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時々、ニュース・天気予報以外の
テレビを見ることがある。
その一つに、放送大学がある。
偶然に、興味のある事についての
講義があったりすると、なんとはなしに
見てしまう。
今日は、ザビエルが日本にキリスト教を布教に来た頃
その当時の、長崎県や山口県の音楽、
また、薩摩びわ・筑紫琴などに
グレゴリオ聖歌や、西洋の
楽器や音楽様式の影響を受けているのでは
ないか?と言う講義であった。
一時期、中世・ルネサンス音楽が、大好きだった
時代があったので、つい、見てしまった。
皆川達夫先生や、金沢正剛さんの著書や
レクチャーにも行き
「おらしょ」も、CDで聴いたことがある。
私が、気になったのは、その内容ではなく、
講義する先生のしゃべり方だった。
「今のところ、音楽史や音楽学の中で~と言われていますし
その確固たる証拠もありませんが、賢順がうんぬんかんぬん
して、西洋の、リュートやオルガンまた、和声的な影響を
受けた可能性は、あると思います」
この話からすると、この先生は、日本古来の楽器や、
音楽の中に、西洋のキリスト教音楽の影響は確実にあると
言いたい所を、まだ、証拠も無く、主流派ではないので、
このような言い方になったのだろう。
証拠はただ見つかっていないだけかもしれない。
文献に無くとも、例えば、八橋検校が、西洋の音楽を
偶々耳にして感動し、「六段」と言う曲を作曲したかもしれない。
でも、「時代性の中の立場」上、このような話し方になるのだろう。
その当時の音楽にまつわる事が、全て文献になったり、
ましてや
楽譜や音源になったりしていることは、ありえない。
でも、後の時代の学者達の多くは、
あるものしか認めようとしない。
犯罪で言えば・・・証拠不十分だから・・・・
でも人殺しではないのだから、冤罪には問われないと
思うのだけれど・・・・
突然、「証拠」が出てきたら、ちゃぶ台(古いねぇ)を、ひっくり返すように
諸説が変わるのである。いや、あまりに根本的な出来事だと
その土台の上に、成り立つ多くの学者の説は全て、×になるので
権威や権力によって揉み消されるかもしれない。
だから、あらゆることに関しての「今の説」も、不確定要素多数なのだ。
以前、「情報」と言うテーマで書いた事に、通じる話ですが、
「今の説」も、絶対的なものではなく、常に変化して行くのである。
どなたかの偉い先生のお話を聞くのは、とても大切だけれど、
そのお話を、「自分の感性」と言うフィルターを必ず通して受け入れる事が
大切だと思う。
大先生も、最初は「ひらめき」なのだから・・・
証拠や証明は後から付いてくるのです・・・・なんちゃって、
あなた、何様よ!!
テレビを見ることがある。
その一つに、放送大学がある。
偶然に、興味のある事についての
講義があったりすると、なんとはなしに
見てしまう。
今日は、ザビエルが日本にキリスト教を布教に来た頃
その当時の、長崎県や山口県の音楽、
また、薩摩びわ・筑紫琴などに
グレゴリオ聖歌や、西洋の
楽器や音楽様式の影響を受けているのでは
ないか?と言う講義であった。
一時期、中世・ルネサンス音楽が、大好きだった
時代があったので、つい、見てしまった。
皆川達夫先生や、金沢正剛さんの著書や
レクチャーにも行き
「おらしょ」も、CDで聴いたことがある。
私が、気になったのは、その内容ではなく、
講義する先生のしゃべり方だった。
「今のところ、音楽史や音楽学の中で~と言われていますし
その確固たる証拠もありませんが、賢順がうんぬんかんぬん
して、西洋の、リュートやオルガンまた、和声的な影響を
受けた可能性は、あると思います」
この話からすると、この先生は、日本古来の楽器や、
音楽の中に、西洋のキリスト教音楽の影響は確実にあると
言いたい所を、まだ、証拠も無く、主流派ではないので、
このような言い方になったのだろう。
証拠はただ見つかっていないだけかもしれない。
文献に無くとも、例えば、八橋検校が、西洋の音楽を
偶々耳にして感動し、「六段」と言う曲を作曲したかもしれない。
でも、「時代性の中の立場」上、このような話し方になるのだろう。
その当時の音楽にまつわる事が、全て文献になったり、
ましてや
楽譜や音源になったりしていることは、ありえない。
でも、後の時代の学者達の多くは、
あるものしか認めようとしない。
犯罪で言えば・・・証拠不十分だから・・・・
でも人殺しではないのだから、冤罪には問われないと
思うのだけれど・・・・
突然、「証拠」が出てきたら、ちゃぶ台(古いねぇ)を、ひっくり返すように
諸説が変わるのである。いや、あまりに根本的な出来事だと
その土台の上に、成り立つ多くの学者の説は全て、×になるので
権威や権力によって揉み消されるかもしれない。
だから、あらゆることに関しての「今の説」も、不確定要素多数なのだ。
以前、「情報」と言うテーマで書いた事に、通じる話ですが、
「今の説」も、絶対的なものではなく、常に変化して行くのである。
どなたかの偉い先生のお話を聞くのは、とても大切だけれど、
そのお話を、「自分の感性」と言うフィルターを必ず通して受け入れる事が
大切だと思う。
大先生も、最初は「ひらめき」なのだから・・・
証拠や証明は後から付いてくるのです・・・・なんちゃって、
あなた、何様よ!!
師匠 藤岡宣男とも、レッスンで、いつも話していた。
「歌う」と言う事は、体にも心にもいい事しかないから、
いいよね・・・と・・
実際に、私は、6時半から7時には必ず起きるし、
(まぁ、家人を駅まで車で送るのが日課なので、
そうなってしまうのだが、)朝の太陽を見ると
もう、なんとも言えず幸せな気分・・・・
本当に、お天道様はありがたいものです。
でも、雨なら雨で、その日はひっそりと、
本を読んだり、片づけをしたり、それはそれで、
良いものです。雷なんて、大好き!!
ピカッと光ると、来るぞ、来るぞと妙に
興奮するのはなぜかしら・・・・私だけ??
話がそれました。
「歌う」と言う行為は、人間にとって、とても
自然な行為だと思うのです。
古代は、楽譜こそ無いけれど、
きっと、万葉集も語り?歌?・・・まぁ
今で言う何かわかりせんが、古代歌謡とでもいうのかな・・・
とにかく、歌っていたと思うのです。1300年も前の話です。
何しろ、西洋音楽の日本での歴史は、
たったの200年を過ぎたところ、
明治時代からの話です
確かに、織田信長の時代に、キリスト教の
伝来とともに中世ルネサンスの音楽は
入ってきたでしょう。しかし、それは、
今、一般に知られる西洋音楽と言われる物とは
違うものです。
正式に「西洋音楽」が輸入されたのは
明治時代・・・それも、正式にとはいえ、内容は偏った
ものでした。そして、その弊害は今も影響しています。
また、それました。
その昔、そう万葉の時代は、「和歌」は「祈り」であり、
「祈り」は「歌」でありました。
なにも、宗教がなくても、それでよかったのです。
祝詞を、今で言う神官様が詠み、
人々は、和歌を詠む・・・
それが、古代の日本人の「祈り」であり「歌」であったのです。
「歌」とは、ごくごく自然なものです。
農民は田植えの歌を歌います。労働の辛さを紛らわす為に、
豊作を祈る為に・・・・
こもりは子守唄を歌います。
祭りでは、お囃子とともに・・・・
地方特有の民謡も・・・・
「歌」はごくごく自然に、人間の生活に密着しています。
今は、都会で大声を出すと顰蹙を買いますから
みな、ひそひそと話します。
子供の遊ぶ声も「うるさい!」といわれます。
生活の音が歌が、無くなって来たのです。
便利になることで、様々なものを我々は失いました。
「自然に楽しく歌い、悲しみやつらさは半減し、喜びが倍になる」
と言うものから、かけ離れてしまってきています。
現代病の、理由の一つだと、私は思います。
そして、できたら、先頭を切って、その楽しさをそして、
日本語の美しさを伝えていけたらなぁと、思っています。
「歌う」と言う事は、体にも心にもいい事しかないから、
いいよね・・・と・・
実際に、私は、6時半から7時には必ず起きるし、
(まぁ、家人を駅まで車で送るのが日課なので、
そうなってしまうのだが、)朝の太陽を見ると
もう、なんとも言えず幸せな気分・・・・
本当に、お天道様はありがたいものです。
でも、雨なら雨で、その日はひっそりと、
本を読んだり、片づけをしたり、それはそれで、
良いものです。雷なんて、大好き!!
ピカッと光ると、来るぞ、来るぞと妙に
興奮するのはなぜかしら・・・・私だけ??
話がそれました。
「歌う」と言う行為は、人間にとって、とても
自然な行為だと思うのです。
古代は、楽譜こそ無いけれど、
きっと、万葉集も語り?歌?・・・まぁ
今で言う何かわかりせんが、古代歌謡とでもいうのかな・・・
とにかく、歌っていたと思うのです。1300年も前の話です。
何しろ、西洋音楽の日本での歴史は、
たったの200年を過ぎたところ、
明治時代からの話です
確かに、織田信長の時代に、キリスト教の
伝来とともに中世ルネサンスの音楽は
入ってきたでしょう。しかし、それは、
今、一般に知られる西洋音楽と言われる物とは
違うものです。
正式に「西洋音楽」が輸入されたのは
明治時代・・・それも、正式にとはいえ、内容は偏った
ものでした。そして、その弊害は今も影響しています。
また、それました。
その昔、そう万葉の時代は、「和歌」は「祈り」であり、
「祈り」は「歌」でありました。
なにも、宗教がなくても、それでよかったのです。
祝詞を、今で言う神官様が詠み、
人々は、和歌を詠む・・・
それが、古代の日本人の「祈り」であり「歌」であったのです。
「歌」とは、ごくごく自然なものです。
農民は田植えの歌を歌います。労働の辛さを紛らわす為に、
豊作を祈る為に・・・・
こもりは子守唄を歌います。
祭りでは、お囃子とともに・・・・
地方特有の民謡も・・・・
「歌」はごくごく自然に、人間の生活に密着しています。
今は、都会で大声を出すと顰蹙を買いますから
みな、ひそひそと話します。
子供の遊ぶ声も「うるさい!」といわれます。
生活の音が歌が、無くなって来たのです。
便利になることで、様々なものを我々は失いました。
「自然に楽しく歌い、悲しみやつらさは半減し、喜びが倍になる」
と言うものから、かけ離れてしまってきています。
現代病の、理由の一つだと、私は思います。
そして、できたら、先頭を切って、その楽しさをそして、
日本語の美しさを伝えていけたらなぁと、思っています。