×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
PR
よくあることと言えば、よくあることですが、
台北行きの出発が、1時間遅れました。
乗り継ぎ2回ですから、結構大変な問題です。
台北まで4時間、マニラ行きに乗り換えるのに
3時間、広報担当者が取っていましたから
ぎりぎりで、マニラ行きに間に合いました。
慣れない空港で50kgの荷物を抱えての
乗り換えですから、さぞや疲れたことでしょう。
マニラから国内線にまたもや、乗り換え・・・・
殆ど支援物資です。
やっと、バコロドに着きました。延々、
13時間の旅でした。前もって予約しておいた
ホテル・・・といっても安いですが、にて、
話す事もできないほど、疲れて、眠りに
ついたそうです。
しかし、そこは、早起きの代表の事、
7時には起きて、早速、休む間もなく
町に出ます。
着いたら、一日は休んでくださいね・・・
と、あれほど言ったのに・・・
バコロドは、今フェスティバルがやっていて
しかも、ホテルはカテドラルの前なので
人々が沢山出ています。夜店や、屋台も
沢山出ています。
と言う事は、当然、貧しい人々やストリートチルドレン
も、多く居る訳です。
朝ごはんは、日本円で10円のお米で作った
お菓子のようなもの・・・羨ましそうに見ている
ダンボールを集めている母と子の、子供に一個
あげました。
2個あげようとすると、遠慮するのです。
賑やかであればあるほど、見えてくる、
貧しい人々や、ストリートチルドレンたち・・
もう、何回も訪ねた場所なので、顔見知りの
大人やストリートチルドレンが、懐かしそうに
代表に手を振り、笑顔を浮かべます。
「子供の成長は早いなぁ」と、代表は
言ってました。
気温30度、不思議と心地よいそうです。
やはり、自然な暑さと、都会の暑さは
違うのですね。多分、道路がちゃんと
舗装されていないことが、良いのでしょうか?
腐る事も無く、そこにいるのは、「今日だけ」を
生きる為に、生活しているある意味、たくましい
人々でした。
台北行きの出発が、1時間遅れました。
乗り継ぎ2回ですから、結構大変な問題です。
台北まで4時間、マニラ行きに乗り換えるのに
3時間、広報担当者が取っていましたから
ぎりぎりで、マニラ行きに間に合いました。
慣れない空港で50kgの荷物を抱えての
乗り換えですから、さぞや疲れたことでしょう。
マニラから国内線にまたもや、乗り換え・・・・
殆ど支援物資です。
やっと、バコロドに着きました。延々、
13時間の旅でした。前もって予約しておいた
ホテル・・・といっても安いですが、にて、
話す事もできないほど、疲れて、眠りに
ついたそうです。
しかし、そこは、早起きの代表の事、
7時には起きて、早速、休む間もなく
町に出ます。
着いたら、一日は休んでくださいね・・・
と、あれほど言ったのに・・・
バコロドは、今フェスティバルがやっていて
しかも、ホテルはカテドラルの前なので
人々が沢山出ています。夜店や、屋台も
沢山出ています。
と言う事は、当然、貧しい人々やストリートチルドレン
も、多く居る訳です。
朝ごはんは、日本円で10円のお米で作った
お菓子のようなもの・・・羨ましそうに見ている
ダンボールを集めている母と子の、子供に一個
あげました。
2個あげようとすると、遠慮するのです。
賑やかであればあるほど、見えてくる、
貧しい人々や、ストリートチルドレンたち・・
もう、何回も訪ねた場所なので、顔見知りの
大人やストリートチルドレンが、懐かしそうに
代表に手を振り、笑顔を浮かべます。
「子供の成長は早いなぁ」と、代表は
言ってました。
気温30度、不思議と心地よいそうです。
やはり、自然な暑さと、都会の暑さは
違うのですね。多分、道路がちゃんと
舗装されていないことが、良いのでしょうか?
腐る事も無く、そこにいるのは、「今日だけ」を
生きる為に、生活しているある意味、たくましい
人々でした。
この事を信じるか信じないか・・・
そんなことは、どうでもいい。
私も、今となっては夢かも・・・と、思うのだから・・・
でも、とにかく私の人生はそこで、大きく変化した事
だけは、間違いが無い。
娘の酷いいじめが始まってから、ありとあらゆる事が起きた。
多分、その事のせいではなく、その事がきっかけで
私は、抑うつ症、不安神経症、パニック症、対人恐怖症
を併発したのだった。私の深層心理に内在していたものが
全て表面化したと、今では思っている。
彼女も、辛かったであろう。
夜眠れない・・・体が、ぎしぎしときしみ、音を立てて固まっていくのが
解った。恐ろしい夢をみては目覚める。
一秒が過ぎていくのが、辛かった。本当に辛かった。
お手洗いにも、行けない・・・・
そんな私を支えたのは、やはり音楽だった。
そして、絵画であり、文学であった。
ある夜、ふと目覚めると、隣に誰かが寝ている。
不思議な感覚で、その人の顔を見ると、
それは、「私」だった。
驚きもしなかった。
体がとても楽で、そのまま
「私」から、離れたかった。
あまりに、楽だったから・・・・
すると、頭?の上のほうで、なにやら
会議みたいなものが始まっていた。
「死ぬって言ってるよ」「困ったね」
みたいな、感じであっただろうか・・・
なんとなく、何人かが、私の何かを
抱えた。「私」に戻されたような感じだった。
その後の日々を、どう過ごしたのか、
よく覚えていないのだが、「私」は、
横浜のヤマハの楽譜売り場にいた。
チラシラックがあり、いくつかのチラシがあった。
その中から、「私」は聞いた事も無い、歌手の
名前を目にした。藤岡宣男と書いてあった。
カウンターテノールであった。
他の、クラシック的なチラシに混じり、
ひっそりと、そのチラシは、ラックに置かれていた。
それが、「私」と「師 藤岡宣男」との出会いだった。
そんなことは、どうでもいい。
私も、今となっては夢かも・・・と、思うのだから・・・
でも、とにかく私の人生はそこで、大きく変化した事
だけは、間違いが無い。
娘の酷いいじめが始まってから、ありとあらゆる事が起きた。
多分、その事のせいではなく、その事がきっかけで
私は、抑うつ症、不安神経症、パニック症、対人恐怖症
を併発したのだった。私の深層心理に内在していたものが
全て表面化したと、今では思っている。
彼女も、辛かったであろう。
夜眠れない・・・体が、ぎしぎしときしみ、音を立てて固まっていくのが
解った。恐ろしい夢をみては目覚める。
一秒が過ぎていくのが、辛かった。本当に辛かった。
お手洗いにも、行けない・・・・
そんな私を支えたのは、やはり音楽だった。
そして、絵画であり、文学であった。
ある夜、ふと目覚めると、隣に誰かが寝ている。
不思議な感覚で、その人の顔を見ると、
それは、「私」だった。
驚きもしなかった。
体がとても楽で、そのまま
「私」から、離れたかった。
あまりに、楽だったから・・・・
すると、頭?の上のほうで、なにやら
会議みたいなものが始まっていた。
「死ぬって言ってるよ」「困ったね」
みたいな、感じであっただろうか・・・
なんとなく、何人かが、私の何かを
抱えた。「私」に戻されたような感じだった。
その後の日々を、どう過ごしたのか、
よく覚えていないのだが、「私」は、
横浜のヤマハの楽譜売り場にいた。
チラシラックがあり、いくつかのチラシがあった。
その中から、「私」は聞いた事も無い、歌手の
名前を目にした。藤岡宣男と書いてあった。
カウンターテノールであった。
他の、クラシック的なチラシに混じり、
ひっそりと、そのチラシは、ラックに置かれていた。
それが、「私」と「師 藤岡宣男」との出会いだった。
半年の、海外戦没者追悼慰霊、また衣服支援
・食糧支援・学用品支援の、停止期間の後、
昨日より、再開!
(尚、国内追悼慰霊・衣服支援は継続しておりました)
予算削減の為にいつもの格安航空で、フィリピンの
バコロドに行くのに、台北で乗り換え、マニラ到着。
国内線で、バコロドへ到着。
出発が、日本時間の朝6時でした。
到着の電話を今か今かと、待っておりましたが、
日本時間で、電話を頂いたのが、夜10時過ぎ。
向こうは約一時間の時差がありますから、
夜9時過ぎ、代表の声は草臥れて、話す事も出来ず
到着のご連絡だけ頂きました。
やはり、飛行機の乗り継ぎというのは、
かなり体力的にきついようです。
しかし、「国際ボランティア テラの会」の活動が
再開されたことは、私にとっても喜びです。
ゆっくり、休まれて、体力の回復の後に
活動を始められてください。
体あっての、活動です。
とにかく、無事のご到着何よりでした。
・食糧支援・学用品支援の、停止期間の後、
昨日より、再開!
(尚、国内追悼慰霊・衣服支援は継続しておりました)
予算削減の為にいつもの格安航空で、フィリピンの
バコロドに行くのに、台北で乗り換え、マニラ到着。
国内線で、バコロドへ到着。
出発が、日本時間の朝6時でした。
到着の電話を今か今かと、待っておりましたが、
日本時間で、電話を頂いたのが、夜10時過ぎ。
向こうは約一時間の時差がありますから、
夜9時過ぎ、代表の声は草臥れて、話す事も出来ず
到着のご連絡だけ頂きました。
やはり、飛行機の乗り継ぎというのは、
かなり体力的にきついようです。
しかし、「国際ボランティア テラの会」の活動が
再開されたことは、私にとっても喜びです。
ゆっくり、休まれて、体力の回復の後に
活動を始められてください。
体あっての、活動です。
とにかく、無事のご到着何よりでした。