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外出好きではないのですが、大切な方とお話があるときは出かけます。
銀座が多いです。
名のあるフレンチレストランでも、料亭でも・・・・具合が悪くなる事が多く、今宵も心配していました。
一番悔しかったのは・・・3人でフランス料理を食べに行って、具合が悪くなり、
私だけロマネコンティを飲み損ねた思い出です。
あまり、何度も倒れるので、トラウマになりそうでした。
今宵のフレンチは、裏道の、ひっそりとした静かな所でした。
どちらかというと、フランス版家庭料理のような感じでしょうか・・・・・・とても、美味しく頂きました。
一人でもカウンターで料理とワインを頂けそうな雰囲気でした。
お誘いいただいた方のお心配りのおかげでしょうか・・・・・
今度、一人で行ってみようかしらん・・・・
つぶ貝とジャガイモのソテーおいしかったな・・・砂肝とセロリのサラダも・・・
藤岡さんは、私より四つ年下である。
弟子入りした時から、彼は私の師匠であり、私は弟子であった。
二人ともそこに何のわだかまりも疑問もない・・・・芸を磨くと言う事は信頼感関係のある徒弟制が
一番よいし、またそれが伝統・伝承であると藤岡さんもいおっしゃっていた。
彼は、歌の為になることは何でもチャレンジしていた・・・
バレー・今ではポピュラーになったアメリカのアレキサンダーテクニック・ヨガ・整体・
フェルデンクライスメソッド、他にも様々な事を、歌の発声の為に、取り入れた・・・
私は、そのエッセンスをいつも教えてもらっていたわけだ。
日本の音楽教育ではない・・・世界の中の日本の音楽教育を藤岡さんは変えたいと思っていた
音楽に対する感性が藤岡さんと私は大変近かったと思う・・・・
勿論・・・・・遥か遠い所は山のようにあったけれど・・・・
★ みなつきの つちさえさけて てるひにも わがそでひめや きみにあはずして
よみびとしらず
★ 陰暦の6月の、大地まで裂けるように照っている太陽にも私の袖は乾くであろうか・・
・・・・・あなたに逢えないままで・・・・
詠み人知らず
注・・・陰暦は大体ひと月ちょっと今の暦より早いと思って下さい。
この句は八月初旬ぐらいでしょうか?
朝夕は秋風がそっと忍び込む季節となりましたが、昼の太陽は変わらず照りつけていますね。
暑い太陽のように、あなたのことを思う心という、言い方も出来そうだけれど・・・・そこが、ちょいと
奥ゆかしい所ですね・・・・袖が乾くと詠うのは、袖が濡れているから・・・
照りつける太陽の暑さで汗が出ているのでしょうか・・・・いや、そうではないでしょう・・・・
・・・・あえない辛さに涙してしとど濡れてしまうと伝えたいのではないでしょうか?
比喩の表現ですね・・・・・
★ きみまつと あがこひおれば わがやどの すだれうごかし あきのかぜふく
ぬかたのおおきみ
★ あなたさまが 早くいらっしゃらないかしらと思って 恋しい気持ちでお待ち申し上げていると
、我が家の簾が揺れて・・・秋の風がそよそよと吹いている・・・・・まるで、私の心のように
これは、恋人を待つ女性の気持ちを見事に歌い上げていると思います
彼氏がぁ 部屋に遊びに来るって言うからぁ テレビ消して今か今かと、
音も立てずに待ってるのに あいつ中々来やがらない・・・・・
いらいらしちゃって、もしかしたら来ないかもとか、色々考えちゃって、それでも、窓から外をじっと
見てたんだタバコ吹かしてさ、煙が秋の風にす~っと流れていってたよ
ギャル風にアレンジするとこういう感じでしょうか・・・・・ギャルさま、失礼いたしました
でも、女性が恋する男性を待つ気持ちって、本当に今も昔もギャルも気取った女性も変わらない
恋ってそういうもの・・・・恋焦がれたあの人は本当にやってくるのかしら、
来ると言っていたけれど・・・・・・心配だわ・・・
揺れる女心というけれど・・・秋の風が簾を動かすさまに、女心を反映させて・・・・
心憎いばかりですね。心を、秋の風と揺れる簾に映している・・・・・・見事ですね
私も詠みたいな・・・・・こんな歌・・・・・
さて、万葉集ではこの和歌のすぐ後に、鏡王女(かがみのおおきみ)の歌を載せています。
鏡王女の作れる歌一首
★ 風をだに 恋ふるは羨し 風をだに 来むとしまたば 何か嘆かむ
鏡王女
★ かぜをだに こいふるはともし かぜをだに こむとしまだば なにかなげかむ
かがみのおおきみ
★ 風を恋しいとは羨ましい事です。 風を恋しいと待てるならば、そのような心を持てるならば
何を嘆く事があるのでしょうか?
風をだに・・・という句を二回も使っている・・・・
風を恋ふる人に例えているのではないでしょうか?
恋する人が居てが、そのお方を待つことが出来るならば、嘆く事などありはしない
そう考えると意味もわかり易い感じがします。
何故なら、額田王も鏡王女も天智天皇に愛されましたが、
後に鏡王女は藤原鎌足の正室となります。
そして、先に藤原鎌足が亡くなってしまうのです。
そう考えると、夫を亡くした寂しい妻の歌ようですね・・・
額田王の返歌という説もあるようですが・・・和へる歌(こたへるうた)とは書いていない・・・・・
作る歌と書いている・・・・編纂した人の意図があってこの2首を並べたのかもしれませんね