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どなたが、おっしゃたか、とにかく、歴史全般・伝統芸能・文学・
古代史・宗教史・政治史・性史・易学・西洋占星・・・・
他に何が、あったっけ・・・まぁ、食べる時、料理する時、
銭湯に行くとき、排泄行為をするとき、電話を受ける時、
そして、「国際 will ボランティアテラの会」の「活動行為」を
なさる時以外は、全て本を読み、思索に耽り、文章を書く「行為」
を、なさっておられる、とある方が、おっしゃられたような気がする。
「大和心」と、書いて「おほひなるやはらぎのこころ」と、読む。
私のウン十年の人生の傍らには、いつも音楽があった。戦後の教育で
音楽の授業は、西洋音楽が中心・・・毎日10時間ピアノを弾く事は
出来ないと、ピアニストの道を諦めた。
中・高の音楽教員の資格を持っていたので、「音楽活動費用」をそれで、賄い
家庭を持ち、主婦業の傍ら、
学生時代に作った中世・ポリフォニー合唱団で教会で歌ったり、
主婦達だけの子供の為のオリジナルミュージカルをしたり、
この人を知らなければ、合唱会では「もぐり」と、言われる
関屋 晋の下で、世界の名だたる指揮者・オーケストラと
同じ舞台に立ち、合唱指導を受けた。
福岡NHKの夕方6時からのゴールデンタイムのアナウンサー試験に
数百人中一人、3次試験も突破し見事合格した・・・・まっ、これは関係ないか・・・・
(だって、書きたいんだも~ん)
そして、多くの人が味わう、「人生の苦難」と言うものを味わった。
「人生の苦難」にも、色々あったけれど、これは結構きつかった。
このことについては、ここでは触れない。
しかし、この経験で私が得たものは、これまた、今までの人生の
どんな出来事より、大きかったのだ。
私は、一生の宝となる「歌声」に出会い、
その「歌声」の持ち主に、師事することが出来た。
それが、今の私の「歌手」としての人生を作った。
そして、どん底まで精神的に追い詰められた私に
「手」を差し伸べてくれたのが、師匠のプロデュースを
していた、k氏だった。
友人も家族も、私の心の中には存在していなかった。
実際、友人は離れていった。家族は傍にいてくれたと
思うのだけれど、思い出せない。
ただ、「音楽」があり、貪るように、絵画を見て、文学を読んだ。
高校の非常勤をしていることは、お金をいただいている「仕事」なので、
「責任感」から、なんとか通った。
合唱団のお世話もしていた。
自分を慕ってくれる合唱団の子達に、自分が救われていた。
そこで、頂いたお金から、出会った師匠に歌を習う費用を出した。
その内、お金もなくなり、借金もした。
生活費は、主人から頂いていたが、
それは、自分の勉強のための費用に使用しないと言う、「考え」だったので、
人付き合いを絶ち、光熱費も出来る限り押さえ、
洋服も一着も買わない事に決めた。
借金は膨らみ続けた。
洋服は一度買わないと決めると、うろうろ歩く事も無くなり
不必要なほかの買い物も、自然に減っていった。
無心に頑張っていると、助け舟のように、現れる人がいる。
叔母だった。京都の着物で、商売をしている叔母は、自分は
「日本の伝統」を売っていると、自分の仕事に誇りを持っていた。
そして、舞台で使う私の素晴らしい着物の大半は、叔母の持っている
着物で賄われた。惜しげもなく、着物の事も良くわからない私に貸してくれた。
その内、私も着物について、様々な事を知るようになり、自分で着付けも出来るように
なった。ありがたい事である。
おしゃれで独自のセンスを持っている叔母は、これまた洋服も惜しげもなく
送ってくれた。どても重宝している。
そういう、私を我慢してくれた家族の存在もある。
そういう中で、さらに幾多の波乱万丈があり、今の私がある。
「手」を差し伸べてくれた人・・・が、居たから今の私がある。
「手」は、大和言葉で「たなごころ」と言う、
「手」(たなごころ)は、文字通り、手に心が表れるのである。
今、私は、「大和心」を伝える為に、自分の出来る事をしている。
「大和言葉」である、「万葉集」を歌い、大和言葉に一人でも
多くの人に親しんでもらいたい。「言葉」の力は大きい。
「言葉」を整える、ましてや、日本古来の「言葉」である
「大和言葉」に親しんでいただく事で、日本古来の心、
「大和心」(おほひなるいやはらぎのこころ)を
思い出してほしい。日本民族の持つ素晴らしい心性を・・・
そして、日本では、差し上げる事が出来ない洋服やタオルや
学用品を、「手から手へ」、東南アジアの難民及び孤児達に
渡して、喜んで貰っている。「手~掌」それは、「心から心へ」
の活動である。
私の中では、何の矛盾も起こさない、
この二つの活動を、続けて発展させて行く事・・・
それは、奇しくも、「大和心を伝える行為」となるのだ。
本当に、ありがたく、嬉しい事である。
感謝!!
古代史・宗教史・政治史・性史・易学・西洋占星・・・・
他に何が、あったっけ・・・まぁ、食べる時、料理する時、
銭湯に行くとき、排泄行為をするとき、電話を受ける時、
そして、「国際 will ボランティアテラの会」の「活動行為」を
なさる時以外は、全て本を読み、思索に耽り、文章を書く「行為」
を、なさっておられる、とある方が、おっしゃられたような気がする。
「大和心」と、書いて「おほひなるやはらぎのこころ」と、読む。
私のウン十年の人生の傍らには、いつも音楽があった。戦後の教育で
音楽の授業は、西洋音楽が中心・・・毎日10時間ピアノを弾く事は
出来ないと、ピアニストの道を諦めた。
中・高の音楽教員の資格を持っていたので、「音楽活動費用」をそれで、賄い
家庭を持ち、主婦業の傍ら、
学生時代に作った中世・ポリフォニー合唱団で教会で歌ったり、
主婦達だけの子供の為のオリジナルミュージカルをしたり、
この人を知らなければ、合唱会では「もぐり」と、言われる
関屋 晋の下で、世界の名だたる指揮者・オーケストラと
同じ舞台に立ち、合唱指導を受けた。
福岡NHKの夕方6時からのゴールデンタイムのアナウンサー試験に
数百人中一人、3次試験も突破し見事合格した・・・・まっ、これは関係ないか・・・・
(だって、書きたいんだも~ん)
そして、多くの人が味わう、「人生の苦難」と言うものを味わった。
「人生の苦難」にも、色々あったけれど、これは結構きつかった。
このことについては、ここでは触れない。
しかし、この経験で私が得たものは、これまた、今までの人生の
どんな出来事より、大きかったのだ。
私は、一生の宝となる「歌声」に出会い、
その「歌声」の持ち主に、師事することが出来た。
それが、今の私の「歌手」としての人生を作った。
そして、どん底まで精神的に追い詰められた私に
「手」を差し伸べてくれたのが、師匠のプロデュースを
していた、k氏だった。
友人も家族も、私の心の中には存在していなかった。
実際、友人は離れていった。家族は傍にいてくれたと
思うのだけれど、思い出せない。
ただ、「音楽」があり、貪るように、絵画を見て、文学を読んだ。
高校の非常勤をしていることは、お金をいただいている「仕事」なので、
「責任感」から、なんとか通った。
合唱団のお世話もしていた。
自分を慕ってくれる合唱団の子達に、自分が救われていた。
そこで、頂いたお金から、出会った師匠に歌を習う費用を出した。
その内、お金もなくなり、借金もした。
生活費は、主人から頂いていたが、
それは、自分の勉強のための費用に使用しないと言う、「考え」だったので、
人付き合いを絶ち、光熱費も出来る限り押さえ、
洋服も一着も買わない事に決めた。
借金は膨らみ続けた。
洋服は一度買わないと決めると、うろうろ歩く事も無くなり
不必要なほかの買い物も、自然に減っていった。
無心に頑張っていると、助け舟のように、現れる人がいる。
叔母だった。京都の着物で、商売をしている叔母は、自分は
「日本の伝統」を売っていると、自分の仕事に誇りを持っていた。
そして、舞台で使う私の素晴らしい着物の大半は、叔母の持っている
着物で賄われた。惜しげもなく、着物の事も良くわからない私に貸してくれた。
その内、私も着物について、様々な事を知るようになり、自分で着付けも出来るように
なった。ありがたい事である。
おしゃれで独自のセンスを持っている叔母は、これまた洋服も惜しげもなく
送ってくれた。どても重宝している。
そういう、私を我慢してくれた家族の存在もある。
そういう中で、さらに幾多の波乱万丈があり、今の私がある。
「手」を差し伸べてくれた人・・・が、居たから今の私がある。
「手」は、大和言葉で「たなごころ」と言う、
「手」(たなごころ)は、文字通り、手に心が表れるのである。
今、私は、「大和心」を伝える為に、自分の出来る事をしている。
「大和言葉」である、「万葉集」を歌い、大和言葉に一人でも
多くの人に親しんでもらいたい。「言葉」の力は大きい。
「言葉」を整える、ましてや、日本古来の「言葉」である
「大和言葉」に親しんでいただく事で、日本古来の心、
「大和心」(おほひなるいやはらぎのこころ)を
思い出してほしい。日本民族の持つ素晴らしい心性を・・・
そして、日本では、差し上げる事が出来ない洋服やタオルや
学用品を、「手から手へ」、東南アジアの難民及び孤児達に
渡して、喜んで貰っている。「手~掌」それは、「心から心へ」
の活動である。
私の中では、何の矛盾も起こさない、
この二つの活動を、続けて発展させて行く事・・・
それは、奇しくも、「大和心を伝える行為」となるのだ。
本当に、ありがたく、嬉しい事である。
感謝!!