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いつもは、お祭りで詠うのですが、
今回は、地元の歴史研究家の中津攸(ゆう)子先生の
千葉県の歴史や、大和朝廷に支配されていなかった
東北のひだかみの国のお話や、市川市の貝塚は世界一
だというお話で、大和朝廷以前から、物々交換や、食べ物が豊富で
豊かな土地柄であったこと、
また、真間には、弥生式土器の熱い熱を加えて
金属を焼いて土器を作る方法で、文様は縄文土器と同じと言う、
他には見られない珍しい土器があると言う、
興味深いお話を歌の後半に伺いました。
何より、中津先生が、たのしそうに興味深くお話されるので聞いているほうも、
楽しくお話を伺いました。
歌は、高橋虫麻呂の長歌と反歌、東歌から真間の手古奈を歌ったものを一首。
内容は、「万葉たまゆら」に載せてありますので、
是非ご覧になってくださいませ。
お着物は、緋色・・・おんなの情念の色です。
思いっきり、目立ちました。
篠笛の方も、着流しですっきりと、会場のみなさん、
気持ちよさそうに聴いておられました。
木の笛の音は、やはりステキですね。
今回は、地元の歴史研究家の中津攸(ゆう)子先生の
千葉県の歴史や、大和朝廷に支配されていなかった
東北のひだかみの国のお話や、市川市の貝塚は世界一
だというお話で、大和朝廷以前から、物々交換や、食べ物が豊富で
豊かな土地柄であったこと、
また、真間には、弥生式土器の熱い熱を加えて
金属を焼いて土器を作る方法で、文様は縄文土器と同じと言う、
他には見られない珍しい土器があると言う、
興味深いお話を歌の後半に伺いました。
何より、中津先生が、たのしそうに興味深くお話されるので聞いているほうも、
楽しくお話を伺いました。
歌は、高橋虫麻呂の長歌と反歌、東歌から真間の手古奈を歌ったものを一首。
内容は、「万葉たまゆら」に載せてありますので、
是非ご覧になってくださいませ。
お着物は、緋色・・・おんなの情念の色です。
思いっきり、目立ちました。
篠笛の方も、着流しですっきりと、会場のみなさん、
気持ちよさそうに聴いておられました。
木の笛の音は、やはりステキですね。
★ 鶏が鳴く 東の国に 古に ありけることと
今までに 絶えず言ひける 勝鹿の 真間の手児奈が
麻衣に 青衿着け ひたさ麻を 裳には織り着て
髪だにも 掻きは梳らず 沓をだに はかず行けども
錦綾の 中につつめる 斎ひ子も 妹に及かめや
望月の 足れる面輪に 花のごと 笑みて立てれば
夏虫の 火に入るがごと 港入りに 船漕ぐごとく
行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生けらじものを
何すとか 身をたな知りて 波の音の 騒く港の
奥つ城に 妹が臥やせる 遠き代に ありけることを
昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも
★ とりがなく あづまのくにに いにしへに ありけることと
いままでに たえずいひける かつしかの ままのてこなが
あさぎぬに あおくびつけ ひたさをを もにはおりきて
かみだにも かきはけづらず くつをだに はかずゆけども
にしきあやの なかにつつめる いはひごも いもにしかめや
もちづきの たれるおもわに はなのごと えみてたてれば
なつむしの ひにいるがごと みなといりに ふねこぐごとく
ゆきかぐれ ひとのいふとき いくばくも いけらじものを
なにすとか みをたなしりて なみのおとの さわくみなとの
おくつきに いもがこやせる とほきよに ありけることを
きのふしも みけむがごと おほゆるかも
★ 鶏が鳴く、東の国に、昔からあった事として、今に至るまで
たえず言い伝えてきた、勝鹿の真間の手児奈は、粗末な
麻の衣に 青い衿を着けて、髪さえも櫛で梳らず、靴さえ
履かずに歩いて行くのだけれども、 逆に錦の綾織の中に
包まれて大切に育った子だって手児奈に及びはしない。
満月のように 満ち足りた顔で、花のように笑って立っていると
夏の虫が火に飛び込んでいく様に、港に入るために船が
集まってくるように、男共は来て集まって求婚をした。
人間の一生など、いくばくもないものを、どうしたことか
自分の運命を知ってしまい、波の音の轟く港の奥の方に
手児奈が眠っているという・・・遠い昔の話だのに、昨日
見たことのように思われます。
巻9-1807 高橋虫麻呂
反歌>
● 勝鹿の 真間の井見れば
立ち平し 水汲ましけむ 手児奈し思ほゆ
● かつしかの ままのゐみれば
たちならし みずくましけむ てこなしおもほゆ
● 勝鹿の真間の井戸を見ると、 通って来ては水を
汲んだであろう手児奈の事が思われることです。
巻9-1808 高橋虫麻呂
今までに 絶えず言ひける 勝鹿の 真間の手児奈が
麻衣に 青衿着け ひたさ麻を 裳には織り着て
髪だにも 掻きは梳らず 沓をだに はかず行けども
錦綾の 中につつめる 斎ひ子も 妹に及かめや
望月の 足れる面輪に 花のごと 笑みて立てれば
夏虫の 火に入るがごと 港入りに 船漕ぐごとく
行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生けらじものを
何すとか 身をたな知りて 波の音の 騒く港の
奥つ城に 妹が臥やせる 遠き代に ありけることを
昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも
★ とりがなく あづまのくにに いにしへに ありけることと
いままでに たえずいひける かつしかの ままのてこなが
あさぎぬに あおくびつけ ひたさをを もにはおりきて
かみだにも かきはけづらず くつをだに はかずゆけども
にしきあやの なかにつつめる いはひごも いもにしかめや
もちづきの たれるおもわに はなのごと えみてたてれば
なつむしの ひにいるがごと みなといりに ふねこぐごとく
ゆきかぐれ ひとのいふとき いくばくも いけらじものを
なにすとか みをたなしりて なみのおとの さわくみなとの
おくつきに いもがこやせる とほきよに ありけることを
きのふしも みけむがごと おほゆるかも
★ 鶏が鳴く、東の国に、昔からあった事として、今に至るまで
たえず言い伝えてきた、勝鹿の真間の手児奈は、粗末な
麻の衣に 青い衿を着けて、髪さえも櫛で梳らず、靴さえ
履かずに歩いて行くのだけれども、 逆に錦の綾織の中に
包まれて大切に育った子だって手児奈に及びはしない。
満月のように 満ち足りた顔で、花のように笑って立っていると
夏の虫が火に飛び込んでいく様に、港に入るために船が
集まってくるように、男共は来て集まって求婚をした。
人間の一生など、いくばくもないものを、どうしたことか
自分の運命を知ってしまい、波の音の轟く港の奥の方に
手児奈が眠っているという・・・遠い昔の話だのに、昨日
見たことのように思われます。
巻9-1807 高橋虫麻呂
反歌>
● 勝鹿の 真間の井見れば
立ち平し 水汲ましけむ 手児奈し思ほゆ
● かつしかの ままのゐみれば
たちならし みずくましけむ てこなしおもほゆ
● 勝鹿の真間の井戸を見ると、 通って来ては水を
汲んだであろう手児奈の事が思われることです。
巻9-1808 高橋虫麻呂