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日本の音大の声楽科に入れば、
きちんとしたボイストレーニングを教わり、
プロ??(私はいつもここで引っかかる。
プロとは何ぞや・・・とりわけ、日本のクラシックと
呼ばれる業界において・・・)に、なれると、日本人の
多くが思っているのだろう・・・まず、なれない。
一体全体、まず、芸術の東大と言われる、東京芸大
の声楽科で教わるのは、ヨーロッパのテキストを
使った、ヨーロッパの歌曲やオペラのアリアである。
日本人として、最も大切にされなければならない
日本の歌の勉強は、一部を除いてそれほど
大切にはされていないのが現実である。
オペラアリアには美しい曲が沢山あって、
かくいう私も大好き!!
でも、長大なオペラを観劇するには、
お漬物とお味噌汁とお魚の干物と納豆を
食している民族としては、体力にも、
愛情の表現的にも、ちょいと、無理を感じること
しばしば・・・・なんとなく、大雑把にストーリーは
知っていて、よく知っているオペラアリアの時は
ブラーヴァやら、ブラービやら、ブラーボやら言ったりすると、
何だか、今朝の食卓を思い出しては
くすぐったくなる思いもしないわけではない・・・
戦後に出来た大学だから、アメリカの監督下に
置かれ、仕方が無い部分もあるだろうと思うけれど、
いい加減に、戦後68年を過ぎようとしている
のだから、日本語や、日本の歌をもっと大切にしては
どうだろうか・・・と、高慢にも言いたい。
民族の言葉は民族の魂であり、文化の発露だと思う。
それを、ないがしろにして、その国の文化の繁栄は有り得ない。
民族のルーツであるのだから・・・
西洋音楽を否定するのではなくて、なんでもかんでも
欧米崇拝をしてきたこの半世紀以上の全ての歴史を
今一度振り返る時ではないのかなと、偉そうに言ってみたりする。
(もう若くないから・・・許してね)
なんと言っても、自国の言葉は気持ちが良く、その美しさ、繊細さは
日本語だから、感じるニュアンスが、多々あると思う。
日本語で話すことに到達するぐらい外国語を習熟したとしても、
ウン百年と言う、ヨーロッパの石の文化の前に、竹やら木材を使った
日本の文化とは、偉い違いがあるだろう。
その感性まで、到達できるか・・・・否・・無理であろう。
それなら、散々、ないがしろにされてきた、母国語(不思議だよね。
母国語なのに・・・)を、今一度、習熟し直し、歴史を辿り、深めて
行くことの方が、大切ではないかと思うのだが・・・みなさんは、
どうお感じになりますか??
東京芸大も、わらべうた科、とか、昭和歌謡科とか、お座敷歌科など・・
粋な計らいをして欲しいもんだ。勿論、演歌科も・・・
(ちょっと、苦手だけど・・・)
ピアノやら、弦やらは、西洋の楽器だから最初から
西洋のものと思って学ぶけれど、声楽科の立位置って
いまいち、はっきりしない。
声が大きければ良いの~??誰か、教えて~
きちんとしたボイストレーニングを教わり、
プロ??(私はいつもここで引っかかる。
プロとは何ぞや・・・とりわけ、日本のクラシックと
呼ばれる業界において・・・)に、なれると、日本人の
多くが思っているのだろう・・・まず、なれない。
一体全体、まず、芸術の東大と言われる、東京芸大
の声楽科で教わるのは、ヨーロッパのテキストを
使った、ヨーロッパの歌曲やオペラのアリアである。
日本人として、最も大切にされなければならない
日本の歌の勉強は、一部を除いてそれほど
大切にはされていないのが現実である。
オペラアリアには美しい曲が沢山あって、
かくいう私も大好き!!
でも、長大なオペラを観劇するには、
お漬物とお味噌汁とお魚の干物と納豆を
食している民族としては、体力にも、
愛情の表現的にも、ちょいと、無理を感じること
しばしば・・・・なんとなく、大雑把にストーリーは
知っていて、よく知っているオペラアリアの時は
ブラーヴァやら、ブラービやら、ブラーボやら言ったりすると、
何だか、今朝の食卓を思い出しては
くすぐったくなる思いもしないわけではない・・・
戦後に出来た大学だから、アメリカの監督下に
置かれ、仕方が無い部分もあるだろうと思うけれど、
いい加減に、戦後68年を過ぎようとしている
のだから、日本語や、日本の歌をもっと大切にしては
どうだろうか・・・と、高慢にも言いたい。
民族の言葉は民族の魂であり、文化の発露だと思う。
それを、ないがしろにして、その国の文化の繁栄は有り得ない。
民族のルーツであるのだから・・・
西洋音楽を否定するのではなくて、なんでもかんでも
欧米崇拝をしてきたこの半世紀以上の全ての歴史を
今一度振り返る時ではないのかなと、偉そうに言ってみたりする。
(もう若くないから・・・許してね)
なんと言っても、自国の言葉は気持ちが良く、その美しさ、繊細さは
日本語だから、感じるニュアンスが、多々あると思う。
日本語で話すことに到達するぐらい外国語を習熟したとしても、
ウン百年と言う、ヨーロッパの石の文化の前に、竹やら木材を使った
日本の文化とは、偉い違いがあるだろう。
その感性まで、到達できるか・・・・否・・無理であろう。
それなら、散々、ないがしろにされてきた、母国語(不思議だよね。
母国語なのに・・・)を、今一度、習熟し直し、歴史を辿り、深めて
行くことの方が、大切ではないかと思うのだが・・・みなさんは、
どうお感じになりますか??
東京芸大も、わらべうた科、とか、昭和歌謡科とか、お座敷歌科など・・
粋な計らいをして欲しいもんだ。勿論、演歌科も・・・
(ちょっと、苦手だけど・・・)
ピアノやら、弦やらは、西洋の楽器だから最初から
西洋のものと思って学ぶけれど、声楽科の立位置って
いまいち、はっきりしない。
声が大きければ良いの~??誰か、教えて~