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万葉歌手、辻友子のブログへようこそ! http://tomoko.ciao.jp
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とある作家の方に

「辻さんは、何故万葉なの?古今とか新古今とかのほうが、みんな馴染みやすいんじゃない?」

と、質問されました。


なぜ、万葉なのか・・・・?

私なりの考えを述べたいと思います。


第2次世界大戦当時、学徒出陣の青年たちが、愛する家族や恋人と別れて、戦場に赴きました。

そして、多くの若者が戦争のためにお亡くなりになりました。

祖国に帰された遺骨と共に、遺品の中で一番数多く、とある書物がありました。

その書物の名は・・・「万葉集」・・・でした。


戦場から送る手紙は検文されます。恋人への恋しい想いや、戦場での辛い思いなど、検文に

ひっかかる内容を書くことが出来ません。

彼らは、日本人のあらゆる心性が歌われている万葉集の中の恋の歌や、防人の歌、

天皇陛下への歌・・・・の中から、


巻2-203を読んで下さい。今の僕の気持ちです。。。。などと、書いて

送ったそうです。


死と隣り合わせの戦場で考えた様々なこと・・人生の事・恋人の事・家族の事・友人の事・・・・

そして、母国、日本の事・・・あらゆる気持ちを、表していたのが、日本で最古の和歌集「万葉集」

だったのです。


1300年も前の日本人の心と、20世紀の日本人の心はなんら変わる事がないのです。

民族の心は脈々と、歌を通しても、変わることなく流れ続けているのです。


今の日本が、日本人が、取り戻したくてどうしてよいのかわからずにいる大和心・・・この大和心を

私は私が出来うる・・歌・・・を、通して伝えていきたいと、強く思いました。


万葉の心、万葉の自然、万葉の死生観、万葉の恋・・・それは、深い包容力に満ちています。

万葉和歌を楽しむ方法は様々だと思います。

私は私なりの方法で、皆様に万葉びとの心をお伝えできたら、願っております。

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★ もみぢばの ちりゆくなへに たまづさの つかひをみれば あひしひおもほゆ

★ 黄葉が散りゆく景色とともに、死を告げる使者の訪れを受け取ると、妻と逢った日が思われて

  なりません・・・・

                                              巻2-209  柿本人麻呂

巻2-208と共に、長歌に添えられた短歌2首です。

1首目は、妻の死を受け入れる事が出来ない自分の苦悩・・・そして、この2首目は、

黄葉(もみぢ)の散り行く景色に心を映しながら、妻の死を受け入れていく心の様子が歌われています。

心象風景は自然のさまにそのまま、投影されていきます・・・・・

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★ うつせみと 思ひし時に たづさへて わが二人見し 走出の 堤に立てる 槻の木の 

  こちごちの枝の 春の葉の 茂きが如く 思へりし 妹にはあれど たのめりし 児らにはあれど

  世の中を 背きし得ねば かぎろひの 燃ゆる荒野に 白栲の 天領巾隠り 鳥じもの

  朝立ちいまして 入日なす 隠りにしかば 吾妹子が 形見に置ける みどり児の 乞ひ泣くごとに
 
  取り与ふ 物し無ければ 男じもの 脇はさみ持ち 吾妹子と 二人わが宿し 枕つく 

  嬬屋の内に 昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明し 嘆けども むせすべ知らに 

  恋ふれども 逢ふ因を無み 大鳥の 羽易の山に わが恋ふる 妹は座すと 人の言へば

  石根さくみて なづみ来し 吉けくもそなき うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる 

  ほのかにだにも 見えぬ思へば


★ うつせみと おもひしときに たづさへて わがふたりみし はしりでの つつみにたてる

  つきのきの こちごちのえの はるのはの しげきがごとく おもへりし いもにはあれど

  たのめりし こらにはあれど よのなかを そむきしえねば かぎろひの もゆるあらのに

  しろたへの あまひれがくり とりじもの あさたちいまして いりひなす かくりにしかば

  わぎもこが かたみにおける みどりごの こひなくごとに とりあたふ ものしなければ

  をとこじもの わきはさみもち わぎもこと ふたりわがねし まくらつく つまやのうちに

  ひるはも うらさびくらし よるはも いきづきあかし なげけども せむすべしらに

  こふれども あふよしをなみ おほとりの はがひのやまに わがこふる いもはいますと

  ひとのいへば いはねさくみて なづみこし よけくもそなき うつせみと おもひしいもが

  たまかぎる ほのかにだにも みえぬおもへば

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★ あきやまの もみぢしげみ まとひぬる いもをもとめむ やまぢしらずも

★ 秋山の黄葉が繁っているので、道に迷っている妻を探そうとしても、山道を知らないことです

                                         巻2-208  柿本人麻呂


 古代、人が亡くなると、しばらくは山に留まる、山に帰る、雲に隠れるなどと、言われていました。

 人は亡くなると自然に帰る・・と、考えられていたからです。

 人そのものは、自然の一部ですから、

 母なる自然に帰るという発想は、当たり前の事だと思います。

 
 妻の死をまだ受け入れられない・・・・でも、どうする事も出来ないわが身のふがいなさ・・・・

 癒されない心の悲しみが伝わってきます。


 

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★ 天を飛ぶような軽の地は、愛する妻の住む里・・ねんごろに、見たいのだけれど、

  絶え間なく行くと人目につきすぎるし、何度も行くと、人の噂になってしまうので、

  さね葛のようにからまりながら、また、逢いましょうと言って、大船をたのむような気持ちで、

  玉のように輝く石に囲まれた淵のように、隠れ籠って恋慕っていたのですが、

  空を渡って暮れていく太陽のように、照る月が雲間に隠れるように、

  沖で靡く藻のように、靡き絡まりあった愛する妻は、黄葉のように、死んでいったと、

  玉のような梓の杖を持った使者が来て言う・・・まるで、梓の弓の音を聞くように、

  その知らせを聞いて、何と言えばよいのか、どうしたらよいのか、途方にくれて、

  知らせだけ聞いてじっとしてはおられないので、恋する心の、千分の一でも、

  慰められるだろうかと、愛する妻がいつも出ていた軽の地の市に、私も行って

  立ち止まって耳をすますと、玉襷のかかるような畝火の山に、鳴く鳥の声も

  聞こえず、玉ほこの道を行く人も、誰も妻に似た人もいなくて、しかたなく、

  妻の名を呼び、袖を振ったことです。

                                巻2-207  柿本人麻呂

  柿本人麻呂が、妻死りし後に、泣血ち、哀慟みて、作れる歌

  かきのもとのひとまろが、つまみまかりしのちに、いさち、かなしみて、つくれるうた

  と、あります。

  万葉の歌を読む時、だれだれがだれだれに対して詠った歌・・・とは、

  はっきりしないことがよくあります。

  過去の人に言えない恋の話しを、ある宮廷の場で披露したり、

  天皇の御心の代読であったり・・・

  そういう事は、研究者の方にお任せして、あまりとらわれずに、

  歌の根底に流れる恋の思いや、切なさ、その表現の美しさに

  心を委ねたいと思います・・・・この歌も、そういう一首でしょう

  
  

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