×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
PR
今は亡き我が師匠、藤岡宣男が、
「みんな一生懸命生きているんだと思うといとおしい」
と言っていたことがあった。
人生の全てを歌う事に賭けていた藤岡宣男・・・流行の鬱真っ盛りで自分のことに精一杯だった
私は、師匠自身も大変なのに、何故そんなに余裕があるんだろうと思ったものだ。
今は思う・・・そう思うから、歌っているのだと・・・
師匠自身も私も具合が悪いのに、必死でレッスンをした。
お互い調子がいいとレッスン時間は5時間に及んだ。
忘れられない思い出であり、何よりも変えがたい私の真実である。
私はそれに残りの人生を賭けようと思ったのです。
私の人生の真実がそこにあるから・・・その真実を見極めたいから・・・・
藤岡さん、あなたの歌声をもう一度聞きたいです。
何度舞台で共演した事でしょうか・・・今となっては私の宝箱の中の宝石のような思い出であり、
変えられない貴重な経験です。
貴方を目指して歌います。それしか、わたしには 残されていません。
そこにしか、私の人生の真実はないのです。
藤岡宣男と言う山を目指して、歩んで生きたい・・・
★ うまないたく うちてないきそ けならべて みてもわがゆく しがにあらなくに
★ 馬をそんなに強く打って走るのではないぞ。幾日も日を並べて見続けていける志賀の地では
ないのだから・・・・
巻3-263 形部垂麻呂(おさかべのたりまろ)
その土地を旅するとき、必ずと言ってよいほど、土地褒めの歌が作られます。
それは、その土地にお邪魔する(横切る、もしくは訪ねる)よそ者としての、その土地の神様に対する
ご挨拶のようなものです。いまでも、地鎮祭というのを、土地を買って家を建てるときに、行います。
「このたび、この土地にお邪魔させていただきます。何卒宜しくお願い申し上げます」という、気持ちですね。
人の家に上がるのと同じ事です。そして、その土地を良く見て、歌を作り、土地褒めをするのです。
地霊賛歌とでもいいましょうか・・・・
★ やつりやま こだちもみえず ふりまがふ ゆきのさわける あしたたのしも
★ 矢釣山の木立も見えなくなるほどに降りまがい雪が乱れふる朝は楽しい事です
巻3-262 柿本人麻呂
奈良盆地は大雪が少ないので、大雪を楽しむという心のゆとりがあるのでしょう。
これが、大雪の地方でしたら、とてもではないですね・・・・
でも、現代は雪が降らない地域も「雪が降って楽しむ」と言う心のゆとりは失われました。
ゆとり教育などととんでもない嘘八百がありましたが、ゆとりとはそんなものではないと思います。
今降る雪を楽しむ心のゆとり・・・でしょう・・・きょうはゆとりの時間で~ス・・・なんて、ちゃんちゃら
おかしなお話です。