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お盆が過ぎると、あっという間に
晩夏である。
異常気象による酷暑は、続きそうだが、
暦の上では、もう初秋である。
蝉の声が聴こえなくなると、一気に
冬に向かって行く。
本当に、時の流れは無常迅速であると思う。
今年もお世話になりました。と言うのも
間近である。そして、一年があっという間に過ぎてゆく。
その前に、今月、伊勢神宮のお石持ち神事参加、天皇陛下でさえ
年に一度しかお入りになられない場所へ、お石を置かせて貰うために
入らせていただく・・・
10月19日には「万葉のこころを歌う 第26回」が、念願の地元、横浜市港南区の
ひまわりの郷で開催され、11月の後半から、12月にかけて、
「国際ボランティア テラの会」で、タイのバンコク、チェンマイ
メソットを、訪れる・・・そして、今回は、ミヤンマーのミャワデーにも
行くかもしれない。
そのための、支援衣服など、船便のため、次々と主宰のk氏が
送っている。一枚でも多く持って行きたいと言う、スタッフの
切なる願いである。
そうこうして、あっという間に、一年が終わる。
こうして、健康に活動できる事に感謝している。
一人で出来る事ではないから・・・・
晩夏である。
異常気象による酷暑は、続きそうだが、
暦の上では、もう初秋である。
蝉の声が聴こえなくなると、一気に
冬に向かって行く。
本当に、時の流れは無常迅速であると思う。
今年もお世話になりました。と言うのも
間近である。そして、一年があっという間に過ぎてゆく。
その前に、今月、伊勢神宮のお石持ち神事参加、天皇陛下でさえ
年に一度しかお入りになられない場所へ、お石を置かせて貰うために
入らせていただく・・・
10月19日には「万葉のこころを歌う 第26回」が、念願の地元、横浜市港南区の
ひまわりの郷で開催され、11月の後半から、12月にかけて、
「国際ボランティア テラの会」で、タイのバンコク、チェンマイ
メソットを、訪れる・・・そして、今回は、ミヤンマーのミャワデーにも
行くかもしれない。
そのための、支援衣服など、船便のため、次々と主宰のk氏が
送っている。一枚でも多く持って行きたいと言う、スタッフの
切なる願いである。
そうこうして、あっという間に、一年が終わる。
こうして、健康に活動できる事に感謝している。
一人で出来る事ではないから・・・・
本日は、政府主催で、50年前より始められた
「戦没者を追悼し平和を記念する日」の式典が
東京ドームで行われ、各地でそれに準じた追悼慰霊
式典などが行われた。
8月、いや7月後半辺りから、私の心は、追悼に向かっていた。
毎日のように、とりわけタイ北部山岳地帯の白カレン村のはずれ
の田んぼで亡くなり、我々「国際ボランティア テラの会」が、追悼慰霊に
訪れた、名前も判らぬ若い日本兵の事が、しきりと思い出されるのだ。
8月6日の「万葉のこころを歌う 第25回」では、8月の開催と言う事もあり、
副題を「~平和への祈り~」にした。
最初に、簡単であるが、会場の皆様と共に、
黙祷をさせていただいた。
「本当に、ご苦労様でした。今日は、私なりの追悼慰霊の心を込めて
開催させて頂きます。どうか、安らかにそして、楽しんでくださったら
ありがたいです」と、心で祈った。
コンサートの中では、
「きけ わだつみのこえ」を朗読し、その本から生まれた
オリジナル曲「わだつみの歌」歌うことにした。
実際に訪れた先ほども書いた(タイ北部の山岳地帯の白カレン村
のはずれの田んぼで亡くなった名前も判らぬ若き日本兵士)の
詩(原詩 木村天山 )を朗読し、我々の活動の中から生まれた
「帰り来ぬ風~114万人の遺骨もどらぬ悲しみの歌~」
(作詞 木村天山 作曲 田原奈津代)
も、歌った。この曲は、多くの人々が涙した歌である。
万葉集の中からは、京より九州へ防人として、転地させられた
防人の歌より、抜粋。オリジナル万葉歌曲として、歌った。
敵も味方もない・・・・戦争とは、ひたすら、人々を殺し、町を破壊し
文化を文明を破壊するものである。
一体、何が残るのだろうか・・・何のために戦争をするのか・・・・
地球に闊歩する、二本足で大脳化された、人類の最も愚かなる
行為であろうと思う。
でも、歴史は繰り返す・・・と言う事は、戦争は再び形は
違っても起こるのだ。
今日だけは、さすがに様々なテレビ局が、戦争をテーマに
ドキュメントや対談を放映していた。しかし、大東亜戦争も
半分ぐらいは、あの時代のマスコミ・・・それは、ラジオや新聞
によって、扇動させられたのだ。そして、日本は悲劇へと
向かっていった。
今では、あの時代は無かった、テレビと言うマスメディアが
幅を効かしている。インターネットもそうである。
自分達の責任の重さを感じて欲しいと思う。
「戦没者を追悼し平和を記念する日」の式典が
東京ドームで行われ、各地でそれに準じた追悼慰霊
式典などが行われた。
8月、いや7月後半辺りから、私の心は、追悼に向かっていた。
毎日のように、とりわけタイ北部山岳地帯の白カレン村のはずれ
の田んぼで亡くなり、我々「国際ボランティア テラの会」が、追悼慰霊に
訪れた、名前も判らぬ若い日本兵の事が、しきりと思い出されるのだ。
8月6日の「万葉のこころを歌う 第25回」では、8月の開催と言う事もあり、
副題を「~平和への祈り~」にした。
最初に、簡単であるが、会場の皆様と共に、
黙祷をさせていただいた。
「本当に、ご苦労様でした。今日は、私なりの追悼慰霊の心を込めて
開催させて頂きます。どうか、安らかにそして、楽しんでくださったら
ありがたいです」と、心で祈った。
コンサートの中では、
「きけ わだつみのこえ」を朗読し、その本から生まれた
オリジナル曲「わだつみの歌」歌うことにした。
実際に訪れた先ほども書いた(タイ北部の山岳地帯の白カレン村
のはずれの田んぼで亡くなった名前も判らぬ若き日本兵士)の
詩(原詩 木村天山 )を朗読し、我々の活動の中から生まれた
「帰り来ぬ風~114万人の遺骨もどらぬ悲しみの歌~」
(作詞 木村天山 作曲 田原奈津代)
も、歌った。この曲は、多くの人々が涙した歌である。
万葉集の中からは、京より九州へ防人として、転地させられた
防人の歌より、抜粋。オリジナル万葉歌曲として、歌った。
敵も味方もない・・・・戦争とは、ひたすら、人々を殺し、町を破壊し
文化を文明を破壊するものである。
一体、何が残るのだろうか・・・何のために戦争をするのか・・・・
地球に闊歩する、二本足で大脳化された、人類の最も愚かなる
行為であろうと思う。
でも、歴史は繰り返す・・・と言う事は、戦争は再び形は
違っても起こるのだ。
今日だけは、さすがに様々なテレビ局が、戦争をテーマに
ドキュメントや対談を放映していた。しかし、大東亜戦争も
半分ぐらいは、あの時代のマスコミ・・・それは、ラジオや新聞
によって、扇動させられたのだ。そして、日本は悲劇へと
向かっていった。
今では、あの時代は無かった、テレビと言うマスメディアが
幅を効かしている。インターネットもそうである。
自分達の責任の重さを感じて欲しいと思う。
★ ほととぎす きなくさつきの みじかよも
ひとりしぬれば あかしかねつも
★ ホトトギスがやってきては、鳴く五月の短い夜も
独りで寝ていると、中々夜が明けないことです。
巻10-1981 鳥に寄せて
度々書いていますが、万葉の時代は、暦が月の
周期で、数えていますので、おおよそ、現代の
一ヶ月前、と言う事は、この五月と言うのは、
おおよそ、現代で言えば6月ぐらいの時期の事です。
それにしても、万葉集の中で、橘の花は、沢山
詠まれています。
橘は「ミカン科」です。万葉に詠まれている「橘」は古代の
ミカンの総称です。初夏に白い小さな愛らしい5弁の花が咲き、
良い香りがします。
万葉集の中では、69首に詠まれています。
ひとりしぬれば あかしかねつも
★ ホトトギスがやってきては、鳴く五月の短い夜も
独りで寝ていると、中々夜が明けないことです。
巻10-1981 鳥に寄せて
度々書いていますが、万葉の時代は、暦が月の
周期で、数えていますので、おおよそ、現代の
一ヶ月前、と言う事は、この五月と言うのは、
おおよそ、現代で言えば6月ぐらいの時期の事です。
それにしても、万葉集の中で、橘の花は、沢山
詠まれています。
橘は「ミカン科」です。万葉に詠まれている「橘」は古代の
ミカンの総称です。初夏に白い小さな愛らしい5弁の花が咲き、
良い香りがします。
万葉集の中では、69首に詠まれています。