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お昼に、NHK教育で、上田誠さんという奈良大学の教授の万葉集と鑑真についての特集を放送
していました。
同じ福岡の出身ということもあって、興味深く話を聞きました。
学者さんにには、珍しい意見だと感じました。
万葉集はその当時の生活観を感じながら読みそして、感じる事が大切であるということ、
言霊のお話・・・・・私は意見なぞ全く出来ないけれど、簡単に言うと、
学校教育の古典としてではなく、歴史書として、また民俗学として、また恋愛の手ほどき書と
して、幅広く万葉集を、自分の祖先のお話として読み感じる事・・・と言う風におっしゃられていた
と思います。
恥ずかしながら、難しい事が分からない私は、むしろ、先生のおっしゃっているように
しか読めないので、大変、意を強くして「そうよ、その通りよ」と、お話を聞いていました。
学者の方にこのような意見が出てきた事を、とても嬉しく思いました。
ますます、万葉歌手 辻 友子 頑張ります!!
★ ももつたふ いはれのいけに なくかもを けふのみみてや くもがくりなむ
★ 百に至る五十(い)・・・磐余の池に鳴いている鴨を、今日を限りに見ただけで、
私は雲の彼方に隠れてしまうのだろうか・・・・・・
巻3-416 大津皇子
大津皇子の死(みまか)らしえし時に、磐余の池の堤にして涕を流して作りませる御歌一首
次の天皇にふさわしい、度量と器量を持っていたが故に、謀反の罪を着せられる羽目になった
大津皇子・・・若干24歳でした・・・無念さはあまりあるでしょう・・・・24歳の若者が、謀に
乗せられ殺される前に詠んだ歌・・・見事です。
この頃、死ぬ・・・という表現の一つに、雲隠れする・・・と言います。自然の中に、戻っていく・・
そういう感じがします。
★ 百に至る五十(い)・・・磐余の池に鳴いている鴨を、今日を限りに見ただけで、
私は雲の彼方に隠れてしまうのだろうか・・・・・・
巻3-416 大津皇子
大津皇子の死(みまか)らしえし時に、磐余の池の堤にして涕を流して作りませる御歌一首
次の天皇にふさわしい、度量と器量を持っていたが故に、謀反の罪を着せられる羽目になった
大津皇子・・・若干24歳でした・・・無念さはあまりあるでしょう・・・・24歳の若者が、謀に
乗せられ殺される前に詠んだ歌・・・見事です。
この頃、死ぬ・・・という表現の一つに、雲隠れする・・・と言います。自然の中に、戻っていく・・
そういう感じがします。
★ いへにあれば いもがてまかむ くさまくら たびにこやせる このたびとあはれ
★ 家にいたならば、 愛する妻が手枕をしてくれたであろうに・・・旅先で草を枕に死して
臥せているこの旅人よ・・・なんといたわしい・・・・
巻3-415 上宮聖徳太子(かみつみやのしやうとこのみこ)
日本書紀から)
級(しな)照る 片岡山に 飯(いひ)に飢(ゑ)て 臥せる その旅人あはれ 親なしに
汝(なれ)生(な)りけめや 刺(さす)竹の 君はや無き 飯(いひ)に飢(ゑ)て
臥せる その旅人あはれ
いよいよ、挽歌です。
死についての歌です。日本人は死から離れすぎました。死について・・・・万葉を通して
観ていきたいと思います。
最初の和歌は聖徳太子の歌です。昔は、旅人の死体など、珍しくなかったでしょう。
それだけ、旅は苦しく、死は身近なものであったでしょう。