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★ 白栲の 袖さし交へて 靡き寝る わが黒髪の ま白髪に 成りなむ極み 新世に 共に在らむと
玉の緒の 絶えじい妹と 結びてし 言は果さず 思へりし 心は遂げず 白栲の 手本を別れ
柔びにし 家ゆも出でて 緑児の 泣くをも置きて 朝霧の おぼになりつつ 山城の 相楽山の
山の際に 往き過ぎぬれば 言はむすべ せむすべ知らに 吾妹子と さ宿し妻屋に 朝には
出で立ち偲ひ 夕へには 入りゐ嘆かひ わき挟む 児の泣くごとに 男じもの 負ひみ抱きみ
朝鳥の 音のみ泣きつつ 恋ふれども 験を無みと 言問はぬ ものにはあれど 吾妹子が
入りにし山を よすかとそ思ふ
★ しろたへの そでさしかへて なびきぬる わがくろかみの ましらかに なりなむきはみ
あらたよに ともにあらむと たまのをの たえじいいもと むすびてし ことははたさず
おもへりし こころはとげず しろたへの たもとをわかれ にきびにし いへゆもいでて
みどりごの なくをもおきて あさぎりの おぼになりつつ やましろの さがらかやまの
やまのまに ゆきすぎぬれば いはむすべ せむすべしらに わぎもこと さねしつまやに
あしたには いでたちしのひ ゆうへには いりゐなげかひ わきはさむ このなくごとに
をとこじもの おひみむだきみ あさどりの ねのみなきつつ こひふれども しるしをなみと
こととはぬ ものにはあれど わぎもこが いりにしやまを よすかとおもふ
巻3-481 高橋朝臣
いよいよ、巻3最後の歌に近づきました。
白妙の袖を交し合い、靡きよりながら寝た、この私の黒髪が真っ白になってしまう時までも
新しき世でも共にいようと玉の緒のように仲睦まじい妻よと、誓った言葉を果たさず、思っていた
心を遂げることなく、、白栲の衣の袖を振り切って、慣れ親しんだ家を出て、幼子の泣くのも
置いて、朝霧のようにおぼろになりつつ、山城の相楽山の山の端に、行き隠れてしまったので
言いようもなく、どうする事も出来ず、我妻と寝た妻屋で、朝には、外に出て、妻を偲び
夕べには、家の中に入り込んで、嘆き、小脇に抱きかかえる子が泣くたびに、男らしくなく
背負ってみたり、抱いてみたりしながら、朝鳥の鳴く声のように泣き、恋い慕うけれど、
何の験もなく、何も口をきいてもくれぬのだが、我妻が入ってしまった山を心のよりどころとして
偲ぶ事です。
巻3-481 高橋朝臣(たかはしあそみ)
テラの会の代表である木村天山氏はほぼ毎月一回アジアに追悼慰霊と衣服支援に出かけておられる。
追悼は・・・様々な戦争の事実や体験記や手記を読む・・・膨大な量である・・・それに何より辛いのは
追悼・・・追って偲ぶということであると思う。だれも、残酷で無残なお話なんか、この不景気の
ご時世読みたくなんて無い・・けれど、彼らの思いを辿るために木村氏は読む・・・ときには、泣き
時には、あまりの辛さに読むのを止めてしまう事もあるという。そして、読んで追悼をしたうえで
慰霊に向かう・・・そも一通りの行為は、かなりのエネルギーを要する。日本のために。お国のた
めにとはいえ、中々実行は難しい。それも、宗教や組織の力もなく、個人の力である。
こんな人が日本に居るのか・・・・私は嬉しい・・・私は万葉集を歌っている。大和心を、歌を通して
伝えたいと思っている。その活動を大切にしながら、木村氏の追悼慰霊と衣服支援のお手伝いを
させてもらっている。とても、嬉しい。自分でもお手伝いできる事がある。捨てる予定の服が
人様に喜ばれる。日本製だと、もっと喜ばれる。
このコンサートは続くといいなと思う。お客さんが少なかったのが勿体無いと思った。中々聞けな
いお話ばかりだからだ。歌も趣向を凝らしている。是非、元多くの方々にいらして頂き、みんなで
戦没者の追悼慰霊をしたいと思います。
みなさん、来年は是非いらしてくださいね。