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★ つしまのねは したぐもあらなふ かむのねに
たなびくくもを みつつしのはも
★ 対馬の山は低く、下に雲が無い。神の峰である山に
たなびく雲を見て、お前の事を思う。
巻14-3516 防人の歌
万葉の時代、人が死ぬことを 雲隠れする、と言ったり、
立ち上る雲に、いとしい人への思いを重ね合わせたりしました。
人々は、常に自然と共にあり、自然を敬うことは、人を敬う事と
同じでした。相対するものではなく、一部分でした。
この歌も、赴任先の九州の地から、山にたなびく雲に愛しい妻を
思ったのです。
自然は、特別の力を与える驚異的なものでもなく、人間を襲うものでもなく、
人間と共にあるものでした。
可牟(かむ)→神(かみ)→神威のある山
→、この辺りでは、背振山山系の雷山であろうか・・・
神は可牟であるから、人が亡くなったとき、かむあがりするとも言う。
日本では古来から、人は全て死んだら可牟→神になるとされていた。
一神教の神とはそこが、大きく違う
たなびくくもを みつつしのはも
★ 対馬の山は低く、下に雲が無い。神の峰である山に
たなびく雲を見て、お前の事を思う。
巻14-3516 防人の歌
万葉の時代、人が死ぬことを 雲隠れする、と言ったり、
立ち上る雲に、いとしい人への思いを重ね合わせたりしました。
人々は、常に自然と共にあり、自然を敬うことは、人を敬う事と
同じでした。相対するものではなく、一部分でした。
この歌も、赴任先の九州の地から、山にたなびく雲に愛しい妻を
思ったのです。
自然は、特別の力を与える驚異的なものでもなく、人間を襲うものでもなく、
人間と共にあるものでした。
可牟(かむ)→神(かみ)→神威のある山
→、この辺りでは、背振山山系の雷山であろうか・・・
神は可牟であるから、人が亡くなったとき、かむあがりするとも言う。
日本では古来から、人は全て死んだら可牟→神になるとされていた。
一神教の神とはそこが、大きく違う