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★ つのさはふ 磐余の道を 朝さらず 行きけむ人の 思ひつつ 通ひけまくは 霍公鳥
鳴く五月には 菖蒲草 花橘を 玉に貫き かづらにせむと 九月の 時雨の時は
黄葉を 折りかざさむと 延ふ葛の いや遠長く 万代に 絶えじと思ひて 通ひけむ
君をば明日ゆ 外にかも見む
★ つのさはふ いはれのみちを あささらず ゆきけむひとの おもひつつ かよひけまくは
ほととぎす なくさつきには あやめぐさ はなたちばなを たまにぬき かづらにせむと
ながつきの しぐれのときは もみぢばを おりかざさむと はふくずの いやとほながく
よろずよに たえじとおもひて かよひけむ きみをばあすゆ よそにかもみむ
★ 岩がごつごつとした、磐余の道を、毎朝のように通って行ったあなたが、あれこれと
空想しながら歩いていった事には、ホトトギスの鳴く五月には、菖蒲や橘の花を
糸に貫き通して、髪飾りにしようと、九月の長雨の時には、もみぢ葉を、折って髪に
刺そうと、延びる葛のつたのように、いっそう長く、、万代の後までも、絶やす事無く、
通ったであろうあなたの事を、明日からは、あの世の人見ることが出来るのだろうか
・・・・・・
巻3-413 山前王
あるいは、柿本人麻呂の作、もしくは添削、代作・・・とも言われている。
これは、明らかに、男性から男性への愛の歌と思います。
歴史的にみれば、不思議な事でも何でもありませんね。まず、殿方は殿方に惚れて
惚れぬいた後、女性を大切にし、愛する事が出来るのでは・・・・と、私は思います。
現代の、同性愛とは、意味合いが少し違うと思います。
★ いそのかみ ふるのやまなる すぎむらの おもひすぐべき きみにあらなくに
★ 石上の布留の山の杉の群のように、忘れ去られてしまうようなわが君では有りませんのに
巻3-422 丹生王
この長歌から始まる3首から私が感じる事は、現代の性差の意識と全く違う・・・・男女の性が重なる
ような部分があると思う。上手くいえないが、例えば男にも優美さを感じ、美しさを感じ、それが、
当たり前であるということ・・・。でも、西洋のそれとは、違う何か・・・
反歌 : 逆言の狂言とかも 高山の 巌のうへに 君が臥せる
お友やん (2010年6月25日 13:50) | コメント(0) | トラックバック(0)
★ およづれのたはごととかも たかやまの いはほのうへに きみがこやせる
★ 不吉な惑わし言のたわけた話だというのですか?高い山の巌のうえに、あなたは臥して
おられるという・・・・
巻3-421 丹生王