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チェンマイに、移動した代表及びスタッフは、以前宿泊に使用していた
ホテルの宿泊料が高くなったので、一泊1500円以内の近くの古い
ホテルに宿泊しました。
翌日、慧燈財団の小西さんご家族、「最後の日本兵」で有名になった中野
サンの親友であるHさんの娘さんらと、再会、食事をしました。
Hさんは、メンソート支部として、荷物の受け取り保管、また我々が
訪れた時の様々なお世話をなさってくださいます。小西さんも
もう、長いお付き合いとなり、インパール作戦の戦没者慰霊碑への案内、
チェンマイに残り続けて最後まで、戦死した戦友の遺骨収集に身を捧げた
方の、慰霊碑への案内などを、いつもお世話してくださります。
また、一昨年は、白カレン族である奥様の
カレン村を訪ね高床式住居に宿泊し、素晴らしい思い出もできました。
そのときに、奥様のおばあさまが、カレン村の水田に辿り着き、空を見上
げて、息絶えた、たった一人の名も知らぬ日本兵の事をずっと
お話されていたと伺い、テラの会一同で、名前も分からぬ、
その日本兵の方の追悼慰霊を致しました。
あの日の早朝の太陽の光は未だに忘れる事が出来ません。
今回も、小西さんのご案内で、インパール作戦でなくなられた方の
追悼慰霊碑と上記の方の追悼慰霊碑を訪ね、追悼の祈りを捧げました。
その後、スタッフがたまたま、ホテルの前の安いコーヒー屋さんに
行き、そこで働いていた女の子に、衣類を渡したいのだがミャンマー難民
はどこにいるか知っていますか?と尋ねた所、その女の子自身が
ミャンマー難民だと、分かり吃驚!そして、自分のお姉さんがそういう
活動施設など、よく知っているからと、電話でその場で連絡を取って
くれ、詳しい住所が分かりました。小西さんは、タイに在住なさっておら
れるので、住所さえわかれば、大丈夫です。
早速、その日の内に、その病院を訪ねました。アメリカの支援でやってい
るようです。そこで、2度吃驚!!
テラの会はいつも、こういう形で支援が、まるで導かれるようにスムーズ
に進んでいくのですが、その病院は、なんと、前回私も一緒に支援に参加
した、メータオクリニックと、深く関係している施設だったのです。
そこは、ミャンマー難民に限らず、少数民族の方や様々な貧しくて
病気の方が居るようです。衣類は、いつものように、一人一人に
手から手で、直接渡され、とりわけ、喜ばれたのはやはり、タオルでし
た。文章にすると、凄く簡単に聞えますが、22kgの制限いっぱいに
一人一人衣類を日本から運び、また、前に送っていた衣類も合わせて
それを、ストリートチルドレンや、スラム、また、中々支援の手が
廻らない施設を聞いて捜して、持って行き手渡しすると言うのは、
本当に大変な作業です。いいかっこしいでできる事ではありません。
本当にしたいと、思わなければ出来ない行為だと思います。
ホテルの宿泊料が高くなったので、一泊1500円以内の近くの古い
ホテルに宿泊しました。
翌日、慧燈財団の小西さんご家族、「最後の日本兵」で有名になった中野
サンの親友であるHさんの娘さんらと、再会、食事をしました。
Hさんは、メンソート支部として、荷物の受け取り保管、また我々が
訪れた時の様々なお世話をなさってくださいます。小西さんも
もう、長いお付き合いとなり、インパール作戦の戦没者慰霊碑への案内、
チェンマイに残り続けて最後まで、戦死した戦友の遺骨収集に身を捧げた
方の、慰霊碑への案内などを、いつもお世話してくださります。
また、一昨年は、白カレン族である奥様の
カレン村を訪ね高床式住居に宿泊し、素晴らしい思い出もできました。
そのときに、奥様のおばあさまが、カレン村の水田に辿り着き、空を見上
げて、息絶えた、たった一人の名も知らぬ日本兵の事をずっと
お話されていたと伺い、テラの会一同で、名前も分からぬ、
その日本兵の方の追悼慰霊を致しました。
あの日の早朝の太陽の光は未だに忘れる事が出来ません。
今回も、小西さんのご案内で、インパール作戦でなくなられた方の
追悼慰霊碑と上記の方の追悼慰霊碑を訪ね、追悼の祈りを捧げました。
その後、スタッフがたまたま、ホテルの前の安いコーヒー屋さんに
行き、そこで働いていた女の子に、衣類を渡したいのだがミャンマー難民
はどこにいるか知っていますか?と尋ねた所、その女の子自身が
ミャンマー難民だと、分かり吃驚!そして、自分のお姉さんがそういう
活動施設など、よく知っているからと、電話でその場で連絡を取って
くれ、詳しい住所が分かりました。小西さんは、タイに在住なさっておら
れるので、住所さえわかれば、大丈夫です。
早速、その日の内に、その病院を訪ねました。アメリカの支援でやってい
るようです。そこで、2度吃驚!!
テラの会はいつも、こういう形で支援が、まるで導かれるようにスムーズ
に進んでいくのですが、その病院は、なんと、前回私も一緒に支援に参加
した、メータオクリニックと、深く関係している施設だったのです。
そこは、ミャンマー難民に限らず、少数民族の方や様々な貧しくて
病気の方が居るようです。衣類は、いつものように、一人一人に
手から手で、直接渡され、とりわけ、喜ばれたのはやはり、タオルでし
た。文章にすると、凄く簡単に聞えますが、22kgの制限いっぱいに
一人一人衣類を日本から運び、また、前に送っていた衣類も合わせて
それを、ストリートチルドレンや、スラム、また、中々支援の手が
廻らない施設を聞いて捜して、持って行き手渡しすると言うのは、
本当に大変な作業です。いいかっこしいでできる事ではありません。
本当にしたいと、思わなければ出来ない行為だと思います。