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私のような無教養な、分際で、こんなだいそれた
テーマを論ずるつもりは毛頭ない・・・けれど、
ふと、今日、感じてしまったことを書いてみたいと思います。
今から書くことを理解する方は、いらっしゃらないかもしれないし、
また、共感も出来ないかもしれないけれど、書かずにはいられない・・・
それは、車を運転している時に、ふとやってきました。
「私は、同じことを繰り返して生きている。」
と言う事でした。
自分では少しは進化?したつもりでも
同じ事を繰り返している。
その事は、頭では分かっていました。
今日は、それを思いっきり体感したのです。
その次に私を襲った感情は、
あまりに切なく、悲しく、そして・・・あまりに「あはれ」でした。
自分と言う存在の「あはれ」さに、
私は、がっくりと肩を落としました。
「あはれ」・・・ほかに、言葉が見つかりません。
私は、あまりに「あはれ」でした。
そして、それは、人・・いや、人間が在る・・・と言う
その現象自体が、あまりに「あはれ」でした。
人の心も、様々な思いも、行為も、存在も、すべてが
「あはれ」に尽きます。
もののあはれ・・・・と言う事を、
私はそう感じたのでした。
「人が生きる」事そのものが、「あはれ」に尽きます。
哀れ・・ではありません。
あ・は・れ・・・・なのです。
そして、それを突き詰めていけば、仏教の「慈悲」かも
しれないし、禅で言う「無」かもしれない・・・
そんな、大それた言葉でなくても、
毎日、毎日、畑で働く農家の人々や
暗いうちから、船を出す漁師さんたちは
みんな、無意識のうちに、分かっていることなのです。
そして、それは、最後は、適した言葉が
無教養で見つからない・・・また、ふと
見つかるかもしれない。
そしたら、またここに書きます。
恥知らずにも・・・・・
テーマを論ずるつもりは毛頭ない・・・けれど、
ふと、今日、感じてしまったことを書いてみたいと思います。
今から書くことを理解する方は、いらっしゃらないかもしれないし、
また、共感も出来ないかもしれないけれど、書かずにはいられない・・・
それは、車を運転している時に、ふとやってきました。
「私は、同じことを繰り返して生きている。」
と言う事でした。
自分では少しは進化?したつもりでも
同じ事を繰り返している。
その事は、頭では分かっていました。
今日は、それを思いっきり体感したのです。
その次に私を襲った感情は、
あまりに切なく、悲しく、そして・・・あまりに「あはれ」でした。
自分と言う存在の「あはれ」さに、
私は、がっくりと肩を落としました。
「あはれ」・・・ほかに、言葉が見つかりません。
私は、あまりに「あはれ」でした。
そして、それは、人・・いや、人間が在る・・・と言う
その現象自体が、あまりに「あはれ」でした。
人の心も、様々な思いも、行為も、存在も、すべてが
「あはれ」に尽きます。
もののあはれ・・・・と言う事を、
私はそう感じたのでした。
「人が生きる」事そのものが、「あはれ」に尽きます。
哀れ・・ではありません。
あ・は・れ・・・・なのです。
そして、それを突き詰めていけば、仏教の「慈悲」かも
しれないし、禅で言う「無」かもしれない・・・
そんな、大それた言葉でなくても、
毎日、毎日、畑で働く農家の人々や
暗いうちから、船を出す漁師さんたちは
みんな、無意識のうちに、分かっていることなのです。
そして、それは、最後は、適した言葉が
無教養で見つからない・・・また、ふと
見つかるかもしれない。
そしたら、またここに書きます。
恥知らずにも・・・・・
8月6日の、「万葉のこころを歌う~平和への祈り~」は
チラシには載せておりませんが、東歌の中の防人の歌からか
第20巻の防人の歌から、一首朗誦するつもりです。
防人とは、筑紫・壱岐・対馬など、北九州の防衛にあたった
兵士達の事です。
663年、白村江(はくすきのえ)の戦いで、負けたために
防衛の為に置かれました。
その当時ま、船で北九州までいける人はかなり裕福、馬で行ったり
徒歩で行ったり、だから、途中で行き倒れる兵士もいたのです。
更に、帰りは自費のため、中々帰ることも出来ず、そのまま、
死んでしまう人たちも多く居たのです。
だから、防人たちは、家を離れる時は今生の別れのつもりで
旅立ったのです。
コンサートまで、「万葉たまゆら」に防人の歌を載せています。
参考までにお読み頂けたら幸いです。
チラシには載せておりませんが、東歌の中の防人の歌からか
第20巻の防人の歌から、一首朗誦するつもりです。
防人とは、筑紫・壱岐・対馬など、北九州の防衛にあたった
兵士達の事です。
663年、白村江(はくすきのえ)の戦いで、負けたために
防衛の為に置かれました。
その当時ま、船で北九州までいける人はかなり裕福、馬で行ったり
徒歩で行ったり、だから、途中で行き倒れる兵士もいたのです。
更に、帰りは自費のため、中々帰ることも出来ず、そのまま、
死んでしまう人たちも多く居たのです。
だから、防人たちは、家を離れる時は今生の別れのつもりで
旅立ったのです。
コンサートまで、「万葉たまゆら」に防人の歌を載せています。
参考までにお読み頂けたら幸いです。