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万葉歌手、辻友子のブログへようこそ! http://tomoko.ciao.jp
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ここは、一応公の場所なので、詳しい事は明かせないが、とある方とお話をする機会があった。

例えば、茶道のお家元などに、掛け軸についての講習会をなさったり、私がえっちらおっちらと

紐解いている万葉集を、すらすらと、いくつも諳んじるような・・・要するに、教養のある方である。

その方が、ふっとおっしゃった言葉が忘れられない・・・・

「知らない事は知らないと言えばいいのにね」・・・と・・・

私も、常日頃から思っていた事を口にされたので、少し驚いた。

どうして、知ったふりをするのだろう・・・知らない事は恥ずかしい事ではないのに・・・

だって、世の中、知らないことだらけ・・・恥ずかしい事などない・・

恥ずかしい事は他にあるのでは・・・・知っているふりをするなんていうのは、可愛い

知らない事を知らずに、知ったつもりでいる・・・これが、一番恥ずかしいいですね・・・

気をつけよぉっと・・・

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長歌

★ やすみしし わご大君 神ながら 神さびせすと 吉野川 激つ河内に

   高殿を 高知りまして 登り立ち 国見をせせば

   畳がる 青垣山 山神の 奉る御調と

   春べは 花をかざし持ち 秋立てば 黄葉かざせり

   逝き副ふ 川の神も 大御食に 仕へ奉ると 

   上つ瀬に 鵜川を立ち  下つ瀬に 小網さし渡す

   山川も 依りて仕ふる 神の御代かも

★  やすみしし わごおおきみ かむながら かむさびせすと よしのがわ たぎつかふちに

    たかどのを たかしりまして のぼりたち くにみをせせば

    たたなはる あおがきやま やまつかみ まつるみつきと

    はるべば はなかざしもち あきたてば もみちかざせり

    ゆきそふ かわのかみも おほみけに つかへまつると

    かみつせに うかはをたち  しもつせに さでさしわたす

    やまかわも よりてつかふる かみのみよかも

                                      
★  あまねく国土を治めておられるわが天皇が、本当に神として神々しくいらっしゃいますように

   吉野川の流れの激しい所に、高い宮殿をさらに高くお作りになり、

   山にお登りになって、国見をされますと、重なって青々とした垣根の様な山では

   山の神が天皇に奉る貢物として、

   春は花をかざして持ち、秋は黄葉をかざす。

   宮殿に沿って流れる川も、 天皇の食膳に奉るというので、

   上流には鵜飼いを催し、下流には、すくい網を渡して

   山も川もこぞって お仕えする、神である天皇の御世よ

                                   巻1-38

   長歌は声に出して読むのが、一番だと思います。

   言葉が難しいとか、天皇の時代ではないとか、余計な事は考えずに、

   「1300年以上前に作られた詩」だと思って読むとよいのではないでしょうか?

   詩は音(おん)とリズム感が大切だと思います。

   歌ですね・・・・要するに・・・・

    反歌

   ■ 山川も 依りて仕ふる 神ながら たぎつ河内に 船出せすかも

   ■ やまかわも よりてつかふる かむながら たぎつかふちに ふなでせすかも

   ■  山も川もこぞって仕える、神であられる天皇は、現人神として激流の河内に舟を

      お出しになることです

                                               巻1-39

  戦後教育を受けた私にとって、天皇を現人神として讃える・・・というのは、

  抵抗を感じるように教育されてきました。

  でも、同じ日本人が約1300年も前にこのような心を持っていたのは事実です。

  素直な気持ちで敬える人がいるというのは、素晴らしい事ですね・・・・

  

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前回、有間皇子を取り上げてしまったので、やはりこの和歌も、載せておきます。

★ いえにあれば けにもるいいを くさまくら たびにしあれば しいのはにもる

★ 我が家にいるのならば、家の食器に盛って食べるご飯も、旅に出ているから

  椎のはっぱに盛って食べるのだ

                           有間皇子(ありまのみこ)     巻2-142

この歌は、西暦658年11月9日に詠まれた歌です。

そして、この2日後、西暦658年11月11日に、有間皇子は殺されてしまう・・・

自分で首をくくったという形をとらされて・・・・

自分は殺されるのだという事が分かっていて、前回の歌と共に詠んだわけです。

辞世の句といえるでしょう・・・

そう思うと、この歌はあまりに悲しいですね・・・・

▲ 草枕・・・・旅の枕詞ですが、手枕に対して、要するに家では愛する妻の手枕で休める・・・

         けれど、旅に出ると草を枕に寝る・・・という意らしいのですが・・・手枕というよりは

         きっと、我が家では膝枕・・・ですよね
家にあれば 筍の盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
お友やん (2009年9月 1日 06:11) | コメント(0) | トラックバック(0)

前回、有間皇子を取り上げてしまったので、やはりこの和歌も、載せておきます。

★ いえにあれば けにもるいいを くさまくら たびにしあれば しいのはにもる

★ 我が家にいるのならば、家の食器に盛って食べるご飯も、旅に出ているから

  椎のはっぱに盛って食べるのだ

                           有間皇子(ありまのみこ)     巻2-142

この歌は、西暦658年11月9日に詠まれた歌です。

そして、この2日後、西暦658年11月11日に、有間皇子は殺されてしまう・・・

自分で首をくくったという形をとらされて・・・・

自分は殺されるのだという事が分かっていて、前回の歌と共に詠んだわけです。

辞世の句といえるでしょう・・・

そう思うと、この歌はあまりに悲しいですね・・・・

▲ 草枕・・・・旅の枕詞ですが、手枕に対して、要するに家では愛する妻の手枕で休める・・・

         けれど、旅に出ると草を枕に寝る・・・という意らしいのですが・・・手枕というよりは

         きっと、我が家では膝枕・・・ですよね
白波の 浜松が枝の 手向け草 幾代までにか 年の経ぬらむ
お友やん (2009年9月 1日 05:27) | コメント(0) | トラックバック(0)

★ しらなみの はままつがえだの たむけぐさ いくよまでにか としのへぬらむ

★ 白波の押し寄せる海岸に生える松に、その枝に結んだ手向けの御幣は、

  どれほどの歳月を経て来たのだろうか・・・・

                                    川島皇子(かわしまのみこ)  巻1-34


この和歌を読むと、ある痛ましい事件を思い出します・・・・


■ 磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む

■ いわしろの はままつがえだを ひきむすび まさきくあらば またかへりみむ

■ 磐代の浜松の枝に、御幣を結んでおこう・・もし、幸いに無事であったなら、また戻ってきて

  この松を見ることが出来るであろう・・・そうなってもらいたいものだ・・・

                                有間皇子(ありまのみこ)     巻2-141

前者の和歌は、690年に詠まれた物で、有間皇子事件は、658年・・・・

事件から32年しか経っていない訳です。


有間皇子は、中大兄皇子(なかのおおおえのおうじ)から、妬まれて、謀反を起こした罪で

自ら首をくくって死ぬ事を余儀なくされました。

自分から本当に謀反を起こしたわけではなく、そそのかされてしまったのです。

19歳でした。

これからという時に死ぬ事を強制されてこの世を去っていかねばならない無念・・・・

時代は残酷です・・・いつの時代も、人の嫉妬・妬みは、一番取り扱いがやっかいな情緒ですが、

この時代の天皇家では、それが死をも招いたわけです・・・

川島皇子の歌は、有間皇子が、浜の松に結んだ御幣のことを、偲んで詠んだ歌です・・・・・・

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情報処理能力と芸術的感性というのは、相反する場合が多いですが、藤岡さんの場合は違っていました。


まず、情報を収集する・・・その中から、自分に必要な本物の情報をかなりの確率で見つけていました。

何故か・・・・それは、藤岡さんの目的が実に明確であったからです。

人はなかなか目的を明確に出来ません。

まず、長期的な・・・たとえば、20年後の自分とか・・・展望を立てる・・次に、年毎にクリアしていく目標・・・そしたら、次は月ごと・・毎日・・どんどん具体化されていきます。

勿論、この世は、当たり前ですが、平等でなんか全くありません。

性格も悪くて、実力も無いあの方が、何で・・・ということは往々にしてあるのです。

しかし、例えば、有名になる事に目的を置くと人生の選択は全く変わってきます。

お金も必要・・・知名度も人脈も必要・・・だけど・・それよりもっと大切なものを、見失っては元も子もないのです。

的確な情報を捕まえる聡明さ・・・その情報に振り回されない感受性の柔軟性・・・・

藤岡さんはそういうものを持ち合わせていたように思います。

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★ これやこの やまとにしては わがこふる きぢにありといふなに おふせのやま

★ 紀州路にある、かねてより私が大和で恋い慕っていた背の山・・・その名に、そむかぬ背の山よ

                                         元明天皇 巻1-35

元明天皇というお名前は、後の人が付けたものです。

分かりやすく言うと、草壁皇子(くさかべのみこ)の、奥様で、夫を亡くした後に、作られているようです。

古代・・万葉びとは、自然と共に生きていました。その中でも、山というのは、天に近いものとして、

例えば、亡くなった人のように扱われる事が多々あります。

前も、取り上げた

■ うつそみの 人にある我や 明日からは 二上山を 弟背とわが見む

謀反の罪で死罪になった、大津皇子を偲んで、

姉である大伯皇女(おほくのひめみこ)が詠んだ歌がありました。

山というのは、万葉びとにとって、愛しき人に代わるものとして、詠われています。

また、背という言葉は、愛する男性に向けて使われる言葉ですから、なにをかいわんやですね

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