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北緯約52度のハバロフスク地方のエポロン村・・・
30度の暑さの中、地元の若者10人ほどが、アブや蜂が
近寄るのも気にせず、上半身裸になって、スコップで、
地面を掘る。探しているのは、第2次世界大戦後、ソ連に
抑留されて亡くなった日本人の遺骨である。
冬は氷点下40度近い厳寒地になる、エポロン村・・・
日本人は、バイカル・アムール鉄道(バム鉄道)建設などの
重労働を強制された。
同村での、遺骨収容は、一昨年に始まったばかり。現在、
120柱の遺骨が見つかっている。
現場で作業するのは、いまどきのロシアの若者たち。何故
日本人がここに埋められたか知っているのか尋ねると、
大学生のアレクセイ・ナビドフさん(18)は「抑留の歴史を
知っているので、一人でも多くの遺骨を見つけてあげたい」
と神妙に話した。
遺骨収容は日本の厚生労働省の派遣団が行うが、片山
和宏・派遣団長は「遺骨収集は作業員をはじめ、ロシア側
の協力を得て進めている」と話す。身元が分かる遺骨は
少ない。
独裁者スターリンは日本人約57万5千人を抑留し、約5万
5千人が、亡くなったとされる。このうち、収容された遺骨は
2万1000柱。今なお、約3万人4000柱が極東をはじめとする
旧ソ連とモンゴルの大地に眠る。
(読売新聞コラムより)
私も舞台で歌う、「山小舎の灯」や、美空ひばりの
「リンゴ追分」 「津軽のふるさと」 「車屋さん」
などの作曲家である米山正夫氏も、シベリアに抑留された、
帰還兵である。
30度の暑さの中、地元の若者10人ほどが、アブや蜂が
近寄るのも気にせず、上半身裸になって、スコップで、
地面を掘る。探しているのは、第2次世界大戦後、ソ連に
抑留されて亡くなった日本人の遺骨である。
冬は氷点下40度近い厳寒地になる、エポロン村・・・
日本人は、バイカル・アムール鉄道(バム鉄道)建設などの
重労働を強制された。
同村での、遺骨収容は、一昨年に始まったばかり。現在、
120柱の遺骨が見つかっている。
現場で作業するのは、いまどきのロシアの若者たち。何故
日本人がここに埋められたか知っているのか尋ねると、
大学生のアレクセイ・ナビドフさん(18)は「抑留の歴史を
知っているので、一人でも多くの遺骨を見つけてあげたい」
と神妙に話した。
遺骨収容は日本の厚生労働省の派遣団が行うが、片山
和宏・派遣団長は「遺骨収集は作業員をはじめ、ロシア側
の協力を得て進めている」と話す。身元が分かる遺骨は
少ない。
独裁者スターリンは日本人約57万5千人を抑留し、約5万
5千人が、亡くなったとされる。このうち、収容された遺骨は
2万1000柱。今なお、約3万人4000柱が極東をはじめとする
旧ソ連とモンゴルの大地に眠る。
(読売新聞コラムより)
私も舞台で歌う、「山小舎の灯」や、美空ひばりの
「リンゴ追分」 「津軽のふるさと」 「車屋さん」
などの作曲家である米山正夫氏も、シベリアに抑留された、
帰還兵である。