す、そして、率直にプロポーズ・・・・・
これが、プロポーズ??って、思われるかもしれませんが、あの時代は、殿方に、名前を
明かすというのは、プロポーズを受けると言う事なんです。
何か今の時代では信じられない感覚ですよね・・・・・・
雄略天皇という名前からも、又、お家柄は天皇家ですから、自信満々なのは
当たり前かもしれないけれど・・・・・・男らしくてステキ
今時の男性諸君、頑張ってくださいね
当初、藤岡宣男さんは、私ともうお一方の男性
(その方も私と同じ「心の唄」のコンサートで弟子入りされたそうです)
二人が、初の弟子でした。
その男性は諸事情により途中で、レッスンをお止めになりました。
レッスンは5時間にも及ぶ事がたびたびありました。
帰りに車で藤岡さんを事務所にお送りしながら、
「あっという間に時間が経ってしまったね」
と、いわれ、凄く疲れさせてしまったかもと、気にしていた私は、
その言葉を聞き、心の中でほっとしていました。
とても、楽しく充実した時間でした。
なぜなら、音楽を教える立場と教わる立場がはっきりとしていて、
藤岡さんが極めて純粋に音楽に立ち向かっていたからであり、
それに安心した私がひたすら学び取る事に純粋に向かう事が出来たからだと思います。
それまでの先生のレッスンは、音楽以外のことに物凄く神経を使い、
その事で疲労困憊し歌の方に支障が出る事もありました。
★ いもがため たまをひろふと きのくにの ゆらのみさきに このひくらしつ
よみびとしらず
★ 妻の為に、美しい丸い石の玉を拾おうと
紀の国の由良の岬で今日一日を費やしてしまったことだ
詠み人しらず
娘とTUTAYAで「おくりびと」をレンタルして見ました。
チェリストの男性がオーケストラを首になり、故郷に帰り、
葬儀屋の注文で働く遺体納棺の仕事をする映画です。
その中で、「玉文」の話が出ていました。
自分の気持ちを一番表している石を拾って、相手に差し上げる・・・・玉の文・・・・
なんてステキな雅の世界でしょうか・・・・
玉・・・石を歌った歌を読みびと知らずで、後一句
★ 信濃なる 千曲の川の 細石も 君し踏みてば 玉と拾はむ
★ しなのなる ちくまのかわの さざれいしも きみしふみてば たまとひろはむ
★ 信濃の千曲川の小石も、あなたが踏んだと思えば たま(相手の心)と思って拾います
彼氏が着捨てて行ったTシャツを身に着けて、相手の香りをいとおしく感じたりする・・・
ありますよね・・・・そういう経験・・・恋をした人なら・・・・
★ いはまろに われものもうす なつやせに よしといふものそ うなぎとりめせ
おおとものやかもち 巻16-3853
★ 石麻呂さん、あなたに私は言うことがあります。あなたは大層、夏痩せしていますね。
夏痩には鰻が一番ですよ・・・鰻を、おあがんなさいな
大伴家持
これには、おかしい一句が、続きます。
★ 痩す痩すも 生けらばならむを はたやはた 鰻を漁ると 川に流るな
大伴家持 巻16-3854
★ やすやすも いけらばあらむ はたやはた うなぎをとると かわにながるな
★ 痩せてしまっていても 生きているならまだ 良いけれど、鰻を捕ろうとして
川でおぼれてしまって流されては、いけませんよ
万葉集では説明に、
・その老、人となり、 身体いたくやせたり、 多く喫ひ飲めども、 形 飢饉ゑたるがごとし
と、あります。
・その老人は 人である。 身体は見るも無残に痩せていて、沢山食べるのだけれど、見た目は
まるで飢えて死にそうな人間のようだ・・・・・ですって・・・・
随分と酷い事を家持さんもおっしゃいますね。
多分、江戸時代でいえば家老とか、そういう大伴家持の側で信頼関係のあるご老人なのでしょうか・・・
このようなことを言ってもさっと水に流せる、人間のできたご老人なのでしょう・・・・
人生を重ねるとは、こういう余裕だと思いますが、昨今は・・・・というと、こんなこと言ったら
大変そうですよね・・・・・現代の人間の信頼関係とは少し質が違うのかもしれません。
心がひ弱になっていますからね・・・・現代は・・・・このぐらいさっと水に流せる器が欲しいもんです