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万葉歌手、辻友子のブログへようこそ! http://tomoko.ciao.jp
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★わがせこを やまとへやると さよふけて あかときつゆに われたちぬれし

★ 私の愛しい弟を 大和へ送るからと 夜も更けて そのうちに、明け方の露に濡れるまで

   立って見送っていました


                                           大伯皇女  巻2-105

あまりにも有名なこの歌は以前にも取り上げましたが、もう一度書きました。

姉であり、伊勢の斎宮であった大伯皇女と、謀反の罪であっという間に死刑に処せられた

姉弟の悲劇はあまうrにも悲しい物語です。

死を予感している姉が、この世で最後と尾思って、暁露に濡れても弟の去った道に

たち続けた思い・・・・運命を呪わずにはいられなかったことでしょう。

■ 二人行けど 行き過ぎ難き 秋山を いかにか君が独り越ゆらむ

■ ふたりいけど いきすぎがたき あきやまを いかにかきみが ひとりこゆらむ

■ 二人で行っても 越えるのが難しい秋の山を あなたはどのような気持ちで、たった独りで

  越えているのでしょうか・・・

                                      大伯皇女    巻2-106


露に濡れたまま立ち続けて弟を見送った姉は、死に向かう弟を想い・・・この歌を詠みました・・・

個人の力では抗い難い、運命に翻弄された姉と弟でした。

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何年ぶりでしょうか・・・沖縄に降り立ったのは・・・那覇の空港はとても綺麗になっていました。

格安航空券なのでスカイマークです。

水も出なけりゃ、おしぼりもあめもなし、雑誌もなし・・・3時間に近いフライトの間、じっと我慢の子でした。

国際通り沿いのホテルにチャックイン、一休みしてスタッフとともに食事に行き、

草食動物の私にしては珍しく、トンカツを頂きました。

国際通りを少しひやかして、ブルーシールアイスクリーム(沖縄にしかないそう)を食べて、

本日は明日に備えおやすみなさいです。

飛行機って気圧の差が激しくて疲れますよね。

国内とはいえ、なつかし~い南国の香りが仄かに漂ってくるようです。

バリを思い出しました。

明日はいよいよ、追悼慰霊と衣服支援のお手伝いです。

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翌朝、ホテルで洋食の朝食を済ますと、レンタカー会社の人の迎えを待ちました。

そう、今回、私が沖縄の追悼慰霊と衣服支援に参加させて貰えたのは、

スタッフがだれも運転免許証を持っておらず、私が運転手として選ばれたのです。

大体、このような活動に女性は不向きです。手早く動けないし、大きな荷物は持てないし、

下手すると自分が大きな荷物になりかねません。せいぜいムードメーカーといった程度でしょう。


沖縄は交通機関が発達しておらず、車がないと非常に不便で効率の悪い行動をとらねばばりません。

スタッフとともに車で、街中を廻りながら、路上で生活している人を捜しました。

時間帯のせいでしょうか・・・中々見つかりません。

途中、座り込んでいる男の人にスタッフが本土から来た訳を話して、

衣類に困っている人がいませんか?と、訪ねたところ、とまりんに沢山いるよと教えてくれました。

とまりんとは、港のある場所の通称です。我々は、とまりんに向かいました。

ところが、とまりんにも、あまりいません。

一人の老婦人が階段の所に座っていたので、

スタッフが「私たちは本土から衣類を持ってきましたが、使いませんか?」と、尋ねました。

その老婦人は明らかに路上生活者でしたが、

「間に合っているからいらない。ありがとう。」と、答えたそうです。

少し向こうに数名の男性がいました。中にかなり年を取った男性がいて、スタッフが

衣類を持って行くと、「秋冬物がなくて困っていた」と言って貰ってくれました。

若い男性も、タオルもあるの?と言って、一枚持っていきました。

もう一人、髪の伸びた男性に渡したと思います。短めのズボンやTシャツなどです。

海外と違って、豊かな日本の中で、路上生活者をしている人たちに、衣服を差し上げるのは、

難しい一面があります。

我々が行っている衣服支援の基本は、「物は大切に最後まで使う。物の始末をきちんとする」

という、日本の伝統的な慣習を実行しているだけです。

ただ、最近の日本は古着を差し上げるのも失礼になるからと、気を使って、まだまだ着用可能な

衣類が沢山ゴミとして捨てられています。その勿体なさと、一着の服を着たきりの

アジアの方々にその衣類を差し上げられないかしらという所から始まりました。

最初から大掛かりな事をすると続きませんから、

自分たちが出来るところからというスタンスで始められました。

以前から、NPO法人や大きなボランティア団体の内情に疑問を持っていた私は、

これほど明らかな支援はないと言う事、ジャンボ飛行機で運んでも、ひとり20㎏の手荷物で

運べるだけ運んでも、どちらにしても、大海の一滴にすぎないこと・・・・

要はできる事をやるかやらないかの違いだと思い、お手伝いをさせていただいています。

今回は国内ということで、違った意味で考えさせられました。

ひとまず、衣服を手渡すことに、きりをつけて、いよいよ、追悼慰霊に向かいます。

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沖縄より戻りました。

第2次世界大戦の沖縄戦で亡くなられた20万余の方々の追悼慰霊碑の並ぶ、平和の礎(いしじ)

と、白梅(しらうめ)の塔を訪ね、黙祷させていただきました。

又、私にとって初めての国内衣服支援のお手伝いをさせていただきました。

少しづつ、書いていきます。

ともかく、今日は帰ってすぐ、新聞社の取材もあり、くたびれましたが、充実した日でした。
明日は、ブログお休みします。
お友やん (2009年9月28日 11:36) | コメント(0) | トラックバック(0)

本日より、沖縄に参ります。

明後日、戻りますので、明日のみブログお休みしま~す。

沖縄物語書きます。

お楽しみに・・・・・
わが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 落らまくは後

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明日から、2泊3日で、沖縄に追悼慰霊・衣服支援のお手伝いに行きます。

お知り合いの方が、近しい方を沢山見送られた経験から、

自然に戦没者の慰霊に心が向かわれた活動を、

ほんのちょっとだけ、お手伝いさせて頂かせてもらっております。

昭和の歴史など恥ずかしい事に殆ど興味のなかった私ですが、お手伝いをしているうちに自然と

様々な事を知ることになりました。

第二次世界大戦の最後の激戦地 沖縄の話は、姫百合部隊のお話に留まらず、あまりに、

過酷で残酷です。

戦争のない幸せな時代に生まれた自分の幸せを思うと同時に、

自決したり、同じ日本人から殺されたりした、若い人々の事を思うと

戦争のさなかで、生きたくても生きられなかった無念の想いが伝わってきます。

同じ日本人なのに・・・・

彼らの思いを知ることは、日本人としての、義務なのではないかとさえ思います。

そして、如いては日本を知ることになると思います。

たまたまご縁があって、お手伝いをさせていただく幸運を大切にしたいと思います。

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