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私、こと、万葉歌手、声楽家である「辻 友子」の
コンサートは、どこでもやっていないコンサートだと自負している。
(まず、自分が自信をもたなきゃね)
日本人が、音大の声楽科に入り、歌を勉強する。
発声方法は、西洋の発声である。
勿論、長唄や詩吟などとは違う発声法である。
私の環境には、長唄や詩吟は馴染み深いものではなかった。
母親は、コーラスや個人のボイストレーニングを受けていたから
自然と、音大に入るとなると、西洋の発声法となる。
私は、声も響き大きかったので、オペラ向きだったようだ。
実際、イタリアの先生からも、オペラ向きと言われた。
見かけも派手っぽいらしい・・・らしい、と言うのは、自分の姿は
自分では見えないので・・・・
でも、どうしても私は日本人であることに拘りたかった。
母国語である、日本語を大切にしたかった。
それは、強いては、日本人である自分のルーツを
確認する作業でもあった。
そして、日本語から大和言葉と拘って行くうちに、
「万葉集」に辿り着いたのだった。
「万葉集」に辿り着いた私の心は、とても落ち着いた。
万葉集は、私の精神安定剤の一つとなった。
理屈ではない・・・何か・・・大和言葉の響きや流れ・・・
そういうものが、戦後の教育を受け、「日本」を否定され
続けた教育の中で育った私の心のよりどころとなり、自信にも
繋がった。
今の日本人の多くは、民族の誇りを持てないでいる・・と、
私は思う。私もそうだった。自国に誇りを持てない民族は
他国と同等には渡り合えないだろう。
誇りを持つためには、自国の正しい歴史認識と文化を
知ることが必要だと思う。
私にとって、自国の最古の和歌集である、「万葉集」は
民族の誇りである。
詠む相手も選ばない、この和歌集は、凄いと思う。
一人でも多くの方に、親しんで頂ける事・・・いや、楽しんで
いただけるように、これからも頑張って行きたい。
コンサートは、どこでもやっていないコンサートだと自負している。
(まず、自分が自信をもたなきゃね)
日本人が、音大の声楽科に入り、歌を勉強する。
発声方法は、西洋の発声である。
勿論、長唄や詩吟などとは違う発声法である。
私の環境には、長唄や詩吟は馴染み深いものではなかった。
母親は、コーラスや個人のボイストレーニングを受けていたから
自然と、音大に入るとなると、西洋の発声法となる。
私は、声も響き大きかったので、オペラ向きだったようだ。
実際、イタリアの先生からも、オペラ向きと言われた。
見かけも派手っぽいらしい・・・らしい、と言うのは、自分の姿は
自分では見えないので・・・・
でも、どうしても私は日本人であることに拘りたかった。
母国語である、日本語を大切にしたかった。
それは、強いては、日本人である自分のルーツを
確認する作業でもあった。
そして、日本語から大和言葉と拘って行くうちに、
「万葉集」に辿り着いたのだった。
「万葉集」に辿り着いた私の心は、とても落ち着いた。
万葉集は、私の精神安定剤の一つとなった。
理屈ではない・・・何か・・・大和言葉の響きや流れ・・・
そういうものが、戦後の教育を受け、「日本」を否定され
続けた教育の中で育った私の心のよりどころとなり、自信にも
繋がった。
今の日本人の多くは、民族の誇りを持てないでいる・・と、
私は思う。私もそうだった。自国に誇りを持てない民族は
他国と同等には渡り合えないだろう。
誇りを持つためには、自国の正しい歴史認識と文化を
知ることが必要だと思う。
私にとって、自国の最古の和歌集である、「万葉集」は
民族の誇りである。
詠む相手も選ばない、この和歌集は、凄いと思う。
一人でも多くの方に、親しんで頂ける事・・・いや、楽しんで
いただけるように、これからも頑張って行きたい。