×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
PR
時々、ニュース・天気予報以外の
テレビを見ることがある。
その一つに、放送大学がある。
偶然に、興味のある事についての
講義があったりすると、なんとはなしに
見てしまう。
今日は、ザビエルが日本にキリスト教を布教に来た頃
その当時の、長崎県や山口県の音楽、
また、薩摩びわ・筑紫琴などに
グレゴリオ聖歌や、西洋の
楽器や音楽様式の影響を受けているのでは
ないか?と言う講義であった。
一時期、中世・ルネサンス音楽が、大好きだった
時代があったので、つい、見てしまった。
皆川達夫先生や、金沢正剛さんの著書や
レクチャーにも行き
「おらしょ」も、CDで聴いたことがある。
私が、気になったのは、その内容ではなく、
講義する先生のしゃべり方だった。
「今のところ、音楽史や音楽学の中で~と言われていますし
その確固たる証拠もありませんが、賢順がうんぬんかんぬん
して、西洋の、リュートやオルガンまた、和声的な影響を
受けた可能性は、あると思います」
この話からすると、この先生は、日本古来の楽器や、
音楽の中に、西洋のキリスト教音楽の影響は確実にあると
言いたい所を、まだ、証拠も無く、主流派ではないので、
このような言い方になったのだろう。
証拠はただ見つかっていないだけかもしれない。
文献に無くとも、例えば、八橋検校が、西洋の音楽を
偶々耳にして感動し、「六段」と言う曲を作曲したかもしれない。
でも、「時代性の中の立場」上、このような話し方になるのだろう。
その当時の音楽にまつわる事が、全て文献になったり、
ましてや
楽譜や音源になったりしていることは、ありえない。
でも、後の時代の学者達の多くは、
あるものしか認めようとしない。
犯罪で言えば・・・証拠不十分だから・・・・
でも人殺しではないのだから、冤罪には問われないと
思うのだけれど・・・・
突然、「証拠」が出てきたら、ちゃぶ台(古いねぇ)を、ひっくり返すように
諸説が変わるのである。いや、あまりに根本的な出来事だと
その土台の上に、成り立つ多くの学者の説は全て、×になるので
権威や権力によって揉み消されるかもしれない。
だから、あらゆることに関しての「今の説」も、不確定要素多数なのだ。
以前、「情報」と言うテーマで書いた事に、通じる話ですが、
「今の説」も、絶対的なものではなく、常に変化して行くのである。
どなたかの偉い先生のお話を聞くのは、とても大切だけれど、
そのお話を、「自分の感性」と言うフィルターを必ず通して受け入れる事が
大切だと思う。
大先生も、最初は「ひらめき」なのだから・・・
証拠や証明は後から付いてくるのです・・・・なんちゃって、
あなた、何様よ!!
テレビを見ることがある。
その一つに、放送大学がある。
偶然に、興味のある事についての
講義があったりすると、なんとはなしに
見てしまう。
今日は、ザビエルが日本にキリスト教を布教に来た頃
その当時の、長崎県や山口県の音楽、
また、薩摩びわ・筑紫琴などに
グレゴリオ聖歌や、西洋の
楽器や音楽様式の影響を受けているのでは
ないか?と言う講義であった。
一時期、中世・ルネサンス音楽が、大好きだった
時代があったので、つい、見てしまった。
皆川達夫先生や、金沢正剛さんの著書や
レクチャーにも行き
「おらしょ」も、CDで聴いたことがある。
私が、気になったのは、その内容ではなく、
講義する先生のしゃべり方だった。
「今のところ、音楽史や音楽学の中で~と言われていますし
その確固たる証拠もありませんが、賢順がうんぬんかんぬん
して、西洋の、リュートやオルガンまた、和声的な影響を
受けた可能性は、あると思います」
この話からすると、この先生は、日本古来の楽器や、
音楽の中に、西洋のキリスト教音楽の影響は確実にあると
言いたい所を、まだ、証拠も無く、主流派ではないので、
このような言い方になったのだろう。
証拠はただ見つかっていないだけかもしれない。
文献に無くとも、例えば、八橋検校が、西洋の音楽を
偶々耳にして感動し、「六段」と言う曲を作曲したかもしれない。
でも、「時代性の中の立場」上、このような話し方になるのだろう。
その当時の音楽にまつわる事が、全て文献になったり、
ましてや
楽譜や音源になったりしていることは、ありえない。
でも、後の時代の学者達の多くは、
あるものしか認めようとしない。
犯罪で言えば・・・証拠不十分だから・・・・
でも人殺しではないのだから、冤罪には問われないと
思うのだけれど・・・・
突然、「証拠」が出てきたら、ちゃぶ台(古いねぇ)を、ひっくり返すように
諸説が変わるのである。いや、あまりに根本的な出来事だと
その土台の上に、成り立つ多くの学者の説は全て、×になるので
権威や権力によって揉み消されるかもしれない。
だから、あらゆることに関しての「今の説」も、不確定要素多数なのだ。
以前、「情報」と言うテーマで書いた事に、通じる話ですが、
「今の説」も、絶対的なものではなく、常に変化して行くのである。
どなたかの偉い先生のお話を聞くのは、とても大切だけれど、
そのお話を、「自分の感性」と言うフィルターを必ず通して受け入れる事が
大切だと思う。
大先生も、最初は「ひらめき」なのだから・・・
証拠や証明は後から付いてくるのです・・・・なんちゃって、
あなた、何様よ!!