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★ わがさとに おおゆきふれり おおはらの ふりにしさとに ふらまくはのち
★ 私の居る飛鳥に雪が降りましたよ。
あなたのいる大原の古い里に降るのは、もっと後の事でしょう。
天武天皇 巻2-103
西暦672年、壬申の乱で近江は全滅、9月に飛鳥にひきあげた大海人皇子は、その年の12月に
飛鳥浄御原宮に入られて天皇になります。これが天武天皇です。
この歌は、天武天皇の大勢いらっしゃる奥様の中の(殿方は羨ましいことでしょう)お一人、
藤原鎌足の娘で、藤原夫人という方に送った歌です。
藤原夫人、これに和へて(こたへて)
■ わが岡の ?に言ひて 落らしめし 雪の摧けし 其処に散りけむ
■ わがおかの おかみにいひて ふらしめし ゆきのくだけし そこにちりけむ
■ こちらの里の竜神に言いつけて降らせた雪のかけらが、そちらにちらついただけでしょう。
藤原夫人 巻2-104
慣れ親しんだ夫婦の掛け合いですね。
ふりにしさとは ふらまくがのち・・・・「ふ」が二回続いています。
リズムが感じられ、雪をわくわく感じているような表現ですね。藤原夫人をからかうような・・・
でも、藤原夫人も、さすがです。負けてはいません。
こちらの竜神に私が頼んで降らせた雪があなたのところにも、ちょこっと降っただけなのよ・・
という訳です。二人ともに余裕が感じられる歌ですね。
昨日、9月25日は、一年の内で、私にとって大切な日です。
藤岡さんがこの世を旅立って、丸4年を迎えました。
あの日のことは、私の体のどこかに深く刻まれており、薄くなる事も、濃くなる事もありません。
苦しまずに旅立たれた事が、あの日の私の救いです。
藤岡さんに学んだ、歌唱の弟子としての年月は宝物のようなものです。
藤岡宣男さんとの出会いが会ったからこそ、今の私があります。
深い感謝の思いです。
声を出すという事、歌うという事、舞台に立つということの全てを教えていただいた、
珠玉のような時間は、体と心に刻まれています。
昨日もいらしたお客様が、
こんな素晴らしいカウンターテノールの歌声は今まで聞いたことがない。
惜しい方を亡くしましたね、と興奮気味におっしゃられて帰られました。
赤い薔薇が一輪飾られた、質疎な舞台に響く、この世にもういない歌手の歌唱のみでここまで
感動を与えられる・・・・やはり、凄い歌い手であった・・・という以外にないと思いました。
★ たまかずら はなのみさきて ならざるは たがこひにあらめ わがこひおむふを
★ 玉葛のように、花ばかりで実がならないのは、一体どちらの恋でしょう。私はこんなに
恋慕っておりますものを・・・・・
巨勢郎女 巻2-102
この恋のおかげで、彼女は近江朝とともに滅びた一族の中で、生きながらえたのだろうか・・・
この時代、女性にとって、恋が命がけになるのも、無理はないと思われます。
玉葛 実ならぬ樹には ちはやぶる 神そ着くといふ ならぬ樹ごとに
お友やん (2009年9月27日 13:09) | コメント(0) | トラックバック(0)
★ たまかづら みならぬきには ちはやぶる かみそつくといふ ならぬきごとに
★ 美しい葛のように、実のならない木(靡かない恋)には、凄い神が着く(靡かない相手に対しての
皮肉)といいます。全ての実のならない木・・・あなたという木にも・・・
大伴宿禰(おおとものすくね) 巻2-101
大伴宿禰は大伴旅人の父上です。
巨勢郎女(こせのいらつめ)を娉(つまど)ふ時に作れる歌・・・
「つまどふ」を、中西先生は「よばふ」とよんでいらっしゃるのですが、個人的な趣味で、
伊藤先生の読みの、「つまどふ」にしました。