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今、T学園音楽部器楽科でピアノを学んでいる娘が、
中学生のとき、ご縁があり、様々なヨーロッパのピアノを
聞く機会を得た。娘はさるオランダ人の先生から高い評価を受け
レッスンを始めたのだが、毎回、違うピアノでレッスンをすると言う
凄く贅沢な機会に恵まれた・・・
と言っても、本人は自覚が無かったけれど・・
ザウター、ショパン愛用のプレイエル、他にも色々・・・
娘より私が興奮して、試演しまくっていた。
そして、7台ほどのヨーロッパのピアノを
聴き比べると言う、これまた、贅沢な貴重な講座を
受けに行った。
そこで、新しいべヒシュタインと、古いべヒシュタインを
娘と私はそれぞれ、好きな音色として選んだ。
プレイエルなどは、音そのものがショパンの音に聞こえ、
プレイエルで弾くだけで、ヤマハのピアノで
苦労して弾かなくても、ある程度ショパンの音楽は
できるのでは・・・と、感じたほどだった。
先日、ドビュッシー生誕150周年と言う事もあって
日本橋のブリジストン美術館で、開催されている
絵画とドビュッシーの展示会??を見にいった。
絵画も、素晴らしかった。私も好きなモーリス・ドニの
絵も素敵だった。若くてきれいな女性のチェリストの
生演奏をバックに、絵を眺めると言う、贅沢な
時間を過ごさせてもらった。何気なく頂いたちらしに
ドビュッシーがべヒシュタインを愛用していたことを知り、
とても頷けるものがあった。
音と色は切り離せない・・・
立体的な音色で彩られるドビュッシーの音楽に
べヒシュタインはぴったりかもしれない。
と、ピアノ素人の私は勝手に想像した。
そうそう、ドビュッシー自筆の楽譜も結構
あった。几帳面そうな、丁寧な楽譜の
書き方だった。
中々、面白い趣向を凝らした展示会だったので
みなさまも、一度お行きになられることを
お勧め致します。
追伸:帰りにドビュッシーの顔面金太郎飴を買った(笑)
中学生のとき、ご縁があり、様々なヨーロッパのピアノを
聞く機会を得た。娘はさるオランダ人の先生から高い評価を受け
レッスンを始めたのだが、毎回、違うピアノでレッスンをすると言う
凄く贅沢な機会に恵まれた・・・
と言っても、本人は自覚が無かったけれど・・
ザウター、ショパン愛用のプレイエル、他にも色々・・・
娘より私が興奮して、試演しまくっていた。
そして、7台ほどのヨーロッパのピアノを
聴き比べると言う、これまた、贅沢な貴重な講座を
受けに行った。
そこで、新しいべヒシュタインと、古いべヒシュタインを
娘と私はそれぞれ、好きな音色として選んだ。
プレイエルなどは、音そのものがショパンの音に聞こえ、
プレイエルで弾くだけで、ヤマハのピアノで
苦労して弾かなくても、ある程度ショパンの音楽は
できるのでは・・・と、感じたほどだった。
先日、ドビュッシー生誕150周年と言う事もあって
日本橋のブリジストン美術館で、開催されている
絵画とドビュッシーの展示会??を見にいった。
絵画も、素晴らしかった。私も好きなモーリス・ドニの
絵も素敵だった。若くてきれいな女性のチェリストの
生演奏をバックに、絵を眺めると言う、贅沢な
時間を過ごさせてもらった。何気なく頂いたちらしに
ドビュッシーがべヒシュタインを愛用していたことを知り、
とても頷けるものがあった。
音と色は切り離せない・・・
立体的な音色で彩られるドビュッシーの音楽に
べヒシュタインはぴったりかもしれない。
と、ピアノ素人の私は勝手に想像した。
そうそう、ドビュッシー自筆の楽譜も結構
あった。几帳面そうな、丁寧な楽譜の
書き方だった。
中々、面白い趣向を凝らした展示会だったので
みなさまも、一度お行きになられることを
お勧め致します。
追伸:帰りにドビュッシーの顔面金太郎飴を買った(笑)
北緯約52度のハバロフスク地方のエポロン村・・・
30度の暑さの中、地元の若者10人ほどが、アブや蜂が
近寄るのも気にせず、上半身裸になって、スコップで、
地面を掘る。探しているのは、第2次世界大戦後、ソ連に
抑留されて亡くなった日本人の遺骨である。
冬は氷点下40度近い厳寒地になる、エポロン村・・・
日本人は、バイカル・アムール鉄道(バム鉄道)建設などの
重労働を強制された。
同村での、遺骨収容は、一昨年に始まったばかり。現在、
120柱の遺骨が見つかっている。
現場で作業するのは、いまどきのロシアの若者たち。何故
日本人がここに埋められたか知っているのか尋ねると、
大学生のアレクセイ・ナビドフさん(18)は「抑留の歴史を
知っているので、一人でも多くの遺骨を見つけてあげたい」
と神妙に話した。
遺骨収容は日本の厚生労働省の派遣団が行うが、片山
和宏・派遣団長は「遺骨収集は作業員をはじめ、ロシア側
の協力を得て進めている」と話す。身元が分かる遺骨は
少ない。
独裁者スターリンは日本人約57万5千人を抑留し、約5万
5千人が、亡くなったとされる。このうち、収容された遺骨は
2万1000柱。今なお、約3万人4000柱が極東をはじめとする
旧ソ連とモンゴルの大地に眠る。
(読売新聞コラムより)
私も舞台で歌う、「山小舎の灯」や、美空ひばりの
「リンゴ追分」 「津軽のふるさと」 「車屋さん」
などの作曲家である米山正夫氏も、シベリアに抑留された、
帰還兵である。
30度の暑さの中、地元の若者10人ほどが、アブや蜂が
近寄るのも気にせず、上半身裸になって、スコップで、
地面を掘る。探しているのは、第2次世界大戦後、ソ連に
抑留されて亡くなった日本人の遺骨である。
冬は氷点下40度近い厳寒地になる、エポロン村・・・
日本人は、バイカル・アムール鉄道(バム鉄道)建設などの
重労働を強制された。
同村での、遺骨収容は、一昨年に始まったばかり。現在、
120柱の遺骨が見つかっている。
現場で作業するのは、いまどきのロシアの若者たち。何故
日本人がここに埋められたか知っているのか尋ねると、
大学生のアレクセイ・ナビドフさん(18)は「抑留の歴史を
知っているので、一人でも多くの遺骨を見つけてあげたい」
と神妙に話した。
遺骨収容は日本の厚生労働省の派遣団が行うが、片山
和宏・派遣団長は「遺骨収集は作業員をはじめ、ロシア側
の協力を得て進めている」と話す。身元が分かる遺骨は
少ない。
独裁者スターリンは日本人約57万5千人を抑留し、約5万
5千人が、亡くなったとされる。このうち、収容された遺骨は
2万1000柱。今なお、約3万人4000柱が極東をはじめとする
旧ソ連とモンゴルの大地に眠る。
(読売新聞コラムより)
私も舞台で歌う、「山小舎の灯」や、美空ひばりの
「リンゴ追分」 「津軽のふるさと」 「車屋さん」
などの作曲家である米山正夫氏も、シベリアに抑留された、
帰還兵である。