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★ 天地の 初の時 ひさかたの 天の河原に 八百万 千万神の 神集ひ 集ひ座して
神分ち 分ちし時に 天照らす 日女の尊 天をば知らしめすと 葦原の 瑞穂の国を
天地の 寄り合ひの 極知らしめす 神の命と 天雲の 八重かき別けて 神下し
座せまつりし 高照らす 日の皇子は 飛鳥の 浄の宮に 神ながら 太敷きまして
天皇の 敷きます国と 天の原 石門を開き 神上がり あがり座しぬ わご王
皇子の命の 天の下 知らしめしせば 春花の 貴からむと 望月の 満しけむと
天の下 四方の人の 大船の 思ひ憑みて 天つ水 仰ぎて待つに いかさまに
思ほしめせか 由縁もなき 真弓の岡に 宮柱 太敷き座し 御殿を 高知りまして
朝ごとに 御言問はさぬ 日月の 数多くなりぬる そこゆゑに 皇子の宮人 行方知らずも
★ あめつちの はじめのとき ひさかたの あまのかはらに やほよろづ ちよろづがみの
かむつどひ つどひいまして かむあがち あがちしときに あまてらす ひるめのみこと
あめをばしらしめすと あしはらの みづほのくにを あめつちの よりあひのきはみ
しらしめす かみのみことと あまくもの やえかきわけて かむくだし いませまつりし
たかてらす ひのみこは あすかの きよみのみやに かむながら ふとしきまして
すめろぎの しきますくにと あまのはら いはとをひらき かむあがり あがりいましぬ
わごおほきみ みこのみことの あめのした しらしめしせば はるはなの たふとからむと
もちづきの たたはしけむと あめのした よものひとの おおふねの おもひたのみて
あまつみず あふぎてまつに いかさまに おもほしめせか つれもなき まゆみのおかに
みやはしら ふとしきいまし みあらかを たかしりまして あさごとに みこととはさぬ
ひつきの まねくなりぬる そこゆゑに みこのみやびと ゆくへしらずも
★ 天地創造の初め、はるか彼方の天の河原に、八百万、一千万という大勢の神様が神々しくも
お集まりになり、神々をそれぞれの国々に、神としてお分ちになられた時、天照大神は、天を
お治めになられると言うので、葦原の瑞穂の国を、天地の接する果てまで、お治めになられる
神の命として、天雲の八重に重なる雲をかき分けて、神々しくお降り申しました。
天高く輝く日の皇子は、明日香の浄御原の宮に神として、お治めになり、やがて、天上を
天皇のお治めなる永生の国として、天の岩戸を開いて、神としてお上りになられました。
わが大君であられる、皇子の尊が、天下をお治めになられたら、、春の花のように、尊く
満月のように満ち足りておられるだろうと、天下のあちらこちらの人々が、大船のような
期待を持って、天の慈悲の雨を待ち仰いでいましたのに、どのようなお考えからか、
ゆかりもない真弓の岡に宮殿の柱を立派にお建てになり、宮殿を高々とお作りになって
朝の奉仕にもおことばを賜らぬ日が、多くなりました。そのために、皇子の宮人は、
どうしたらよいのか、途方に暮れることです。
巻2-167 柿本人麻呂
日並皇子尊(ひなみしのみこのみこと・・・草壁皇子)の
殯宮(あらきのみや・・・埋葬までの弔いの儀)の時に、柿本人麻呂の作れる歌
声に出して読むのみ・・・・
神分ち 分ちし時に 天照らす 日女の尊 天をば知らしめすと 葦原の 瑞穂の国を
天地の 寄り合ひの 極知らしめす 神の命と 天雲の 八重かき別けて 神下し
座せまつりし 高照らす 日の皇子は 飛鳥の 浄の宮に 神ながら 太敷きまして
天皇の 敷きます国と 天の原 石門を開き 神上がり あがり座しぬ わご王
皇子の命の 天の下 知らしめしせば 春花の 貴からむと 望月の 満しけむと
天の下 四方の人の 大船の 思ひ憑みて 天つ水 仰ぎて待つに いかさまに
思ほしめせか 由縁もなき 真弓の岡に 宮柱 太敷き座し 御殿を 高知りまして
朝ごとに 御言問はさぬ 日月の 数多くなりぬる そこゆゑに 皇子の宮人 行方知らずも
★ あめつちの はじめのとき ひさかたの あまのかはらに やほよろづ ちよろづがみの
かむつどひ つどひいまして かむあがち あがちしときに あまてらす ひるめのみこと
あめをばしらしめすと あしはらの みづほのくにを あめつちの よりあひのきはみ
しらしめす かみのみことと あまくもの やえかきわけて かむくだし いませまつりし
たかてらす ひのみこは あすかの きよみのみやに かむながら ふとしきまして
すめろぎの しきますくにと あまのはら いはとをひらき かむあがり あがりいましぬ
わごおほきみ みこのみことの あめのした しらしめしせば はるはなの たふとからむと
もちづきの たたはしけむと あめのした よものひとの おおふねの おもひたのみて
あまつみず あふぎてまつに いかさまに おもほしめせか つれもなき まゆみのおかに
みやはしら ふとしきいまし みあらかを たかしりまして あさごとに みこととはさぬ
ひつきの まねくなりぬる そこゆゑに みこのみやびと ゆくへしらずも
★ 天地創造の初め、はるか彼方の天の河原に、八百万、一千万という大勢の神様が神々しくも
お集まりになり、神々をそれぞれの国々に、神としてお分ちになられた時、天照大神は、天を
お治めになられると言うので、葦原の瑞穂の国を、天地の接する果てまで、お治めになられる
神の命として、天雲の八重に重なる雲をかき分けて、神々しくお降り申しました。
天高く輝く日の皇子は、明日香の浄御原の宮に神として、お治めになり、やがて、天上を
天皇のお治めなる永生の国として、天の岩戸を開いて、神としてお上りになられました。
わが大君であられる、皇子の尊が、天下をお治めになられたら、、春の花のように、尊く
満月のように満ち足りておられるだろうと、天下のあちらこちらの人々が、大船のような
期待を持って、天の慈悲の雨を待ち仰いでいましたのに、どのようなお考えからか、
ゆかりもない真弓の岡に宮殿の柱を立派にお建てになり、宮殿を高々とお作りになって
朝の奉仕にもおことばを賜らぬ日が、多くなりました。そのために、皇子の宮人は、
どうしたらよいのか、途方に暮れることです。
巻2-167 柿本人麻呂
日並皇子尊(ひなみしのみこのみこと・・・草壁皇子)の
殯宮(あらきのみや・・・埋葬までの弔いの儀)の時に、柿本人麻呂の作れる歌
声に出して読むのみ・・・・