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昨日、日本の伝統の事を書いたけれど、
衣ならば、やはり、着物と言うことに
なるだろう。
私の母親は、着物は大嫌い。
とても、センスがあり、おしゃれさんだったが、
もっぱら、洋服ばかりで、私は着物に親しむ
環境ではなかった。
にも、関わらず、茶道に興味を持ち、結婚間もない、
お給料の中から、自分も働きながら茶道に通うのが
楽しくてならなかった。
たまたま、そのとき、少し組みひもを習った。
単純でも、緊張する作業に打ち込むのが、
とても楽しく充実した時間だった。
美しい絹の糸を、手で糸を組んで行くうちに
帯締めになる・・・勿論、初心者も初心者だったが、
絹の糸が、組まれて美しい、帯締めになって行く様は
魅力的だった。
多分、環境に絹の糸を織るという、要素があったら、
私は、機織になっていたと思う。
着物は、お嫁入り前のお稽古で習ったが、
人様の前で身に着けることはなかった。
今こそ、当たり前のように自分で着物を着付けて
舞台に立つが、これも、木村氏が教えていた
着物の着付け教室で、人形になって、盗み覚えた
ものである(先生には申しわけないけれど・・・)
習うより、慣れろ・・とはよく言ったもので、
舞台で最初は、木村先生に着付けてもらって
いたのが、いつの間にか、なんとなく自分で着る様に
なり、最近は、時々帯の直しや、飾り帯の時だけ
お手伝い頂くようになった。
着物を着ると、気持ちがしゃんとして、日本女性で
あることを、誇らしく思う。やはり、民族衣装は素晴らしい。
着物は買う費用も、維持する費用も、洋服とは
比べ物にならないぐらいに、高い。
私の場合運よく、京着物を扱っている叔母のお陰で、
自分では絶対に購入できないような、
素晴らしい着物を着させてもらっている。
有りがたい事だと思う。
叔母は、着物も喜ぶから、と言って
惜しげもなく、貸してくれる。
初めは浴衣でもいいし、家に眠っている
おばあさまや、おかあさまのものでも良いから、
「勇気」を出して、見よう見真似で、着て
街に出歩いて欲しい。
私のコンサートも、実は、お客様に着物で
聴きに着ていただけたら、本当に嬉しい。
その「行為」も、日本の伝統を伝える「行為」の
一つになるからだ。
衣ならば、やはり、着物と言うことに
なるだろう。
私の母親は、着物は大嫌い。
とても、センスがあり、おしゃれさんだったが、
もっぱら、洋服ばかりで、私は着物に親しむ
環境ではなかった。
にも、関わらず、茶道に興味を持ち、結婚間もない、
お給料の中から、自分も働きながら茶道に通うのが
楽しくてならなかった。
たまたま、そのとき、少し組みひもを習った。
単純でも、緊張する作業に打ち込むのが、
とても楽しく充実した時間だった。
美しい絹の糸を、手で糸を組んで行くうちに
帯締めになる・・・勿論、初心者も初心者だったが、
絹の糸が、組まれて美しい、帯締めになって行く様は
魅力的だった。
多分、環境に絹の糸を織るという、要素があったら、
私は、機織になっていたと思う。
着物は、お嫁入り前のお稽古で習ったが、
人様の前で身に着けることはなかった。
今こそ、当たり前のように自分で着物を着付けて
舞台に立つが、これも、木村氏が教えていた
着物の着付け教室で、人形になって、盗み覚えた
ものである(先生には申しわけないけれど・・・)
習うより、慣れろ・・とはよく言ったもので、
舞台で最初は、木村先生に着付けてもらって
いたのが、いつの間にか、なんとなく自分で着る様に
なり、最近は、時々帯の直しや、飾り帯の時だけ
お手伝い頂くようになった。
着物を着ると、気持ちがしゃんとして、日本女性で
あることを、誇らしく思う。やはり、民族衣装は素晴らしい。
着物は買う費用も、維持する費用も、洋服とは
比べ物にならないぐらいに、高い。
私の場合運よく、京着物を扱っている叔母のお陰で、
自分では絶対に購入できないような、
素晴らしい着物を着させてもらっている。
有りがたい事だと思う。
叔母は、着物も喜ぶから、と言って
惜しげもなく、貸してくれる。
初めは浴衣でもいいし、家に眠っている
おばあさまや、おかあさまのものでも良いから、
「勇気」を出して、見よう見真似で、着て
街に出歩いて欲しい。
私のコンサートも、実は、お客様に着物で
聴きに着ていただけたら、本当に嬉しい。
その「行為」も、日本の伝統を伝える「行為」の
一つになるからだ。
このままでは、「日本」と言う国が
滅んでしまうのではないか・・・・
と、考えたり感じたりしているのは、
何も、一部のマスコミ関係者や
一部の政治家や一部の識者だけでは
ないだろう・・・
歌手で、妻で、母で、主婦で、女で、
ある私だって、日々痛切に感じている。
しかし、時代の流れや流行に押され
てしまう・・・分かってはいても・・・
感じてはいても・・・・
でも、出来る事もある。
例えば、食・・・主婦であれば、何か一つ
日本の伝統食を、守る・・と言うのはどうだろう。
忙しくストレスが多く、経済も不安な現代でも、
何か漬物一つは作る。お出汁は、レトルトにしない。
お味噌だけは作る。うどんの麺を手作りにする。
ゴマは、必ず、炒ってすり鉢でする。梅干しは作る。
全部手抜きをしないで、「ママはこれだけは、昔ながらの
日本食として作っている」と言う、ものを何か一つ持つ。
日本人は今右往左往している。
どこに、自分のルーツを置いていいのか解らないでいる。
アメリカさん、他、大東亜戦争勝利国さん、ありがとう!!
お陰様で、日本は、日本人になれない日本人がうようよ
する国に成長??致しました。
私もその一人だった。でも、今は、違う。
万葉集と出会い、「歌う」ことで、日本人の心を伝えている。
国際ボランティア テラの会の代表を務めさせていただき、
「手渡し衣服支援」で、日本の心をアジアの子供たちに
伝えている。勿論、国内でも・・・
そして、日本が、現代の日本に至った原因となった
、大東亜戦争の戦没者の追悼慰霊をし、その歴史や
手記を読み、亡くなった方の追悼をする事で、
日本という国の歴史や、日本人の心を、改めて
行為と共に考えさせられ、感じている。
そうして、私は日本人であることを今、誇りに
思っている。日本の民族衣装を身に付けて、
大和言葉の万葉集を歌う・・・なんと、光栄なことであろうか・・・
感謝の気持ちでいっぱいである。
日本、万歳!!日本人、万歳!!
滅んでしまうのではないか・・・・
と、考えたり感じたりしているのは、
何も、一部のマスコミ関係者や
一部の政治家や一部の識者だけでは
ないだろう・・・
歌手で、妻で、母で、主婦で、女で、
ある私だって、日々痛切に感じている。
しかし、時代の流れや流行に押され
てしまう・・・分かってはいても・・・
感じてはいても・・・・
でも、出来る事もある。
例えば、食・・・主婦であれば、何か一つ
日本の伝統食を、守る・・と言うのはどうだろう。
忙しくストレスが多く、経済も不安な現代でも、
何か漬物一つは作る。お出汁は、レトルトにしない。
お味噌だけは作る。うどんの麺を手作りにする。
ゴマは、必ず、炒ってすり鉢でする。梅干しは作る。
全部手抜きをしないで、「ママはこれだけは、昔ながらの
日本食として作っている」と言う、ものを何か一つ持つ。
日本人は今右往左往している。
どこに、自分のルーツを置いていいのか解らないでいる。
アメリカさん、他、大東亜戦争勝利国さん、ありがとう!!
お陰様で、日本は、日本人になれない日本人がうようよ
する国に成長??致しました。
私もその一人だった。でも、今は、違う。
万葉集と出会い、「歌う」ことで、日本人の心を伝えている。
国際ボランティア テラの会の代表を務めさせていただき、
「手渡し衣服支援」で、日本の心をアジアの子供たちに
伝えている。勿論、国内でも・・・
そして、日本が、現代の日本に至った原因となった
、大東亜戦争の戦没者の追悼慰霊をし、その歴史や
手記を読み、亡くなった方の追悼をする事で、
日本という国の歴史や、日本人の心を、改めて
行為と共に考えさせられ、感じている。
そうして、私は日本人であることを今、誇りに
思っている。日本の民族衣装を身に付けて、
大和言葉の万葉集を歌う・・・なんと、光栄なことであろうか・・・
感謝の気持ちでいっぱいである。
日本、万歳!!日本人、万歳!!
テラの会は、何故「手渡し」にこだわるのか・・・・
それは、「心」に拘るからである。
忙しいと書いて、心を失うという意味だそうだが、
忙しいだけが理由ではないだろう。
忙しくない日本人も、本来日本人が持っていた
「大和心」を、忘れてしまった。
私達は送られて来た品物を、
分類し、仕分けして、汚れたものは洗濯し、
それでも汚れが落ちないものは、
家で雑巾として使わせていただくか、
残念だが処分する。
テラの会は、不用品のゴミ捨て場ではない。
相手が必要なものを、自分達の出来うる限りの
「心」を込めて「手渡し」しているのだ。
「手渡し」は、一番安全で確実な方法である。
それは、実際に訪ねた国の人々から
聞いたことだ。
様々な支援の方法が有り、様々な支援団体がある。
それぞれに合った、支援団体に送られると良いと思う。
テラの会は、経験を積みながら、行為しながら、話し合い、
このようなやり方で支援をしています・・と言う事だ。
この「主旨」に賛同頂ける方の支援を求めています。
宜しくお願いします。
テラの会 代表 辻 友子
それは、「心」に拘るからである。
忙しいと書いて、心を失うという意味だそうだが、
忙しいだけが理由ではないだろう。
忙しくない日本人も、本来日本人が持っていた
「大和心」を、忘れてしまった。
私達は送られて来た品物を、
分類し、仕分けして、汚れたものは洗濯し、
それでも汚れが落ちないものは、
家で雑巾として使わせていただくか、
残念だが処分する。
テラの会は、不用品のゴミ捨て場ではない。
相手が必要なものを、自分達の出来うる限りの
「心」を込めて「手渡し」しているのだ。
「手渡し」は、一番安全で確実な方法である。
それは、実際に訪ねた国の人々から
聞いたことだ。
様々な支援の方法が有り、様々な支援団体がある。
それぞれに合った、支援団体に送られると良いと思う。
テラの会は、経験を積みながら、行為しながら、話し合い、
このようなやり方で支援をしています・・と言う事だ。
この「主旨」に賛同頂ける方の支援を求めています。
宜しくお願いします。
テラの会 代表 辻 友子