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テラの会は、その9でご報告の通り、
今現在パタヤに居ます。
全ての支援を終え、体を休めているようです。
パタヤは、凄く楽しそうな観光地らしく、
(私も行った事がないので分かりません)
観光で来る人にとっては、必要なものが
全てあるだろうと、代表がおっしゃっていました。
また、賑やかで24時間ずっと遊べる所のようです。
テラの会は、パタヤも何度も訪ね、海岸沿いの
ストリートチルドレンに、衣服支援や、食糧支援を
してきました。
せっかくだから、一晩ぐらい夜の街に繰り出そう・・
と、いつも意気込みはあるのですが、如何せん
毎度の事で、疲れ果てて早々と眠り、食事も
外の屋台で買ってきて、部屋で食べるという
ありさまです(笑)
そのぐらい疲れるのです。
何故でしょうか?
それは、代表の場合特に、一人ひとりの
目線に立って、その子の心に寄り添うからです。
そして、サイズを合わせ、どちらにしようか?
などと、心の交流やスキンシップをしながら
「手渡し」するからです。
そんな馬鹿げた支援を、とお思いになりますか?
私はそうは思いません。
私が、その子供だったら、日本から来たと言う、
ちょっと変てこな着物を着たおじさんが、
とても優しい笑顔で、丁寧に選んで私に
この洋服をくれたと、心に残る事でしょう。
子供・・・特に、恵まれない子供は、すぐ見抜きます。
この大人は嘘つきか、そうでないか・・・
子供たちが嬉しいと私達も嬉しい・・・共感です。
本当のコミュニケーションだと思います。
子供達から教えられた・・・とか、
そんなものでもない。ただ、楽しく共感しあうのです。
今の日本に一番欠けているものでは
ないでしょうか?
一枚の衣類が、一本の鉛筆が、
「こころ」を伝えます。日本の心です。
大きな団体だから出来る事・・・
医者だから出来る事・・・・
etc・・・・・・・
だったら、テラの会が出来る事を
すればいい・・・・
もっと言ったら、あなたが出来る事を
すればいい・・・・
何もしないなら、何も言わないで・・
何も思わないで・・・・・欲しい。
今現在パタヤに居ます。
全ての支援を終え、体を休めているようです。
パタヤは、凄く楽しそうな観光地らしく、
(私も行った事がないので分かりません)
観光で来る人にとっては、必要なものが
全てあるだろうと、代表がおっしゃっていました。
また、賑やかで24時間ずっと遊べる所のようです。
テラの会は、パタヤも何度も訪ね、海岸沿いの
ストリートチルドレンに、衣服支援や、食糧支援を
してきました。
せっかくだから、一晩ぐらい夜の街に繰り出そう・・
と、いつも意気込みはあるのですが、如何せん
毎度の事で、疲れ果てて早々と眠り、食事も
外の屋台で買ってきて、部屋で食べるという
ありさまです(笑)
そのぐらい疲れるのです。
何故でしょうか?
それは、代表の場合特に、一人ひとりの
目線に立って、その子の心に寄り添うからです。
そして、サイズを合わせ、どちらにしようか?
などと、心の交流やスキンシップをしながら
「手渡し」するからです。
そんな馬鹿げた支援を、とお思いになりますか?
私はそうは思いません。
私が、その子供だったら、日本から来たと言う、
ちょっと変てこな着物を着たおじさんが、
とても優しい笑顔で、丁寧に選んで私に
この洋服をくれたと、心に残る事でしょう。
子供・・・特に、恵まれない子供は、すぐ見抜きます。
この大人は嘘つきか、そうでないか・・・
子供たちが嬉しいと私達も嬉しい・・・共感です。
本当のコミュニケーションだと思います。
子供達から教えられた・・・とか、
そんなものでもない。ただ、楽しく共感しあうのです。
今の日本に一番欠けているものでは
ないでしょうか?
一枚の衣類が、一本の鉛筆が、
「こころ」を伝えます。日本の心です。
大きな団体だから出来る事・・・
医者だから出来る事・・・・
etc・・・・・・・
だったら、テラの会が出来る事を
すればいい・・・・
もっと言ったら、あなたが出来る事を
すればいい・・・・
何もしないなら、何も言わないで・・
何も思わないで・・・・・欲しい。
テラの会は、一昨日、メーソートのドムアン空港
(国内線)から、バンコクへ飛び、バンコクから
バスに思いっきり揺られて、パタヤに、居ます。
あのパタパタ飛行機(私がネーミング)は、結構
怖くて楽しい・・・足元のすぐ下は、広がる空間で
あることがリアルに伝わってきて、一度乗られると
良いと思います。一応プロペラとエンジンの混合です。
鉄の塊の中に居て、空中に浮いてるっていうの!!
実感できます。
バスは3時間・・・これが、疲れるったら何の・・
何しろ道が立派だから、バスの大荷物のように、
なすがまま、きょうりがぱぱ・・状態。眠る事もできず
身を任せるしか方法がありません。
でも、出来うる限りお金を使わないため、自分達の限界と
経済を計算しながら、旅を続けます。
本当に節約の旅です。
さて、今朝の電話の前に、メーソートの追悼慰霊・衣服支援etc
について、まだ書いていない事を伝えます。
私も訪ねた森の学校の中で、いくつかはNGOによる、支援が始まり
食べ物や飲み物また、寝る場所には不自由がないようだったので
或る意味安心致しました。しかし、子供達の生活のお世話を実際に
行っているのは、実はビルマ人か、タイ人で、一ヶ月1000バーツで
子供達のお世話をしているようでした。
プロテスタントですから、礼拝には、必ず参加させられているようです。
そして、以前訪ねた森の学校には、まだ幼稚園ぐらいの子は
そこに残されていました。何故だか解りません。
また、NGOが、管理している場所で働いている若者も、衣服が無いようで
代表に、ぼく達の分は何かありませんか?と、聞かれたそうです。
それで、さしあげたとおっしゃっていました。
その日は、中野さんの息子さんの奥様(NGOの方で聡明で何ヶ国語も
話す方・・・)は、いらっしゃれなくて、中野さんのお孫さんが車を運転して
くださり、中野さんの親友のHさんと、
そのお嬢さん(先日、日本に語学留学でいらした方)と、
お姉さんが森の学校の案内や、支援のお手伝いもしてくださいました。
テラの会を通じてこのような交流、またお付き合いが始まるのは
本当に嬉しい事です。何もいわなくても通じるからです。
だから、言葉が通じなくても大丈夫なのです。
(国内線)から、バンコクへ飛び、バンコクから
バスに思いっきり揺られて、パタヤに、居ます。
あのパタパタ飛行機(私がネーミング)は、結構
怖くて楽しい・・・足元のすぐ下は、広がる空間で
あることがリアルに伝わってきて、一度乗られると
良いと思います。一応プロペラとエンジンの混合です。
鉄の塊の中に居て、空中に浮いてるっていうの!!
実感できます。
バスは3時間・・・これが、疲れるったら何の・・
何しろ道が立派だから、バスの大荷物のように、
なすがまま、きょうりがぱぱ・・状態。眠る事もできず
身を任せるしか方法がありません。
でも、出来うる限りお金を使わないため、自分達の限界と
経済を計算しながら、旅を続けます。
本当に節約の旅です。
さて、今朝の電話の前に、メーソートの追悼慰霊・衣服支援etc
について、まだ書いていない事を伝えます。
私も訪ねた森の学校の中で、いくつかはNGOによる、支援が始まり
食べ物や飲み物また、寝る場所には不自由がないようだったので
或る意味安心致しました。しかし、子供達の生活のお世話を実際に
行っているのは、実はビルマ人か、タイ人で、一ヶ月1000バーツで
子供達のお世話をしているようでした。
プロテスタントですから、礼拝には、必ず参加させられているようです。
そして、以前訪ねた森の学校には、まだ幼稚園ぐらいの子は
そこに残されていました。何故だか解りません。
また、NGOが、管理している場所で働いている若者も、衣服が無いようで
代表に、ぼく達の分は何かありませんか?と、聞かれたそうです。
それで、さしあげたとおっしゃっていました。
その日は、中野さんの息子さんの奥様(NGOの方で聡明で何ヶ国語も
話す方・・・)は、いらっしゃれなくて、中野さんのお孫さんが車を運転して
くださり、中野さんの親友のHさんと、
そのお嬢さん(先日、日本に語学留学でいらした方)と、
お姉さんが森の学校の案内や、支援のお手伝いもしてくださいました。
テラの会を通じてこのような交流、またお付き合いが始まるのは
本当に嬉しい事です。何もいわなくても通じるからです。
だから、言葉が通じなくても大丈夫なのです。
この「日々徒然」が、目に留まった方は
出来たら、その8だけでなくて、その1から
読んで頂けたら光栄です。
実際の、活動や行為を、電話で聞いて
リアルタイムで伝えることは、テラの会の
活動が、不透明な部分が一つも無い事を
出来うる限り、解っていただきたいから、
また、今、日本にとって大切な情報である
と思うからです。
散乱文なので、申し訳ないことだと思います。
昨日、「その7」で、書いた事は、私が、代表の話を
聞いて感じた事であり、代表の言葉を聞いたとしても
私と言う、フィルターを通して書いた事である事を
了解していただきたいと思います。
アボリジニ民族の歴史については、詳しくは
記してはいません。その悲劇の歴史の重みと
今回のメソットのミャンマー難民、また、タイの
子供達の国の歴史の中での、位置はかなり
違うと思います。
私が、言いたかったのは、今日食べるものが無い、
今日寝る家が無い、服が無い、字を書く鉛筆・ボールペン
・ノートが無い・病気になって、薬を貰う病院が無い、
そういうものは、世界中で助け合う事だと思います。
けれど、心の問題・・・宗教の選択は、彼らの意志に委ねる
事ではないだろうか・・・と、感じ、問題提起しました。
と言うか、そこに、宗教が、関わる場合、かなり慎重に
なって欲しい、と思いました。
もし、関わるなら、自分の宗教の教義だけでなく、歴史を
深く学んで、謙虚に慎重に関わる事が大切だと思います。
テラの会は、宗教団体ではありません。この活動の、何か
助けになれば、自分なら、これができると言う好意のみに
よって成り立っています。
まだ、報告がありますが、その8は、ひとまず区切ります。
出来たら、その8だけでなくて、その1から
読んで頂けたら光栄です。
実際の、活動や行為を、電話で聞いて
リアルタイムで伝えることは、テラの会の
活動が、不透明な部分が一つも無い事を
出来うる限り、解っていただきたいから、
また、今、日本にとって大切な情報である
と思うからです。
散乱文なので、申し訳ないことだと思います。
昨日、「その7」で、書いた事は、私が、代表の話を
聞いて感じた事であり、代表の言葉を聞いたとしても
私と言う、フィルターを通して書いた事である事を
了解していただきたいと思います。
アボリジニ民族の歴史については、詳しくは
記してはいません。その悲劇の歴史の重みと
今回のメソットのミャンマー難民、また、タイの
子供達の国の歴史の中での、位置はかなり
違うと思います。
私が、言いたかったのは、今日食べるものが無い、
今日寝る家が無い、服が無い、字を書く鉛筆・ボールペン
・ノートが無い・病気になって、薬を貰う病院が無い、
そういうものは、世界中で助け合う事だと思います。
けれど、心の問題・・・宗教の選択は、彼らの意志に委ねる
事ではないだろうか・・・と、感じ、問題提起しました。
と言うか、そこに、宗教が、関わる場合、かなり慎重に
なって欲しい、と思いました。
もし、関わるなら、自分の宗教の教義だけでなく、歴史を
深く学んで、謙虚に慎重に関わる事が大切だと思います。
テラの会は、宗教団体ではありません。この活動の、何か
助けになれば、自分なら、これができると言う好意のみに
よって成り立っています。
まだ、報告がありますが、その8は、ひとまず区切ります。
今から、書く事は、私は読んで下さる方に
上手く伝えられるか自信がありません。
メーソートは地元では、「メソ」とだけ言われたりします。
書くときにはメソットと書く場合があるようです。
私など、メンソレータムとごっちゃにして、
メンソートと書いては、企画広報部長に怒られました。
外国語は難しいですね・・・こんな話ではなかった。
数年前、テラの会は、オーストラリアのアボリジニ民族の
村を訪れました。詳しいことは、私のリンクからテラの会
をクリックして、活動履歴をクリックすると、昔の活動から
ずっと出てきます。
アボリジニ民族の方々は、占領された上に貧しいままで
白人社会の低下層の人たちとして暮らしていました。
今でも、貧しいアボリジニの方々は、占領した白人達の宗教
カソリックの教会からの支援??を受けて暮らしている
人も多くいます。
例えばカソリックの長い歴史と教義と、シスターをそれぞれ
どうとらえるか・・・・。
まず、書きますが「国際私設ボランティア テラの会」の代表は
13歳で聖書を読み始め、15歳で洗礼を受けました。
ボーイスカウトで寄付金を駅に立って募ったり、
教会のミサの手伝いをしたり、なんと!!オルガンまで弾いて
いたそうです。
非常に、宗教的な方であると思います。そして、神父になるべく
上智大学の神学科に、推薦を受け、上京しますがそこで多くの
疑問を抱き、そこから代表の宗教遍歴が始まりました。半端な
性格ではないので、カソリックだけでなく、カソリックから派生した
あらゆる新興宗教や、仏教、密教、神道、念仏もお経も、唱え
50にして行き着いたのが、「伝統」でした。
これを、一時期古神道と、おっしゃっていましたが、神道も様々に
分派しているので、誤解をされないように、所作は古神道で、心は
伝統、と言うところに行き着いたようです。それは、アッラーではない
自然の多くのものを助け、暖かい陽光を降り注ぐ、「太陽」です。
「太陽神」ではありません。
所作は、一応神道の所作ですが、慰霊の時は
そこに眠っている方にふさわしい祈りを捧げて慰霊をします。
「最後の日本兵中野さん」は、クリスチャンでしたので、
レクイエム エテルナム ドナ エーイス ドミネ
(神よ、永遠の安息を与えたまえ)と、お祈りし
私は、「フォーレのレクイエムより」「ピエ・イエズ」を捧げました。
今では、一番の「祈り」は黙祷であると、おっしゃっています。
般若心経も唱えますし、平気でムスリムで寝たりします。
何より、大切なのは「心」であるし、どんなに豪華に祭壇を整えても
あちらからは丸見えというのが、本当でしょう。
遠い日本から、異国へ、それも身内でもないのに、その方々に
心からの慰霊をせずにはおれない・・・というのが、代表の真の
姿です。信じられないでしょう。
人は、自分が思いつきもしないことは
感じもしないことは、排他的に否定するのです。
それは、良いとして、そのアボリジニの人々の目を見たときに
魂を抜かれたような目だった・・・印象的だったとおっしゃられていました。
シスターは、食事を与えたり、言葉を教えたり良い事をしている・・・聖書も
読み聞かせ、朝夕の祈りも、食事の前の祈りも欠かさないでしょう・・・。
敬虔なクリスチャンですから・・・・
何が、アボリジニの子供にとって、幸せな事だろうかと、思います。
雨露凌げる建物・美味しい食事・衣類は必要です。それ以上の教育の
選択は何が正しい事なのか、非常に難しい問題ですね。
だって、アボリジニ民族の信仰はあった、いや今でもあるのです。
それは、精霊信仰に近いものです。
それを、尊重しなくてよいのでしょうか?
それは、伝統であり文化です。
シスターが、悪いというわけではないでしょう。
教義は、カソリックの人だけのものでしょう。
土着の信仰をもっているアボリジニ民族の
まだ、何もわからない子供達にカソリックの教えを
植えつけるのは正しい事でしょうか?
そして、それと同じことが、メソットでも始まっていたようです。
我々が、一昨年訪ねた、森の孤児院の或る一定の年齢以上の
子供たちは、プロテスタント系の施設に移されていました。
表向きはNGOです。
非常に、敏感な問題です。
上手く伝えられるか自信がありません。
メーソートは地元では、「メソ」とだけ言われたりします。
書くときにはメソットと書く場合があるようです。
私など、メンソレータムとごっちゃにして、
メンソートと書いては、企画広報部長に怒られました。
外国語は難しいですね・・・こんな話ではなかった。
数年前、テラの会は、オーストラリアのアボリジニ民族の
村を訪れました。詳しいことは、私のリンクからテラの会
をクリックして、活動履歴をクリックすると、昔の活動から
ずっと出てきます。
アボリジニ民族の方々は、占領された上に貧しいままで
白人社会の低下層の人たちとして暮らしていました。
今でも、貧しいアボリジニの方々は、占領した白人達の宗教
カソリックの教会からの支援??を受けて暮らしている
人も多くいます。
例えばカソリックの長い歴史と教義と、シスターをそれぞれ
どうとらえるか・・・・。
まず、書きますが「国際私設ボランティア テラの会」の代表は
13歳で聖書を読み始め、15歳で洗礼を受けました。
ボーイスカウトで寄付金を駅に立って募ったり、
教会のミサの手伝いをしたり、なんと!!オルガンまで弾いて
いたそうです。
非常に、宗教的な方であると思います。そして、神父になるべく
上智大学の神学科に、推薦を受け、上京しますがそこで多くの
疑問を抱き、そこから代表の宗教遍歴が始まりました。半端な
性格ではないので、カソリックだけでなく、カソリックから派生した
あらゆる新興宗教や、仏教、密教、神道、念仏もお経も、唱え
50にして行き着いたのが、「伝統」でした。
これを、一時期古神道と、おっしゃっていましたが、神道も様々に
分派しているので、誤解をされないように、所作は古神道で、心は
伝統、と言うところに行き着いたようです。それは、アッラーではない
自然の多くのものを助け、暖かい陽光を降り注ぐ、「太陽」です。
「太陽神」ではありません。
所作は、一応神道の所作ですが、慰霊の時は
そこに眠っている方にふさわしい祈りを捧げて慰霊をします。
「最後の日本兵中野さん」は、クリスチャンでしたので、
レクイエム エテルナム ドナ エーイス ドミネ
(神よ、永遠の安息を与えたまえ)と、お祈りし
私は、「フォーレのレクイエムより」「ピエ・イエズ」を捧げました。
今では、一番の「祈り」は黙祷であると、おっしゃっています。
般若心経も唱えますし、平気でムスリムで寝たりします。
何より、大切なのは「心」であるし、どんなに豪華に祭壇を整えても
あちらからは丸見えというのが、本当でしょう。
遠い日本から、異国へ、それも身内でもないのに、その方々に
心からの慰霊をせずにはおれない・・・というのが、代表の真の
姿です。信じられないでしょう。
人は、自分が思いつきもしないことは
感じもしないことは、排他的に否定するのです。
それは、良いとして、そのアボリジニの人々の目を見たときに
魂を抜かれたような目だった・・・印象的だったとおっしゃられていました。
シスターは、食事を与えたり、言葉を教えたり良い事をしている・・・聖書も
読み聞かせ、朝夕の祈りも、食事の前の祈りも欠かさないでしょう・・・。
敬虔なクリスチャンですから・・・・
何が、アボリジニの子供にとって、幸せな事だろうかと、思います。
雨露凌げる建物・美味しい食事・衣類は必要です。それ以上の教育の
選択は何が正しい事なのか、非常に難しい問題ですね。
だって、アボリジニ民族の信仰はあった、いや今でもあるのです。
それは、精霊信仰に近いものです。
それを、尊重しなくてよいのでしょうか?
それは、伝統であり文化です。
シスターが、悪いというわけではないでしょう。
教義は、カソリックの人だけのものでしょう。
土着の信仰をもっているアボリジニ民族の
まだ、何もわからない子供達にカソリックの教えを
植えつけるのは正しい事でしょうか?
そして、それと同じことが、メソットでも始まっていたようです。
我々が、一昨年訪ねた、森の孤児院の或る一定の年齢以上の
子供たちは、プロテスタント系の施設に移されていました。
表向きはNGOです。
非常に、敏感な問題です。