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インドネシアでも、バリ島はと言うよりは
インドネシアでは私はバリ島しか行ったことが無いの
ですが、その中の懐かしい思い出に
サヌールでの追悼慰霊と衣服支援活動があります。
クタとは違い田舎のサヌール、なんだか
人も少ない、店も少ない、懐かしい佇まいでした。
私たち「テラの会一行」の活動は、
リゾート地域には 行かないので、
現地のありのままの生活や
人々の様子を見聞きできる、
貴重な旅でもあります。
さて、そこでひとまず
宿泊するゲストハウスに行きました。
そこは珍しい事に、ポーランド人の
女性が主でした。
無愛想でもないけれど、丁寧でもない
出迎えを受け、
ひとまず、休憩の後、食事と共に
町の下調べに行きます。
今後の活動予定を立てるためです。
とにかく、東南アジアの貧しい地域は
行ってみないと全てわかりません。
用意ししつらえてある活動ではなく
自分たちの力でするのみです。
実は「テラの会」のメンバーの間で
(ややさん)という人物??が
話題に上っていました。我々が、衣服支援
などをしていると「ややさんですか?」と、何度も
聞かれるからです。
一体(ややさん)なる人物は、女性なのか男性なのか
どんな人なのだろう?と、我々は(ややさん)探しも
兼ねて、町の下調べに行きました。
店先で訪ねても、両手を広げて「しらないわぁ~」と
言われるばかり・・・違った、言ってる様に聞こえるばかりです。
吃驚したのは、偶々学校の帰りに出逢った中学生ぐらいの
子供たち、我々を見て、「こんにちは」と日本語で挨拶するのです。
知らなかった・・・インドネシアのバリ島のサヌールの学校で
日本語を教えているなんて・・・・
いまどき、知らないおじさんとおばさんに、「こんにちは」などと
日本の子は挨拶しません。君たち、サヌールの学生を
見習いなさい!!
よもや、インドネシアのバリ島のサヌールで、
沢山の学生たちに「こんにちは」と声を掛けられるとは・・
思いもかけない歓迎??に、嬉しくなってしまいました。
日本って、インドネシアに意外に好かれてるんだなぁ・・
夕飯はゲストハウスで、ちっちゃなプールのある
ガーデンで、寛いでいると、
主のポーランド人の女性がやってきました。
あちらの女性ですから、堂々とした態度ではあるものの
浴衣と着物姿の日本人に興味を抱いたのでしょうか?
「あなたがた~何しにサヌールにいらしたの~」
「私たちは~戦没者の追悼慰霊と衣服支援にきましたぁ~」
なんて、雰囲気で会話した記憶があります。
ポーランドと言ったら、chopin
私は水を得た魚のように、
「わたしの~むすめは~ピアニスト~
ショパン大好きね~」と、話しかけました。
「おう、ショパンね・・・」
彼女は特別クラシックが好きなわけではなさそうで
話は、あまり盛り上がりませんでした・・・・・
ではなくて、語学力が不足していました。
まぁ、兎に角、そんなこんなで、夜が明けて
早々と我々は、ビーチまで戦没者追悼慰霊に
出かけました。私の役目は、国旗を持つこと・・・
テラの会の活動履歴のバリ島のサヌールの所で
見ていただくと判りますが、国旗を持った私の顔の
嬉しそうなこと・・・だって、日本でこんなことしたら
頭のおかしいおばさんって、思われてしまうもの。
理屈ではなく、国旗大好きな私は、嬉々として
思う存分、国旗を上げたり下げたり、横にしたり
木村氏が追悼慰霊のお祈りをなさっておられる間
、お役目をなんとか無事に果たしました。
不謹慎と思いますか?
私はそうは思いません。
「懐かしいあなた方の母国の国旗ですよ、
本当に、ご苦労様でした」
インドネシアでは私はバリ島しか行ったことが無いの
ですが、その中の懐かしい思い出に
サヌールでの追悼慰霊と衣服支援活動があります。
クタとは違い田舎のサヌール、なんだか
人も少ない、店も少ない、懐かしい佇まいでした。
私たち「テラの会一行」の活動は、
リゾート地域には 行かないので、
現地のありのままの生活や
人々の様子を見聞きできる、
貴重な旅でもあります。
さて、そこでひとまず
宿泊するゲストハウスに行きました。
そこは珍しい事に、ポーランド人の
女性が主でした。
無愛想でもないけれど、丁寧でもない
出迎えを受け、
ひとまず、休憩の後、食事と共に
町の下調べに行きます。
今後の活動予定を立てるためです。
とにかく、東南アジアの貧しい地域は
行ってみないと全てわかりません。
用意ししつらえてある活動ではなく
自分たちの力でするのみです。
実は「テラの会」のメンバーの間で
(ややさん)という人物??が
話題に上っていました。我々が、衣服支援
などをしていると「ややさんですか?」と、何度も
聞かれるからです。
一体(ややさん)なる人物は、女性なのか男性なのか
どんな人なのだろう?と、我々は(ややさん)探しも
兼ねて、町の下調べに行きました。
店先で訪ねても、両手を広げて「しらないわぁ~」と
言われるばかり・・・違った、言ってる様に聞こえるばかりです。
吃驚したのは、偶々学校の帰りに出逢った中学生ぐらいの
子供たち、我々を見て、「こんにちは」と日本語で挨拶するのです。
知らなかった・・・インドネシアのバリ島のサヌールの学校で
日本語を教えているなんて・・・・
いまどき、知らないおじさんとおばさんに、「こんにちは」などと
日本の子は挨拶しません。君たち、サヌールの学生を
見習いなさい!!
よもや、インドネシアのバリ島のサヌールで、
沢山の学生たちに「こんにちは」と声を掛けられるとは・・
思いもかけない歓迎??に、嬉しくなってしまいました。
日本って、インドネシアに意外に好かれてるんだなぁ・・
夕飯はゲストハウスで、ちっちゃなプールのある
ガーデンで、寛いでいると、
主のポーランド人の女性がやってきました。
あちらの女性ですから、堂々とした態度ではあるものの
浴衣と着物姿の日本人に興味を抱いたのでしょうか?
「あなたがた~何しにサヌールにいらしたの~」
「私たちは~戦没者の追悼慰霊と衣服支援にきましたぁ~」
なんて、雰囲気で会話した記憶があります。
ポーランドと言ったら、chopin
私は水を得た魚のように、
「わたしの~むすめは~ピアニスト~
ショパン大好きね~」と、話しかけました。
「おう、ショパンね・・・」
彼女は特別クラシックが好きなわけではなさそうで
話は、あまり盛り上がりませんでした・・・・・
ではなくて、語学力が不足していました。
まぁ、兎に角、そんなこんなで、夜が明けて
早々と我々は、ビーチまで戦没者追悼慰霊に
出かけました。私の役目は、国旗を持つこと・・・
テラの会の活動履歴のバリ島のサヌールの所で
見ていただくと判りますが、国旗を持った私の顔の
嬉しそうなこと・・・だって、日本でこんなことしたら
頭のおかしいおばさんって、思われてしまうもの。
理屈ではなく、国旗大好きな私は、嬉々として
思う存分、国旗を上げたり下げたり、横にしたり
木村氏が追悼慰霊のお祈りをなさっておられる間
、お役目をなんとか無事に果たしました。
不謹慎と思いますか?
私はそうは思いません。
「懐かしいあなた方の母国の国旗ですよ、
本当に、ご苦労様でした」
浜離宮恩賜公園の三百年松を、真ん前にぼけーっっと
眺めて、心密かに「あんたは偉い!!」などとつぶやきつつ、
近くの小店で、トコロテンを食した。久しぶりの事です。
そういえば、福岡には「おきゅうと」と言う、トコロテンを濃厚な
味にしたような食べ物がありました。
少しむっとするような風に髪をなびかせながら、
都会の真ん中の公園で、ぼんやりと佇んでおりました。
そろそろかな・・・浜離宮朝日ホールで、雪村いづみさんの
コンサートです。
私の世代では、知らない方も多くいるかもしれない。
雪村さんの何の曲か知らないけれど、
小学生の頃、田舎の祖母の所に行くのに、
舗装もされていない道路を一時間半ほども
揺られて、それでも、祖母や祖父に会えるのが
楽しみに思いながら、タクシーの中で退屈していました。
タクシーのラジオから、語りのような歌のような・・・・
名前も知らない、その歌手の世界に
引き込まれていった小学生の私は
いつしか涙していました。
声そのものは、あまり好きなほうではなかったけれど、
何かが伝わってきたのでしょうか・・・・「この女の人
名前なんて言うの?」と、母に聞きました。
「雪村いづみって言うのよ」
それ以来、テレビで何度かお目にかかりましたが
特別の感慨もなく、画面を眺めていました。
ホールで生で聞くのは初めてのことです。
朝比奈マリアさんという娘さんが司会。
小さなホールに本当にシンプルな舞台・・・
そこに、小柄な華奢なおばさま?が現れました。
初めは、大歌手なのに・・・・こんなシンプルで
こんなに近くでなどと、野暮なことを考えておりましたが
歌を聞くに連れ、「凄い・・・」と
思いました。
だてに何十年も歌い続けていない。
戦後の混乱の中、生活の為に歌った。
アメリカに渡り、ラスベガスで舞台を踏み
いくつもの恋をし、ただ、ひたすら
歌い続けた歌手の姿が、そこにはありました。
良いものを聴かせて頂きました。
ありがとう!!雪村いづみさん!!
眺めて、心密かに「あんたは偉い!!」などとつぶやきつつ、
近くの小店で、トコロテンを食した。久しぶりの事です。
そういえば、福岡には「おきゅうと」と言う、トコロテンを濃厚な
味にしたような食べ物がありました。
少しむっとするような風に髪をなびかせながら、
都会の真ん中の公園で、ぼんやりと佇んでおりました。
そろそろかな・・・浜離宮朝日ホールで、雪村いづみさんの
コンサートです。
私の世代では、知らない方も多くいるかもしれない。
雪村さんの何の曲か知らないけれど、
小学生の頃、田舎の祖母の所に行くのに、
舗装もされていない道路を一時間半ほども
揺られて、それでも、祖母や祖父に会えるのが
楽しみに思いながら、タクシーの中で退屈していました。
タクシーのラジオから、語りのような歌のような・・・・
名前も知らない、その歌手の世界に
引き込まれていった小学生の私は
いつしか涙していました。
声そのものは、あまり好きなほうではなかったけれど、
何かが伝わってきたのでしょうか・・・・「この女の人
名前なんて言うの?」と、母に聞きました。
「雪村いづみって言うのよ」
それ以来、テレビで何度かお目にかかりましたが
特別の感慨もなく、画面を眺めていました。
ホールで生で聞くのは初めてのことです。
朝比奈マリアさんという娘さんが司会。
小さなホールに本当にシンプルな舞台・・・
そこに、小柄な華奢なおばさま?が現れました。
初めは、大歌手なのに・・・・こんなシンプルで
こんなに近くでなどと、野暮なことを考えておりましたが
歌を聞くに連れ、「凄い・・・」と
思いました。
だてに何十年も歌い続けていない。
戦後の混乱の中、生活の為に歌った。
アメリカに渡り、ラスベガスで舞台を踏み
いくつもの恋をし、ただ、ひたすら
歌い続けた歌手の姿が、そこにはありました。
良いものを聴かせて頂きました。
ありがとう!!雪村いづみさん!!
★ 牽牛は 織女と 天地の 別れし時ゆ
いなうしろ 川に向き立ち 思ふそら
安けなくに 嘆くそら 青波に 望みは絶えぬ
白雲に 涙は尽きぬ かくのみや 息づき居らむ
かくのみや 恋ひつつあらむ さ丹塗りの 小舟もがも
玉巻きの 真櫂もがも 朝凪に い掻き渡り
夕潮に い漕ぎ渡り ひさかたの 天の河原に
天飛ぶや 領巾片敷き 真玉手の 玉手さし交へ
あまた夜も 寝ねてしかも 秋にあらずとも
★ ひこほしは たなばたひめと あめつちの わかれしときゆ
いなうしろ かわにむきたち おもふそら やすけなくに
あをなみに のぞみはたえぬ しらくもに なみだはつきぬ
かくのみや 恋ひつつあらむ さにぬりの をぶねもがも
たままきの まかいもがも あさなぎに いかきわたり
ゆふしほに いこぎわたり ひさかたの あまのかはらに
あまとぶや ひれかたしき またまでの たまでさしかへ
あまたよも いねてしかも あきにあらずとも
★ 牽牛と織女は、天地の別れたときから稲の筵(むしろ)の
川に向かって立ち、思う心は穏やかならず、嘆く心も穏やか
ならず、青き波に隔てられ、望みは絶え、白雲を見ては、
涙は尽きない。このように、ため息をついてばかりいるのか、
このように、ただ慕ってばかりいるのか・・・・
丹色の小舟が欲しい、玉を巻飾った櫂が欲しい。
朝の凪に櫂を掻いて渡り、夕方の潮に漕いで渡り、
遠くはるかな天の河原に、天空を飛ぶ領布(ひれ)を
片方敷いて、美しい手を・・・その腕をさし交じわせて、
幾夜も、寝たいことです。七夕の秋ではなくても・・・
巻8-1520 山上憶良
接頭語「さ」は、聖性をあらわします。
さ蕨(わらび)、など、「さしすせそ」は、強意でも
神性を強める意味で使われます。
いなうしろ 川に向き立ち 思ふそら
安けなくに 嘆くそら 青波に 望みは絶えぬ
白雲に 涙は尽きぬ かくのみや 息づき居らむ
かくのみや 恋ひつつあらむ さ丹塗りの 小舟もがも
玉巻きの 真櫂もがも 朝凪に い掻き渡り
夕潮に い漕ぎ渡り ひさかたの 天の河原に
天飛ぶや 領巾片敷き 真玉手の 玉手さし交へ
あまた夜も 寝ねてしかも 秋にあらずとも
★ ひこほしは たなばたひめと あめつちの わかれしときゆ
いなうしろ かわにむきたち おもふそら やすけなくに
あをなみに のぞみはたえぬ しらくもに なみだはつきぬ
かくのみや 恋ひつつあらむ さにぬりの をぶねもがも
たままきの まかいもがも あさなぎに いかきわたり
ゆふしほに いこぎわたり ひさかたの あまのかはらに
あまとぶや ひれかたしき またまでの たまでさしかへ
あまたよも いねてしかも あきにあらずとも
★ 牽牛と織女は、天地の別れたときから稲の筵(むしろ)の
川に向かって立ち、思う心は穏やかならず、嘆く心も穏やか
ならず、青き波に隔てられ、望みは絶え、白雲を見ては、
涙は尽きない。このように、ため息をついてばかりいるのか、
このように、ただ慕ってばかりいるのか・・・・
丹色の小舟が欲しい、玉を巻飾った櫂が欲しい。
朝の凪に櫂を掻いて渡り、夕方の潮に漕いで渡り、
遠くはるかな天の河原に、天空を飛ぶ領布(ひれ)を
片方敷いて、美しい手を・・・その腕をさし交じわせて、
幾夜も、寝たいことです。七夕の秋ではなくても・・・
巻8-1520 山上憶良
接頭語「さ」は、聖性をあらわします。
さ蕨(わらび)、など、「さしすせそ」は、強意でも
神性を強める意味で使われます。