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コンサートホールであろうが、ライブハウスであろうが、
原っぱであろうが、ひとまず、どなたかの音楽の
パフォーマンスを「聴き」に行く・・・・
しかし、これは、実は耳で聴くだけではない、というより、
お客様は聴いているつもりだが、視覚・・・
要するに見た目が7割と言われている。
聴いていると、思っている本人は気付いていない。
また、耳に聞こえない音の振動を肌でも感じている。
臭覚や触覚は、時と場合によるが、
視覚・聴覚そして、皮膚の感覚(まぁ、これを広義に触覚
としてもよいかもしれないが、主体的なものではないので)
で、私達は音楽を感じている・・・凝ったコンサートは、
お香やアロマの香りの演出で、臭覚にもイメージを与える
こともあるだろう。
しかし、大方、視覚・聴覚・肌感覚の触覚であろう。
それら、全ての感じ方で、上手いねとか、音がきれいね、
とか、感動したね、とか、好きとか嫌いとか、感想を話し合うのである。
これが、「一般的な音楽の感じ方」であろう。
と、ここで、もう一つ、言っておこう。
私は、「音楽」は、感じるもので、「頭で解釈する」ものではないと、
思っている。
「頭で解釈する」ことを別名「専門的に」などという言い方をする。
一般の観客は分からない部分を「あの曲の、この部分の解釈は
さすがだ」とか、「あの部分の技術をあのように弾ける(歌える)
なんて凄い」とか・・・・諸々
このような人々は、根強いクラシックファンに多い。
けれど、ごくごく普通の日本人は、そこまで解らない。
でも、そういうごくごく普通の方たちが、リラックスして楽しめて、
気分良く、音楽を味わえるクラシックコンサートを開催しなければ、
クラシック人口は目減りして行く一方であろう。
私も、歌い手の端くれとして、クラシックの行く末を心配している
原っぱであろうが、ひとまず、どなたかの音楽の
パフォーマンスを「聴き」に行く・・・・
しかし、これは、実は耳で聴くだけではない、というより、
お客様は聴いているつもりだが、視覚・・・
要するに見た目が7割と言われている。
聴いていると、思っている本人は気付いていない。
また、耳に聞こえない音の振動を肌でも感じている。
臭覚や触覚は、時と場合によるが、
視覚・聴覚そして、皮膚の感覚(まぁ、これを広義に触覚
としてもよいかもしれないが、主体的なものではないので)
で、私達は音楽を感じている・・・凝ったコンサートは、
お香やアロマの香りの演出で、臭覚にもイメージを与える
こともあるだろう。
しかし、大方、視覚・聴覚・肌感覚の触覚であろう。
それら、全ての感じ方で、上手いねとか、音がきれいね、
とか、感動したね、とか、好きとか嫌いとか、感想を話し合うのである。
これが、「一般的な音楽の感じ方」であろう。
と、ここで、もう一つ、言っておこう。
私は、「音楽」は、感じるもので、「頭で解釈する」ものではないと、
思っている。
「頭で解釈する」ことを別名「専門的に」などという言い方をする。
一般の観客は分からない部分を「あの曲の、この部分の解釈は
さすがだ」とか、「あの部分の技術をあのように弾ける(歌える)
なんて凄い」とか・・・・諸々
このような人々は、根強いクラシックファンに多い。
けれど、ごくごく普通の日本人は、そこまで解らない。
でも、そういうごくごく普通の方たちが、リラックスして楽しめて、
気分良く、音楽を味わえるクラシックコンサートを開催しなければ、
クラシック人口は目減りして行く一方であろう。
私も、歌い手の端くれとして、クラシックの行く末を心配している