[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
★ いにしえに こふらむとりは ほととぎす けだしやなきし わがおもへるごと
★ 遠い過去を慕って飛ぶ鳥は ほととぎすですね。もしかしたら、鳴いたかもしれません。
私がこうして昔を偲んでいるように・・・・・
額田王(ぬかたのおおきみ) 巻2-113
注:この前に、やはり載せています「ほととぎす」に、例えて詠まれる歌は、
大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)でした。記入忘れ致しました。
さて、この和歌は、あの謎多き美女、額田王の歌です。
以前にも少し・・疑問を投げかけた弓削皇子(ゆげのみこ)から、贈られた
★ いにしへに 恋ふる鳥かも 弓絃葉の 御井の上より 鳴き渡り行く
★ いにしへに こふるとりかも ゆづるはの みいのうえより なきわたりゆく
巻2-112
★ 遠い昔をなつがしがる鳥なのでしょう・・弓絃葉の泉の上を鳴き渡っていく鳥は・・・・・
弓削皇子が、昔を偲んで、額田王に贈った和歌です。
やはり、二人は恋仲であった・・・・忘れられない・・・・・♪年上の女(ひと)♪・・・ですね。
ほととぎすは中国の故事から、「昔を懐かしがる悲しみの鳥」と言われているところから、
例えたのでしょう。
■ あなたも、僕と同じように、昔の事を切なく思い出しているのかなぁ・・・・
■ 鳴いている鳥は、ほととぎすですね・・・・私が昔を偲んでおりますように・・・・・
この(ふみ)を交換し合うのに、どれほどの時間が必要だったのでしょうか
・・・・・本当に・・・ゆったりと・・時が流れていくのでしょうね・・・万葉の時代は・・・
★ はるすぎて なつきたるらし しろたへの ころもほしたり あめのかぐやま
★ 春が過ぎて 夏になった 白い衣を乾している 天の香具山よ
持統天皇 巻1-28
遠い山に、白い衣を乾しているのが、見えるのか・・・ちょっと疑問・・・・
衣を乾しているように見える夏の入道雲かもしれないし・・・持統天皇は女性だから
季節の衣替えの事を言って、夏の象徴として、天の香具山と歌っているのかもしれない・・・・
とかなんとか・・色々と考えてみると、百人一首にのっているというだけでなく、時代性とかも
考慮にいれないと・・・と膨らみすぎるので・・・この辺で・・・
ちなみに、
百人一首では、
★ 春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣乾すてふ 天の香具山
★ はるすぎて なつきにけらし しろたへの ころもほすてふ あまのかぐやま
と、柔らかくなっています。
まぁ、好き嫌いという事でしょうか・・・・
お世話になっている方が、ご自分のライフワークとして、戦没者の追悼慰霊をなさっています。
お坊さんでも、神主さんでも、新興宗教の教祖でも、司祭でも牧師でもありません。
ただ、宗教の事は物凄くよく勉強しておられるようです。
クリスチャンでも有り、一時期は神学校に行っておられましたが、止めて、その後、
ありとあらゆる宗教を勉強して、今に至り、
「神仏は妄想である」という、ちょっと過激なエッセイもお書きになっておられます。
大切な人を亡くした経験が若い時から多くて、
その方たちを追悼される内に、
自然と戦没者への追悼慰霊に思いがつながったようです。
最初はそういう活動に私は違和感を禁じ得ませんでした。
音楽活動にはあまり関係ないし、しかも、宗教ですか?という、趣旨の良くわからない質問を
されて、変な誤解を受ける事もしばしばでした。
ただ、少し考えてみたのです。
私はよく信仰的と言われるけれど、何かの宗教団体には属した事はありません。
もし、本当にこの世で言う、神様のような人がいたら、
今ある様々な宗教団体を作るだろうか?立派な建物を作るだろうか?
お金をお布施としてかき集めるだろうか?
全部、変、おかしい?
自分より先に人のことを考え人の為に尽くすような人がなんだか立派なお洋服を着て、
手を振ってみたり・・・・何か違うのではないかと、少し宗教の事を学んだ私は気づき始めました。
果たして、宗教って一体何?
それは、歴史的に見ると、多くは、時の為政者たちが、宗教と結びき人々を治めるために
使われるものでした。そして、その行為は、実際の信仰の内容とはかけ離れたものであっても、
その時々で都合よく解釈されて利用されました。
私は、宗教音楽が好きでしたし、教会で宗教曲のコンサートをしていましたが、
なぜかとうとう、クリスチャンにもなりませんでした。
家は浄土宗ですが、適当なものです。
お知り合いの方が、追悼慰霊なさるときに、衣服をたまたま渡したら、大変喜んでくださいました。
私は、大量消費経済の頃、捨てる事をためらってはいけないという世の風潮に、中々準ずる事が
出来ず、勿体ないが先に立っていました。
今の日本では回りの方に、古着を渡したら失礼かしらとか・・凄く気を使います。
かといって、NPO法人もきちんとしているところと、そうでないところもあります。
日本側はきちんとしても、送られた先が、売ってお金にするとか、色々あるようだとも聞きました。
今お手伝いさせていただいている所は、直接、持って行って一ヶ月に一回、手渡しをする・・・・のです。
それは、大海の一滴にもなりませんが、お隣の家が、お隣の国になったと思うのです。
そう、私はその行為を通じて心を伝えているんだと思うようになりました。
喜んで頂く様子をみてると、私もその笑顔に励まされます。
そして、彼らの過酷な現実を目の当たりにして、日本の豊かさは一体どこからくるのか・・・
と思います。 わが身を振り返ると、恥ずかしい気持ちにさえなりました。
同じアジア人である日本人とは、生活のレベルがあまりにかけ離れているのです。
これは、政治の問題なので、そこまで個人的なことは関われませんが、
少なくとも、何も知らなかった私は、行く度に、謙虚な気持ちになっていきました。
そして、「困っている人がいたら、助けましょう」と、当たり前に教えられてきた事を、
実行できる場が与えられ、嬉しく楽しい気持ちです。
私は無宗教です。
とうとう、どちらの神様からもお呼びがかかりませんでした。
信仰と言うのは極めて個人的なもので、集団に属するものではありません。
集団と個人は別の生き物です。
どこかで、宗教は極めて個人的な情緒である、と書かれていました。
そうだ!個人的情緒なのだから、何かの宗教団体に属する必要はないのだと
今では思っています。
祈っても祈っても、空からパンも服も降ってきません。
昔の農民のように・・・おてんとさまを仰いでパンパンと拍手を打つぐらいでしょうか・・・・
そっか・・・・私の神様は・・・・おてんとさまかな??
今は草の根のような活動ですが、それでもお知り合いの方や全国から、衣類が送られてきて
嬉しい悲鳴を上げています。
確実に手渡し致しますから、もしこれをお読みになった方が、お送りしたいと思われましたら、
是非ご連絡ください。
今のところ女性物は山のようにあるのですが、ベビー服・男児服が圧倒的に足りません。
しみなどが付いていても、まだ着用出来るのであれば、是非送ってくださいね。
一枚きりの人がたくさんいらっしゃいます。
私は年に2回、付いて行かせて貰っておりますが、スタッフは、ほぼ月一回行っております。
連絡先 045-824-1812 です。
★ 玉襷 畝火の山の 橿原の 日知の御代ゆ 生れましし 神のことごと
つがの木の いやつぎつぎに 天の下 知らしめししを 天にみつ 大和を置きて
あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天離る 夷にはあれど
石走る 淡海の国の 楽浪の 大津の宮に
天の下 知らしめしけむ 天皇の
神の尊の大宮は 此処と聞けども 大殿は 此処と言へども
春草の 繁く生ひたる 霞立ち 春日の霧れる
ももしきの 大宮処 見れば悲しも
★ たまだすき うねびのやまの かしはらの ひじりのみよゆ あれましし かみのことごと
つがのきの いやつぎつぎに あめのした しらしめししを そらにみつ やまとをおきて
あをによし ならやまをこえ いかさまに おもほしめせか あまざかる ひなにはあれど
いはばしる あふみのくにの ささなみの おおつのみやに
あめのした しらしめしけむ すめろきの
かみのみことの おおみやは ここときけども おおとのは ここといへども
はるくさの しげくおひたる かすみたち はるひのきれる
ももしきの おおみやどころ みればかなしも
★ うつくしい襷をかけたような畝火の山の 初代天皇の時、橿原を都と定めた時より
ずっと、お生まれになりつづけた現人神の全てが、 栂の木のように
次々と天下を統治なさったのですが、天に満ちる大和を置いて、 青丹よき奈良山を越え
どのようなご配慮からか、天道遥かな田舎ではあるが、岩清水のほとばしる近江の国の
楽浪の地の大津の宮に 天下をお治めになったという天皇の大宮は、ここと言うが
春草が生い繁り、霞が立ちこめて春の霧が漂っているももしきの大宮あたりは
見ると悲しい気持ちがするものです
ふぅ~当たり前ですが、長歌は長いですね・・・・・
やはり、細かな分析は専門の方にお任せするとして、
私は歌うたいなので、ひたすらに音「おん」に拘ることにします。
無心に読むと・・・・何か見えてくるかもしれません・・・何か感じられるかもしれません・・・・