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万葉歌手、辻友子のブログへようこそ! http://tomoko.ciao.jp
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音楽には、様々な分野がある。

日本の戦後の音楽教育は、西洋音楽が

いわゆるクラシックと呼ばれるものが中心だった。


ヤマハ音楽教室で、とても優秀だったらしい私は

先生からピアノを勧められ、習い始めた。

小学校1年の時である。


小学校高学年ぐらいからの真っ白な感性に、

モーツァルトやベートーベンやバッハが刷り込まれた。


小学校2年のときから、ソルフェージュを習っていたので

初見演奏・移調奏・メロディ調音など、得意だった。


合唱の伴奏はよくさせられた。


今では笑い話だが、ホルンを吹いていたこともあるし

スネアドラムを叩いていた事もある。

ビートルズは、ほぼ全曲を英語で歌いながら

ピアノの伴奏を弾いていた。


ピアノで弾き語りもしていた。

作曲も作詞もしていた。

好きな曲は耳でコピーし楽譜を作った。

自分の声の高さにあわせて、移調譜も

作っていた・・・授業中に・・・・


ギターも、自己流で、サイモンとガーファンクルや

フォークソングなどを弾き語りしてた。

ハードロックのバンドでキーボードも少しした。

ディープパープルやクィーンが好きだった。


音楽は、常に私の周りに空気のように存在し、

音楽以外に「道」を考えることは無かった。


九州の福岡で生まれ、のんびり育った。

父親は普通のサラリーマンだった。

教育不熱心な父親だった。

母は教育熱心だったが、

弟が常にオール5を取るような子供だったので、

私はあまり期待されず割とほったらかされて育った。

家計も、父の初任給が一万円という時代であった。


高校の3年生の進路を決めるとき、音楽しか考えていなかったが

ピアノしかまともには出来なかった。

G大は練習をサボりすぎて、無理だと言われた。

M大だったら通るよと、ピアノの先生に言われた。

M大に、九州から、我が家にとっては莫大な費用、

を賭けてまでいく必要を感じなかった。


福岡も好きだったし、出る積もりも無かったので、

九州では音楽科が一番良いと言われていた

国立の教育大学の音楽課程に通うことにした。

年間16~7万円である。


親が途中から、鹿児島に転勤して、

大学の近くの女子だけの寮に入った。

家賃1万3千円。月々3万円親から仕送りを

受けていたので、足りない分は、ピアノを

教えるバイトと、ローランドと言う楽器屋の

シンセサイザーの、デモストレーションのバイトを

オーデションを受けて通り、そのバイト代で補った。

時給千円だったから、かなり良い方だった。


長くお付き合い??させていただく事になった

関屋 晋先生とは大学の一年生の夏に会った。


今でも忘れられない・・・・

「音楽の息吹」を受けた・・・・

ブラームスのネニエとモテト


このあたりから、宗教曲にはまり始めて、

中世ルネサンス音楽専門のポリフォニーの

合唱団を作ることになる。 ・・・・・続く




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