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私は、テラの会の理事として、倉庫の管理と、留守の間の事務所の管理と
年に2回、東南アジアの戦没者追悼慰霊と、衣服支援の活動に参加をさ
せて貰っております。本当は、もっと行きたいのですが、経済的な理由
と、女性は邪魔になるだろうと思うので控えております。
私は私のできる事を、なるべく人に迷惑をかけないようにやっているつも
りですが、実は、迷惑をかけないということはありえません。良い言葉ば
で言えば、助け合い補い合って居るのだと思います。
それぞれに、気を使い、その根底に思いやりと優しさがあれば、ほどなく
ことはそれなりに上手く進みます。
私は、「万葉歌手 辻 友子」のほかに、一主婦でもありますが、
もしこれを読んだ方で、わたしなんかにできないわ・・とお思いになられ
るかたも多くあるでしょう。難しく考えないでください。
今度、旅行に行く時に、自分のもののほかに行く国の季節に合わせた
衣類を持っていけば良いのです。そして、チャンスを見計らって、
お渡しすれば良いのです。日本にも寿町や山谷などの地域がありますが
比較に成りません。幸い、アジアの首都の立派なリーゾートホテルの
近くには、視点をちょっと変えれば、親もいなくて子どもだけで生活
している子等や、子どもが小さくて物乞いしているお母さんなど
すぐ見つかります。勇気を出して、日本から来ました。よかったら
使いませんか?と心から話しかければ、英語がろくに話せなくても
通じるものです。
年に2回、東南アジアの戦没者追悼慰霊と、衣服支援の活動に参加をさ
せて貰っております。本当は、もっと行きたいのですが、経済的な理由
と、女性は邪魔になるだろうと思うので控えております。
私は私のできる事を、なるべく人に迷惑をかけないようにやっているつも
りですが、実は、迷惑をかけないということはありえません。良い言葉ば
で言えば、助け合い補い合って居るのだと思います。
それぞれに、気を使い、その根底に思いやりと優しさがあれば、ほどなく
ことはそれなりに上手く進みます。
私は、「万葉歌手 辻 友子」のほかに、一主婦でもありますが、
もしこれを読んだ方で、わたしなんかにできないわ・・とお思いになられ
るかたも多くあるでしょう。難しく考えないでください。
今度、旅行に行く時に、自分のもののほかに行く国の季節に合わせた
衣類を持っていけば良いのです。そして、チャンスを見計らって、
お渡しすれば良いのです。日本にも寿町や山谷などの地域がありますが
比較に成りません。幸い、アジアの首都の立派なリーゾートホテルの
近くには、視点をちょっと変えれば、親もいなくて子どもだけで生活
している子等や、子どもが小さくて物乞いしているお母さんなど
すぐ見つかります。勇気を出して、日本から来ました。よかったら
使いませんか?と心から話しかければ、英語がろくに話せなくても
通じるものです。
盗賊がでて、その上、首を切り落とされるという林に我々が
訪ねる事が出来たのは、「最後の日本兵 中野さん」と言う事で
有名になってしまった中野さんのご子息(前回はこの方が案内をして
くださいました)のお嫁さんのミャンマーのカレン族(NGOの方)
と、その息子さんが案内をしてくださったおかげです。お嫁さんは
英語も非常に美しく他にタイ語・カレン語・・・と5言語話せる聡明な
方です。
テラの会はいつも思うのですが、
不思議で自然なご縁で、導かれていきます。些細なようで、非常に大切な
ことが・・・・何故なら、我々だけでは道順も分からない、
孤児院や難民の集落も分からない・・・
だから、ある意味奇跡なのです。手のひらから
砂を出す奇跡とはぜんぜん違いますが・・・・・
お蔭で、一日の内に、いくつもの、難民の集落や孤児院、病院、そして
中野さんのお宅でお参りまでさせていただけて光栄でした。
本当に、ありがたいことです。
中野さんのお孫さんが、ずっと運転をしてくださったのですが、
御礼にタイバーツをお渡しいたしました所、お金より日本のTシャツが
欲しいとおっしゃられた事が印象的でした。日本製品は未だに
確かな信頼があるのです。
土色の川を渡って、タイに不法入国した、ミャンマー難民の方々、子ども
たち、無国籍のまま林にで暮して居る人々多くの子どもたち・・・
お嫁さんのお話では、まだまだ沢山、難民の子どもたちが居るということ
でした。持てるだけ持ってきた衣類、テラの会支部になってくださった
Hさんのお宅に前もって船便で送っておいた衣類の箱・・・・
まだまだ、足りません。嗚呼~日本に帰れば、山のようにあるのに
と、つい思ってしまいます。
土色の川は、晴れ渡った空とは対照的に不気味でした。
はっぱの屋根の家・・・豚小屋の跡と思われる学校・・・病院・・
行って見なければ、わからないことだらけでした。
訪ねる事が出来たのは、「最後の日本兵 中野さん」と言う事で
有名になってしまった中野さんのご子息(前回はこの方が案内をして
くださいました)のお嫁さんのミャンマーのカレン族(NGOの方)
と、その息子さんが案内をしてくださったおかげです。お嫁さんは
英語も非常に美しく他にタイ語・カレン語・・・と5言語話せる聡明な
方です。
テラの会はいつも思うのですが、
不思議で自然なご縁で、導かれていきます。些細なようで、非常に大切な
ことが・・・・何故なら、我々だけでは道順も分からない、
孤児院や難民の集落も分からない・・・
だから、ある意味奇跡なのです。手のひらから
砂を出す奇跡とはぜんぜん違いますが・・・・・
お蔭で、一日の内に、いくつもの、難民の集落や孤児院、病院、そして
中野さんのお宅でお参りまでさせていただけて光栄でした。
本当に、ありがたいことです。
中野さんのお孫さんが、ずっと運転をしてくださったのですが、
御礼にタイバーツをお渡しいたしました所、お金より日本のTシャツが
欲しいとおっしゃられた事が印象的でした。日本製品は未だに
確かな信頼があるのです。
土色の川を渡って、タイに不法入国した、ミャンマー難民の方々、子ども
たち、無国籍のまま林にで暮して居る人々多くの子どもたち・・・
お嫁さんのお話では、まだまだ沢山、難民の子どもたちが居るということ
でした。持てるだけ持ってきた衣類、テラの会支部になってくださった
Hさんのお宅に前もって船便で送っておいた衣類の箱・・・・
まだまだ、足りません。嗚呼~日本に帰れば、山のようにあるのに
と、つい思ってしまいます。
土色の川は、晴れ渡った空とは対照的に不気味でした。
はっぱの屋根の家・・・豚小屋の跡と思われる学校・・・病院・・
行って見なければ、わからないことだらけでした。