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午後は、「物理学・宇宙と仏教」です。
最初は、「ゆらぎ理論」の第一人者であり、NASA客員研究員、
現在は、JAXAの宇宙連詩編集委員会委員長を努める一方で
宇宙研究を平和教育の題材として全国の学校で授業を続ける
と言う、実際の教育の現場での活動もされている、鈴鹿短期大学
学長の佐治博士の、講演でした。
佐治先生の講演は、ご縁があって、何回か聴かせて頂き、強い感動
を覚えたものでした。
そういう意味では、おっしゃりたいことは、僭越ながら理解できたほう
だと思います。
勿論、この会は、専門家を対象にはしていないので、講演される先生
方は、この難しいテーマを、聴いている方のこころに降ろすのには、かなり
のご苦労があられた事と存じます。
佐治博士は、人間も最初は四足歩行だったものが、立ち上がる
ことを覚えて、脳を支えることが容易くなり、頭(脳)が、発達し、
その代わりに歩行に都合が良いように、背骨も曲がり、骨盤が狭くなった。
そして、狭くなった骨盤からは、3分の2まで頭蓋骨を縮めて、出産をし、
自立歩行が出来ない人間が生まれ、「人」だけが、「教育」と言うものが
必要になった。しかし、立ち上がったお陰で、声帯に微妙な変化が起こり、
大脳化したお陰で、複雑な言語を獲得できた。
と言う、お話。また、時間の概念のお話・・・これは、私にはまだ理解が難しくて、
ここに記すことが出来ません。
また、人は永遠に、実際の自分の姿を見ることは出来ない・・・と言うことです。
鏡に映った自分は「鏡に映った自分」ですから・・・・これは、哲学に通じるお話
です。
そして、次は東大大学院理学系研究科附属ビックバン宇宙国際研究センター
教授である、横山順一教授。ちょっと、お話が私には難しかったので、その場で
理解しようと努めるのが精一杯・・・メモを取る余裕はありませんでした。
・・・・・・情けない・・・・・
偶々、夜のパーティーで、横山教授のお母様と、私のお知り合いの方が、とても
親しくお仕事されておられると、分かり、世間の狭さを感じたものでした。
そして、その日の最後は、京都大学基礎物理学研究所助教授・慶應義塾大学
理工学部名誉教授で、女性では初の日本物理学会長をお努めになるなど、日本の
女性科学者の草分け的存在でいらっしゃる、米沢冨美子理学博士の講演でした。
何しろ、経歴をお書きするだけでも、私の頭(こうべ)が垂れそうな方ばかり・・・・
でも、米沢博士のお話は時間が押して、ゆっくり、お話を伺えなかったのが残念ですが
私の大好きな「曖昧」という言葉を使っての、物理科学のお話でした。
印象的だった言葉があります。
今の科学は、分からない事は分からない・・・と言う事が分かった時代である・・
ということでした・・・・・
★ ねもころに ものを思へば 言はむすべ
せむすべもなし 妹と我と 手携はりて
朝には 庭に出で立ち 夕には 床うち払ひ
白栲の 袖さし交へて さ寝し夜や 常にありける
あしひきの 山鳥こそば 峰向かひに 妻問ひすといへ
うつせみの 人なる我や 何すとか 一日一夜も
離り居て 嘆き恋ふらむ ここ思へば 胸こそ痛き
そこゆゑに 心和ぐやと 高円の 山にも野にも
うち行きて 遊び歩けど 花のみし にほひてあれば
見るごとに まして偲はゆ いかにして 忘れるものそ
恋といふものを
★ ねもころに ものをおもへば いはむすべ
せむすべもなし いもとあれと てたづさはりて
あしたには にわにいでたち ゆふへには
とこうちはらひ しろたへの そでさしかへて
さねしよや つねにありける あしひきの
やまどりこそば をむかひに つまどひすといへ
うつせみの ひとなるわれや なにすとか
ひとひひとよも さかりゐて なげきこふらむ
ここもへば むねこそいたき そこゆゑに
こころなぐやと たかまとの やまにものにも
うちゆきて あそびあるけど はなのみし
にほひてあれば みるごとに ましてしのはゆ
いかにして わすれむものそ こひといふものを
★ つくづくとものを思うと、言いようもなく、なすすべも
なく 貴女と私、手を携えて、朝は庭に出て立ち、
夕べは、寝床を清め祓い、しろたへの衣の袖を
交じわして寝た夜は、いつもいつもあった。
山鳥は、峰の向かいに妻を訪ねると言う。
この世の人である私は、どうして、一日一夜でも
あなたと離れていて、嘆き恋うのだろうか・・・
このことを思うと、胸が痛くなる・・・それゆえに
こころを慰めようと、高円の野にも山にも、
出かけていって、遊び歩くのだが、花ばかりが
美しく咲いていて、見るほどに更に貴女への
思いが募る。どうやって忘れたら良いのだろうか
・・・・・恋というものを・・・・
巻8-1629 大伴宿禰家持
なんて、情熱的な恋歌でしょうか・・・・
恥ずかしげもなく、自分の思いを赤裸々に
歌に託して・・寧ろ、男らしい気がするのは
何故でしょう・・・
せむすべもなし 妹と我と 手携はりて
朝には 庭に出で立ち 夕には 床うち払ひ
白栲の 袖さし交へて さ寝し夜や 常にありける
あしひきの 山鳥こそば 峰向かひに 妻問ひすといへ
うつせみの 人なる我や 何すとか 一日一夜も
離り居て 嘆き恋ふらむ ここ思へば 胸こそ痛き
そこゆゑに 心和ぐやと 高円の 山にも野にも
うち行きて 遊び歩けど 花のみし にほひてあれば
見るごとに まして偲はゆ いかにして 忘れるものそ
恋といふものを
★ ねもころに ものをおもへば いはむすべ
せむすべもなし いもとあれと てたづさはりて
あしたには にわにいでたち ゆふへには
とこうちはらひ しろたへの そでさしかへて
さねしよや つねにありける あしひきの
やまどりこそば をむかひに つまどひすといへ
うつせみの ひとなるわれや なにすとか
ひとひひとよも さかりゐて なげきこふらむ
ここもへば むねこそいたき そこゆゑに
こころなぐやと たかまとの やまにものにも
うちゆきて あそびあるけど はなのみし
にほひてあれば みるごとに ましてしのはゆ
いかにして わすれむものそ こひといふものを
★ つくづくとものを思うと、言いようもなく、なすすべも
なく 貴女と私、手を携えて、朝は庭に出て立ち、
夕べは、寝床を清め祓い、しろたへの衣の袖を
交じわして寝た夜は、いつもいつもあった。
山鳥は、峰の向かいに妻を訪ねると言う。
この世の人である私は、どうして、一日一夜でも
あなたと離れていて、嘆き恋うのだろうか・・・
このことを思うと、胸が痛くなる・・・それゆえに
こころを慰めようと、高円の野にも山にも、
出かけていって、遊び歩くのだが、花ばかりが
美しく咲いていて、見るほどに更に貴女への
思いが募る。どうやって忘れたら良いのだろうか
・・・・・恋というものを・・・・
巻8-1629 大伴宿禰家持
なんて、情熱的な恋歌でしょうか・・・・
恥ずかしげもなく、自分の思いを赤裸々に
歌に託して・・寧ろ、男らしい気がするのは
何故でしょう・・・