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自然なご縁とともに、参加させていただいた、今度の行事を通して、
私なりに感じたことを、折々記したいと思います。
・お白石持行事は、庶民の行事です。庶民は入れない
外宮・内宮の神域に、このときばかりは庶民も入れるのです。
それは、400年前の室町時代から(戦国時代は、中断しましたが)
江戸時代になって、復活。それ以来、続いてきたこの行事。
老いも若きも、子供も、様々な職種の人も一緒になって、
エーンヤと掛け声を懸けながら、太い縄で、奉曳き車を引く。
いつの間にか、エーンヤの掛け声で、みんなと心が一つに
なっていく。神領民の人はお互い知っているが、一日神領民である
私も、自然にその輪の中に、完全に溶け込み、思いっきり
大きな声を出して楽しんでいた。
述べ25万人と言う。
今のように、お祭り気分ではなく(私だけか・・・)、私の思いは、
奈良の大仏様の 建築などを、思い出していた。
食料は無く、飢饉が流行り、餓死者が続出した あのころに、
天皇陛下の御命令で、貧しい庶民が一丸となって、建てた大仏様・・
楽しむというより、様々な建築材料を運んだりするときに、
体力も落ちていたであろう.
そのころの庶民は、こうやって、掛け声を掛け合って、心を一つにし、
励ましあう為にもエーンヤなどの掛け声や、独特の節回しの唄などが、
必要だったのであろう・・・
それは、一つの民謡の原点だなと、その時代の庶民達に思いを馳せながら、
私は、ふと綱を引いて、大きな掛け声を出していた。
・・・・・・続く・・・・・
私なりに感じたことを、折々記したいと思います。
・お白石持行事は、庶民の行事です。庶民は入れない
外宮・内宮の神域に、このときばかりは庶民も入れるのです。
それは、400年前の室町時代から(戦国時代は、中断しましたが)
江戸時代になって、復活。それ以来、続いてきたこの行事。
老いも若きも、子供も、様々な職種の人も一緒になって、
エーンヤと掛け声を懸けながら、太い縄で、奉曳き車を引く。
いつの間にか、エーンヤの掛け声で、みんなと心が一つに
なっていく。神領民の人はお互い知っているが、一日神領民である
私も、自然にその輪の中に、完全に溶け込み、思いっきり
大きな声を出して楽しんでいた。
述べ25万人と言う。
今のように、お祭り気分ではなく(私だけか・・・)、私の思いは、
奈良の大仏様の 建築などを、思い出していた。
食料は無く、飢饉が流行り、餓死者が続出した あのころに、
天皇陛下の御命令で、貧しい庶民が一丸となって、建てた大仏様・・
楽しむというより、様々な建築材料を運んだりするときに、
体力も落ちていたであろう.
そのころの庶民は、こうやって、掛け声を掛け合って、心を一つにし、
励ましあう為にもエーンヤなどの掛け声や、独特の節回しの唄などが、
必要だったのであろう・・・
それは、一つの民謡の原点だなと、その時代の庶民達に思いを馳せながら、
私は、ふと綱を引いて、大きな掛け声を出していた。
・・・・・・続く・・・・・
遷都の日まであと2ヶ月という、暑い夏の日
お白石持行事に参加しました。
正宮の回りに敷き詰められる、白い石英岩を
一日神領民で参加した町内は
陸曳き(おかびき)で、奉曳き車で町内を
ひきまわし、木遣り唄の勢いもよろしく
最後には、”エンヤ曳”で、神域に引き込みます。
木遣り唄は、若い男衆・女衆が歌います。
伊勢市民としての、誇りに満ちた彼女、
彼らの唄は素晴らしく、顔は輝いていました。
何百人かで、大蛇のような太い縄を、
曳き、町内を引き回す様は、圧巻でした。
勿論、私も、揃いの法被を羽織らせて
頂き、頭には、手ぬぐいをキュッと
かっこよく??締めて、え~んやこらと
年も省みず、楽しみました。
・・・・・・続く・・・・・
お白石持行事に参加しました。
正宮の回りに敷き詰められる、白い石英岩を
一日神領民で参加した町内は
陸曳き(おかびき)で、奉曳き車で町内を
ひきまわし、木遣り唄の勢いもよろしく
最後には、”エンヤ曳”で、神域に引き込みます。
木遣り唄は、若い男衆・女衆が歌います。
伊勢市民としての、誇りに満ちた彼女、
彼らの唄は素晴らしく、顔は輝いていました。
何百人かで、大蛇のような太い縄を、
曳き、町内を引き回す様は、圧巻でした。
勿論、私も、揃いの法被を羽織らせて
頂き、頭には、手ぬぐいをキュッと
かっこよく??締めて、え~んやこらと
年も省みず、楽しみました。
・・・・・・続く・・・・・