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よく、辻さんにとって歌うことはどういうことですか?と、聞かれます。
「歌う」ことは「生きる」ことです、と、即答すると、少しびっくりされます。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、実際的な話をしたいと思います。「歌う」という行為は
体と密接に繋がっています・・・というより、体が楽器そのものです。
体から、声は解き放たれます・・・これは、プロだからとかアマダからという話ではないのです。
当たり前のことなのです。
日頃から歌わない人が歌っても、声はその人の体を通して、周りに伝わっていきます。
その人のその時の年齢・心・・・もっと言えば人生が反映されます。
顔や体は人生の癖や、特徴があらわれます。いくら隠しても、出てしまうのです。
だから、自分が出したい声は、その生き方で決まると言っても、過言ではないのです。
体を整える事は、心を整える事であり、人生を整える事です。
そのように歌ってしまうのです。
だから、歌うことが生きることだというのは、何も大袈裟な表現でもなんでもないのです。
★ おおともの みつのはまにある わすれがい いえにあるいもを わすれておもへや
★ 大伴の御津の浜辺にある忘れ貝よ・・・恋を忘れると伝えられているけれど、
家に居る妻の事を忘れる事があろうか・・・そんなことは、全くない・・・
巻1-68
★ 草枕 旅行く君と 知らませば 岸の埴生に にほはさましを
★ くさまくら たびいくきみと しらませば きしのはにふを にほはさましを
★ 草を枕として旅寝をするあなたと、知っておりましたら この岸の黄土で、
あなたをお包みもうしあげましたのに・・・・
巻1-69
草を枕に対して、黄土は妻の居る土地の土の事・・草を枕にするにぐらいなら、私のいる
この場所の土で彩ってあげたい・・・という思いですね・・・
旅して、愛する妻と離れ離れになってしまう・・・・これが、最も辛い事です・・
でも、だからこそ、万葉の人は深く自分の思いについて考える力を持っていたのでしょう。
考えることなく、あらゆる情報が飛び込んでくる現代は、
日本人が本来持つ素晴らしい心性を、駄目にしてしまっているのかもしれませんね。