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「ある人が、こういう色を染めたいと思って、
この草木とこの草木をかけ合わせてみたが、その色に
ならなかった、本に書いてあるとおりにしたのに、という。
私は順序が逆だと思う。
草木が既に抱いている色を私たちは
いただくのであるから。
どんな色が出るか、それは草木まかせである。
ただ、私たちは草木のもっている色をできるだけ損なわずに
こちら側に宿すのである。
雪の中でじっと春を待って芽吹きの準備をしている樹々が
その幹や枝に貯えている色をしっかり受け止めて、織の中に
生かす。その道程がなくては、自然を犯すことになる。蕾の
びっしりついた早春の梅の枝の花になる「いのち」をいただく
のである。その梅が抱いている色は、千、万の梅の一枝の
色であり、主張である。
私たちは、どうかしてその色を生かしたい、その主張を聞き
とどけたいと思う。その色と他の色は交ぜることjは出来ない。
梅と桜を混ぜて新しい色を作ることはできない。それは梅や桜を
犯すことである。色が単なる色ではないからである。
科学染料の場合はまったく逆である。色と色を交ぜ合わせる
ことによって新しい自分の色をつくる。単一の色では色に底が
ない。科学染料は脱色することができるが、植物染料は脱色
することができない。自然が主であるか、人間が主であるかの
違いであろう。」 志村ふくみ 著
その通りだと思う。人間は自然の一部である。人間が、作ったものは
どれほど、自然に近くてもエセ自然である。人工なのである。
ソプラノと言っても、女性の8割が「あ~」と、声を出せばソプラノである。
薔薇の枝には、ひまわりは咲かない。ソプラノと言っても、様々である。
どんな声を、その人が持っているのか・・・人間は自然の一部であるから
その人・・・その自然・・・の持っている、声を出来るだけ、損なわずに
その人という名の自然の声を出すお手伝いをするのが、ボイストレーナー
の役割である。
その人の声を、作為的に人工的に、作り上げることではない。
本来持っている、自然な声を、導き出すことが出来るのが
本当の、ボイストレーナーである。
出来うる限り、自然な状態で、自然な声を出すと、
歌う人も、元気になり、気持ちよくなり、その人が本来
もっている「いのち」の活力が活発になるのだ。
そして、自然に歌っている人の声を聞くほうも
その気が歌の振動を通して伝わって、
心地よくなる。
元々、自然の木の枝が貯えていた「色」という名の「いのち」を
いただくこと。
元々、自然の一部である一人の人間が貯えていた「声」という
「いのち」を、引き出すこと。
なのである。
少なくとも、私は、藤岡宣男から、そのように、指導を
受けたのである。そうやって、歌ってこそ、「歌う」ことは
「生きる」ことに、繋がって行く。
この草木とこの草木をかけ合わせてみたが、その色に
ならなかった、本に書いてあるとおりにしたのに、という。
私は順序が逆だと思う。
草木が既に抱いている色を私たちは
いただくのであるから。
どんな色が出るか、それは草木まかせである。
ただ、私たちは草木のもっている色をできるだけ損なわずに
こちら側に宿すのである。
雪の中でじっと春を待って芽吹きの準備をしている樹々が
その幹や枝に貯えている色をしっかり受け止めて、織の中に
生かす。その道程がなくては、自然を犯すことになる。蕾の
びっしりついた早春の梅の枝の花になる「いのち」をいただく
のである。その梅が抱いている色は、千、万の梅の一枝の
色であり、主張である。
私たちは、どうかしてその色を生かしたい、その主張を聞き
とどけたいと思う。その色と他の色は交ぜることjは出来ない。
梅と桜を混ぜて新しい色を作ることはできない。それは梅や桜を
犯すことである。色が単なる色ではないからである。
科学染料の場合はまったく逆である。色と色を交ぜ合わせる
ことによって新しい自分の色をつくる。単一の色では色に底が
ない。科学染料は脱色することができるが、植物染料は脱色
することができない。自然が主であるか、人間が主であるかの
違いであろう。」 志村ふくみ 著
その通りだと思う。人間は自然の一部である。人間が、作ったものは
どれほど、自然に近くてもエセ自然である。人工なのである。
ソプラノと言っても、女性の8割が「あ~」と、声を出せばソプラノである。
薔薇の枝には、ひまわりは咲かない。ソプラノと言っても、様々である。
どんな声を、その人が持っているのか・・・人間は自然の一部であるから
その人・・・その自然・・・の持っている、声を出来るだけ、損なわずに
その人という名の自然の声を出すお手伝いをするのが、ボイストレーナー
の役割である。
その人の声を、作為的に人工的に、作り上げることではない。
本来持っている、自然な声を、導き出すことが出来るのが
本当の、ボイストレーナーである。
出来うる限り、自然な状態で、自然な声を出すと、
歌う人も、元気になり、気持ちよくなり、その人が本来
もっている「いのち」の活力が活発になるのだ。
そして、自然に歌っている人の声を聞くほうも
その気が歌の振動を通して伝わって、
心地よくなる。
元々、自然の木の枝が貯えていた「色」という名の「いのち」を
いただくこと。
元々、自然の一部である一人の人間が貯えていた「声」という
「いのち」を、引き出すこと。
なのである。
少なくとも、私は、藤岡宣男から、そのように、指導を
受けたのである。そうやって、歌ってこそ、「歌う」ことは
「生きる」ことに、繋がって行く。