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★ あみのうらに ふなのりすらむ をとめらが たまものすそに しおみつらむか
★ あみの浦で船に乗って遊んでいるおとめたち・・・彼女らの美しい衣の裾が波に豊かに
たゆたっていることよ・・・美しい光景だなぁ・・・
柿本人麻呂 巻1-40
柿本人麻呂がいよいよ、登場し始めました。
万葉集の中では、この歌人を随一といわれる方もいらっしゃいます。
ちょうど、天武天皇から持統天皇・・・そして草壁皇子・・・文武天皇・・・と続く律令制度が確立されていく時代です。
天皇家・・又、その他の皇族の礼讃の歌が多く歌われています。
というのは、彼は生まれが凄くいいわけでなく、その歌人としての力量から、宮廷歌人として、
天皇にお仕えしていたのです。
天皇が行かれるところに付いて行って、天皇の詔(みことのり)を伺い、公の歌を作った訳です。
だから、俄然、天皇家礼讃の歌が多いわけです。
その中では、この歌は個人的な歌とだと思います。
★ くしろつく たふしのさきに けふもかも おおみやひとの たまもかるらむ
★ 美しい腕輪を付けて 手節の岬で 今日もなお 宮廷の女性たちが
藻を拾っているのだろうか・・・ 巻1-41
雅な優雅な感じのする歌ですね・・・藻に玉とつけているのは、何か大切なものという意味がありそうです。
戯れに拾う美しい藻・・・・う~ん、わからない・・・
歌手 藤岡宣男さん~その14
お友やん (2009年9月 3日 08:52) | コメント(0) | トラックバック(0)
頭のいい子供・・・・・マジック・オブ・ラブを藤岡さんの為に作曲・編曲を手がけた書上さんという、
その業界では有名な方が、藤岡さんを評してこう言ったそうです。
確かに、藤岡さんは、その語学に対する聡明さ・音楽全般に渡る知識と教養、明晰さとは、
対照的に、日常の生活ではかなり自立していませんでした。
お料理なんてしたことは一度もなかったようですし、家事は全て、他人任せ・・
かにの身もよく取れない、葡萄の皮も上手に剥けないなどということがありました。
我が家にいらしたときに、二層パックになっている蜜豆をお出しした事がありました。
一番上の段だけ召し上がっているので、間のシールを剥がして差し上げた事があります。
日頃から、「歌手 藤岡宣男」だけに・・・ほっとするようなお話ですね・・・
★ やすみしし わご大君の 聞こし食す 天の下に 国はしも 多にあれども
山川の 清き河内と 御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に
宮柱 太敷きませば 百磯城の 大宮人は 船並めて
朝川渡り 舟競ひ 夕河渡る この川の 絶ゆることなく
この山の いや高知らす 水激つ 滝の都は 見れど飽かぬかも
★ やすみしし わごおおきみの きこしめす あめのしたに くにはしも さはにあれども
やまかわの きよきかふちと みこころを よしののくにの はなちらふ あきつののへに
みやはしら ふとしきませば ももしきの おおみやびとは ふねなめて
あさかわわたり ふなきほひ ゆうかわわたる このかわの たゆることなく
このやまの いやたかしらす みづたぎつ たぎのみやこは みれどあかぬかも
★ あまねく国土を治める我が天皇が 統治なさっておられる天下には、国々がたくさん
あるけれど、きよらかな川と山に包まれている地として、御心を寄せる吉野の国の、
花の散る秋津の野原に 見事に君臨なさる。
堅牢な城に住む大宮びとたちは、舟を並べ競い合って、朝も夕も にぎわうことよ・・・
この川が、絶える事のなきよう・・この山がますます高くなるよう・・・
水のほとばしる滝の都は、飽きる事のない都だ
柿本人麻呂 巻1-36
反歌
■ 見れど飽かぬ 吉野の河の 常滑の絶ゆることなく また還り見む
■ みれどあかぬ よしののかわの とこなめのたゆことなく またかへりみむ
■ 見飽きる事のない吉野・・・その川の滑らかな姿が永遠であるように、絶えることなく
繰り返し見ましょう
天皇賛歌です。
吉野が大好きで、なんと30回も訪ねておられる持統天皇の時代でしょう。
持統天皇は宮廷歌人として、柿本人麻呂を側に置いておられました。
持統天皇は女性です。
この時代、諸所の事情で、男性の天皇がいらっしゃらない時に、
一時的に女性が天皇となることがありました。
左翼系の方々から、非難を浴びそうですね・・・・
味覚と耳は繋がっているとか・・・味音痴だと、耳音痴なのかしらん
今では、カミングアウトというほどの事も無い、うつ病に私もかかっていた事がある。
人それぞれの症状があったり、その人独特の症状もある。
一番よくないのは、病気であるという意識が無い事が、一番悪いらしい。
私の場合、症状の一つに味覚が無くなるということがあった。
どんなにおいしい豪華な料理を食べても、味がしないのだ・・・・
これは、美味しく食事を頂ける今を考えると、本当に辛い事だった。
亡父が、癌の痛み止めの為にある時期から味覚を失った。
病床の父は、私に「砂を噛むような思いとは、こういうことを言うんだなぁ。味覚があるということが
どれほど幸せな事か、よくわかる」と、言っていた。
五感を持つ人間・・・・その中の味覚・・・・という、感覚・・・感謝・・・