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なつののの しげみにさけるひめゆりの しらえぬこいはくるしきものそ
大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)
人知れぬ恋・・打ち明けることの出来ない恋心・・片思い・・友人の彼氏を好きになってしまった・・・
隣の旦那さんに心を惹かれてしまう・・恋しても事情があって友達にも打ち明けられない・・・・
そういう恋の苦しさを歌った和歌です。
百合と言うと外来種の派手な百合を想像されるかもしれません。
私も外来種の白百合など好きです。
けれど、ここに歌われている姫百合は身の丈20cmぐらいの小さくて赤い可憐な花です。
回りに雑草が覆い茂っていたら見えなくなりそう・・・・・・
でも、その、小さな赤い花は決して隠れそうで隠れない・・想いの強さを感じさせます。
密やかで、控えめだけれど、決して咲く事をあきらめない花・・・あきらめない恋の想い
・・・恋だけではありません。
決してあきらめない想い・・・ありますか?
他の花々を圧倒して咲く訳ではないけれど、潰される事無く、意志の強さを感じさせる赤い花・
・・・姫百合の花・・・憧れます。
藤岡宣男さんのことについて、ブログに書き始めました。
書いていることは、全て、事実です。
藤岡さんがこの世から旅立って半年目あたりから、ミクシィにとつとつと書いていました。
それを再び読み返しながら、初めて自分のHPに藤岡さんの事を書き始めました。
細かい記憶違いがあるにせよ、藤岡さんの事を語るのに、支障はありません。
でも、書かないこと、書きたくないこと、はあります。
私だけでなく藤岡さんとご縁のあった全ての方が、自分の心に留めて置きたいと
思う事があるはずです。
人間と呼ばれて何千年たっても、恋の心も性欲も食欲も、そして排泄も大して違いません。
歴史の中で描かれる英雄も天才も歴史の中で作られたものです。
その英雄を描く身近な人々も私のようにきっと書きたくないこと、書かないことがあるでしょう。
でも、その中に、実は自分の一番深い思いが隠れていたり、信じられない藤岡宣男さんがいたりするわけです。
そう考えると、歴史の教科書は問題外としても、識者と呼ばれる方々が、書かれるものも
勿論、全てではなく書かれていないことはきっと山ほどあるに違いない・・・・
英雄や天才と呼ばれる方々の歴史を紐解くより、今の自分の生きている歴史を大切にしたいな
と、自分に言うお友やんでした。
追伸>
「お友やん」というネームでミクシィーをしています。
娘からママ、あほじゃないのと言われました。
みんないくつもの架空の自分を想定してミクシィーをやっているのよ
真っ正直に書いてどうするのと説教されました。
でも・・・私のところに立ち寄ってくださる方はそうじゃないと思うんだけれど・・・
今日はセミナーでした。 一人目の方が2時間レッスンを取っておられたので、
じっくりと体や、その方の場合は顔がこっているので顔のストレッチングなど丁寧に行い、
声帯のストレッチングもじっくりとやったところ、
初期では考えられないぐらいの響きでアメージンググレイスの高音を歌いました。
藤岡さんから惜しみなく教わったことは、プロを目指すとか関係なくやる気のある方には
藤岡さんがなさっていたとおり、全てを伝えます。
今日はそのあともう一人レッスンがあり、娘のピアノが終わって一緒に帰宅・・・
二人でsex and the cityを笑いながら見ました。
pizzaを食べた後に、そのままミランダとスティーブがkissするのをみて、二人で信じられないね
娘が男の人は昔の彼女は名前で残す、女性は上書き保存だってだと・・・
私はどっちかなぁというので、あなたは保存しないよと言ってやりました。
さて、これを読んだあなたは、どちら?
朝と昼、そして、夜、深夜、明け方、心は空のように刻一刻と変化していきます
太陽が燦々と降りそそぐ気持ちのいい朝・・やれる!と私は思うのです
体が疲れ果てた深夜・・私は一体何をしようしているのだろうとぐっと沈みます
センチメンタルになり、友人にメールを打ってみたりする(ごめんなさい)
もっと、若い時<今でも若いつもり(笑)>やる気にむらのある自分が嫌いでした
この年になって、そういう自分もだんだんと愛しくなっってきたのです。
好きなことをやればいい、楽しい事をやればいい、出来ることを気負わずやればいいと
元々誰も立派でもなければ、聖人でもない、いや、聖人などいないだろうと思います
聖人と呼ばれたかった人は、聖人になる、というしくみ・・その思いがどれほど強いかと言う事ではないのかしら?
要はまず、自分のそうなりたいというなるべく具体的理想を強く持ち、そして、今自分が出来ることを、どんな些細なことでもいいから即実行することであろうと思うです
何か、どこかの自己実現の本からとったようですが・・人間の考えることだから、どんぐりの背比べなのです
それは、何より、自分にの心と魂(ここが難しい)素直になり、自分を信じることが出来るよう少しずつでも努力することではないのかしら
まぁ、この文章は深夜のそれこそセンチメンタルな自分に言って聞かせているようなものですが・・・
みなさんはどう思っているのかな・・コメントや掲示板にばんばんとご自分の感じたことを書込みして欲しいです。
歌い手の声がホールの一番後ろでどのように聞こえるのか確かめるために、
最後部の座席に座りました。
力むことの無くホールに満ちていく藤岡さんの昇り立つような美しい歌声・・・・・
この人、ただものじゃない。頭もかなりいいい。舞台マナーも素晴らしい。
日本にいるんだ、こんな凄い歌い手が・・・
私は興奮しました。
一人で聴きに来ていたので、休み時間にどうしてもこの感動を誰かに伝えたくなり、
ロビーに立っていた先程の和服姿の男の方に
「素晴らしいですね~びっくりしました」と、告げた。
「もし宜しければそこに感想とお名前と住所を書いていってください」
何かのちらしの裏を半分に切った紙が置かれていた。
感想と住所を書くと2部を聞くためにホールに入った
もうひとつ確かめたいことがあった。
以前、付いていた先生が、ドイツのフッスラーの唯一の日本の弟子と言われる木下先生に
習っていたのだが、それに近い発声の様な気がしたのだ。
確かめたくて今度は真ん中より少し前に座りじっくりと体の動きを観察した
やはり、そのような気がする(後に藤岡さんに聞いたらやはりそうだった)
言葉では言い表せない興奮を覚え会場を出ると、
先程の和服姿の方が
「もう少ししたら本人が出てきますから、感想を伝えていいですよ」と言ってくださった
追っかけの若い女の子に混じって隅のほうで待っていたら、やっと回りに人が殆ど居なくなった
たくさん話したいことがあった
まず、感動を伝えたかった
自分の音楽歴も話したかった
歌の話をしたかった・・・なのにあのホールはやたら時間に煩くて出て行ってくださいという
藤岡さんを前にして思わず私の口をついて出た自分でも吃驚した言葉は
「ボイストレーニングをしていただけないでしょうか?」
あの(心の唄)のライブCDのコンサートだった
帰りに携帯で友人に告げた
「私の歌の神様をみつけたよ」