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日本は、近代西洋を(ヨーロッパとアメリカ)を「進歩」の
文明と信じてその文物移入に努めて来ましたけれど、
ほかならぬこの西洋は、18,19世紀の前後300年間ほどに
途方も無い数の黒人奴隷を両大陸間で売り買いした文明でも
ありました。その間、アフリカから拉致売買された黒人の総数は
1500万人に上るであろう、と言うのが、現在、最も権威ある
西洋側の専門家達の定説になっています。
20世紀の初めに至るまで、全欧米の諸国家は「人道的・・・
文明的・・・全能の神の御名により」を謳い文句に、実際は
奴隷制度の黙認に過ぎない合同規約ー南ア連邦のアパルトヘイト
に至っては、事実上の廃止まで、実に1993年まで待つ必要が
あったのです。
「アパルトヘイト」とは、「アフリカ収奪の最暴力的、最長的形態」
といわれた、黒人への徹底差別政策の事です。ポルトガル人・
新教徒系フランス人・他のヨーロッパ人によって、20世紀後半に
至るまで繰り返し法令化され、それによると、土地の92パーセント
余りは白人のもの、そのわずか残余が黒人のものに過ぎないとされ
黒人は都市区域から完全追放、また、人口増加を恐れて、白人との
性的関係まで、禁止されるというような、非人間的扱いでした。
この悪夢のようなアパルトヘイト法が、廃止と決まったのは、
ようやく、1990年(平成2年)のことです。そして、その事実上の
廃止まで、さらに3年間待たねばなりませんでした。
-祈りの御歌より抜粋ー
文明と信じてその文物移入に努めて来ましたけれど、
ほかならぬこの西洋は、18,19世紀の前後300年間ほどに
途方も無い数の黒人奴隷を両大陸間で売り買いした文明でも
ありました。その間、アフリカから拉致売買された黒人の総数は
1500万人に上るであろう、と言うのが、現在、最も権威ある
西洋側の専門家達の定説になっています。
20世紀の初めに至るまで、全欧米の諸国家は「人道的・・・
文明的・・・全能の神の御名により」を謳い文句に、実際は
奴隷制度の黙認に過ぎない合同規約ー南ア連邦のアパルトヘイト
に至っては、事実上の廃止まで、実に1993年まで待つ必要が
あったのです。
「アパルトヘイト」とは、「アフリカ収奪の最暴力的、最長的形態」
といわれた、黒人への徹底差別政策の事です。ポルトガル人・
新教徒系フランス人・他のヨーロッパ人によって、20世紀後半に
至るまで繰り返し法令化され、それによると、土地の92パーセント
余りは白人のもの、そのわずか残余が黒人のものに過ぎないとされ
黒人は都市区域から完全追放、また、人口増加を恐れて、白人との
性的関係まで、禁止されるというような、非人間的扱いでした。
この悪夢のようなアパルトヘイト法が、廃止と決まったのは、
ようやく、1990年(平成2年)のことです。そして、その事実上の
廃止まで、さらに3年間待たねばなりませんでした。
-祈りの御歌より抜粋ー
アンゴラの首都(ルアンダ)にしても、20世紀初め
-1904年ーに至っても、まだ次のような信じられない
光景が展開していたのです。
「目の前の平原の木には、そこにぶらさがった手かせ足かせ
に黒人奴隷たちが、一面にくくりつけられている。次の人間貨物
を船積みして帰ってくるときに、まだ、こいつらを使えるだろうとの
奴隷商人たちの魂胆である・・・・・」
ある西洋人のジャーナリストにリポートされた、この地獄絵は、
さすがに先進諸国にスキャンダルを巻き起こしたと言われますが、
驚くのはまだ、早すぎます。
ここでの、奴隷制は第一次世界大戦後まで、廃止される事は
なかったのですから。現在、アンゴラ共和国と呼ばれるこの国
そのものが、このような苛酷な収穫によって、ただの「飢えの国」
と呼ばれるまでに崩壊してしまっっていたのです。
第2次世界大戦後、ヨーロッパを宗主国とするアフリカ諸国は
共和国として一応、独立はしたものの、その後もなお、豊富な
天然資源を求める諸大国の利害と結びついて、明日なき紛争の
拡大に苦しみ続けています。
-祈りの御歌より抜粋ー
-1904年ーに至っても、まだ次のような信じられない
光景が展開していたのです。
「目の前の平原の木には、そこにぶらさがった手かせ足かせ
に黒人奴隷たちが、一面にくくりつけられている。次の人間貨物
を船積みして帰ってくるときに、まだ、こいつらを使えるだろうとの
奴隷商人たちの魂胆である・・・・・」
ある西洋人のジャーナリストにリポートされた、この地獄絵は、
さすがに先進諸国にスキャンダルを巻き起こしたと言われますが、
驚くのはまだ、早すぎます。
ここでの、奴隷制は第一次世界大戦後まで、廃止される事は
なかったのですから。現在、アンゴラ共和国と呼ばれるこの国
そのものが、このような苛酷な収穫によって、ただの「飢えの国」
と呼ばれるまでに崩壊してしまっっていたのです。
第2次世界大戦後、ヨーロッパを宗主国とするアフリカ諸国は
共和国として一応、独立はしたものの、その後もなお、豊富な
天然資源を求める諸大国の利害と結びついて、明日なき紛争の
拡大に苦しみ続けています。
-祈りの御歌より抜粋ー
★ まどあけつつ ききゐるにゅーす なんアなる
あぱるとへいとほう はいされしとぞ
美智子皇后陛下
アフリカにおいては、何千年間というものの、賢者によって
知恵が語り継がれてきました。また、賢者のみが
真に語る力というものをそなえているとされてきております
アンゴラにおいても、口伝は、記述聖典と同格の厳しさを保ち
ことば(パロル)は神聖とされてきました。
ブラック・アメリカでは、実用文字がシステム化されなかったために
かえって、パロル文化、すなわち「豊饒の聖言」を大切にしてきた
とも言えるでしょう。
日本の和歌も、それが文字によって書き留められる以前、上古の昔に
すでに音によって歌われ、文字が出来てからも歌われ続けてきました。
宮中での歌会始は、その生ける伝統の素晴らしい継承をあらわして
いるのです。
ヤマト民族ー古代日本民族の名ーの古い古い感情が、いまなお
そのなかに息づいていると感じるようになりました。
-祈りの御歌より抜粋ー
あぱるとへいとほう はいされしとぞ
美智子皇后陛下
アフリカにおいては、何千年間というものの、賢者によって
知恵が語り継がれてきました。また、賢者のみが
真に語る力というものをそなえているとされてきております
アンゴラにおいても、口伝は、記述聖典と同格の厳しさを保ち
ことば(パロル)は神聖とされてきました。
ブラック・アメリカでは、実用文字がシステム化されなかったために
かえって、パロル文化、すなわち「豊饒の聖言」を大切にしてきた
とも言えるでしょう。
日本の和歌も、それが文字によって書き留められる以前、上古の昔に
すでに音によって歌われ、文字が出来てからも歌われ続けてきました。
宮中での歌会始は、その生ける伝統の素晴らしい継承をあらわして
いるのです。
ヤマト民族ー古代日本民族の名ーの古い古い感情が、いまなお
そのなかに息づいていると感じるようになりました。
-祈りの御歌より抜粋ー