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★ 押し照る 難波の菅の ねもころに 君が聞こして 年深く 長くし言へば まそ鏡 磨ぎし心を
許してし その日の極み 波の共 靡く玉藻の かにかくに 心は持たず 大船の 頼める時に
ちはやぶる 神か放くらむ うつせみの 人か障わらむ 通はしし 君も来まさず 玉梓の
使ひも見えず なりぬれば いたもすべなみ ぬばたまの 夜はすがらに 赤らひく
日も暮るるまで 嘆けども 験をなみ 思へども たづきを知らに 手弱女と 言はくもしるく
た童の 哭のみ泣きつつ たもとほり 君が使ひを 待ちやかねてむ
★ おしてる なにはのすげの ねもころに きみがきこして としふかく ながくしいへば
まそかがみ とぎしこころを ゆるしてし そのひのきはみ なみのむた なびくたまもの
かにかくに こころはもたず おおぶねの たのめるときに ちはやぶる かみかさくらむ
うつせみの ひとかさふらむ かよはしし きみもきまさず たまづさの つかひもみえず
なりぬれば いたもすべなみ ぬばたまの よるはすがらに あからひく ひもくるるまで
なげけども しるしをなみ おもへども たづきをしらに たわやめと いはくもしるく
たわらはの ねのみなきつつ たもとほり きみがつかひを まちやかねてむ
巻4-619
★ 海も一面に照り輝く難波の菅の根のように、ねんごろにあなたが言葉をかけ、年を深く
長く久しくと、おっしゃるので、真澄の鏡のようを研ぐように操を守る堅固な心を許した
その日からとというもの、波とともに揺れ靡く玉藻のように、あれこれと迷う心は持たず
大船のように、あなたを頼りとしていたときに、荒ぶる神が、仲を裂くのだろうか、この現世
の人が邪魔をするのだろうか・・・通っておられたあなたもお出でにならず、玉梓の使いも
姿を見せなくなってしまったので、どうしようもなく、ぬばたまの夜は夜通し、明るく照らす
昼は日の暮れるまで、嘆いていますが、その甲斐も無く、いくら思ったところで、手立ても
わからず、かよわい女という言葉さながらに、まるで幼い子供のように、声に出して
泣きながら、彷徨い、あなたからの使いが来るのを、待ちかねるのだろうか・・・・
人の縁(えにし)の不思議というものを、感じることがある。
日本の人口は1億3千万ほど・・・その中の何人の人と出会い、そして、親しくなるのだろうか・・・
そう考えると、出会いの不思議を本当に感じる・・・
酷い鬱で、ほぼ寝たきりだったので、その頃の行動を緻密には憶えていないけれど、仕事に行く
のがやっとだった私が、ヤマハで、藤岡さんのチラシにを手にしたこと・・・・それが全ての始まり
でした。
そして、コンサートは確か当日か翌日だったので、慌てて事務所に電話しました。
受けたのは、木村天山氏・・・・初めて、電話で話すのに、なんだか、何を話してもいい感じで
今の音楽教育や音楽の世界のことについて、自分が思っていることを立て続けに喋ったような
気がします。そういう、不思議な雰囲気を木村氏は持っていました。優しい人だな・・・と、感じた
事を憶えています。まぁ、今考えれば、心理カウンセラーの資格も持って、占いカウンセリングを
何万人もした木村氏にとっては、たわいない事かもしれません。でも、私は本当の心をぶつける
相手を探していたのでしょう・・・。
親しくなっても本当の事は話せない今のご時世です。なぜか、会った事も無い、木村氏に
私は、心をぶつけていたのでした。
そして、コンサート会場の受付で、実際に木村氏に会ったのです。
着物姿で、みなとみらいの小ホールの受付に、木村氏が立っていました。
走ってくる私の慌てた姿を見て、「待っていましたよ」と、おっしゃる。
「すみません」と、言いながら、チケットを受け取り、支払いを済ませ、
客席に駆け込みました。
その出会いと、その後の藤岡宣男の歌声との出会いが無かったら、今の私は在り得ないのです。
どちらが、欠けても、今の私は無い・・・・そう思うと、縁の不思議を感じずにはおられません。
藤岡さんだけでも、木村氏だけでも、在り得ない・・・お二人に出会ったから今の私が在る。
そう思うと、出会った方々との縁を大切にせずにはおられません。
出会おうと思って出会える訳ではない・・・そして、出会えたなら、大切にしたい・・・と
日本の人口は1億3千万ほど・・・その中の何人の人と出会い、そして、親しくなるのだろうか・・・
そう考えると、出会いの不思議を本当に感じる・・・
酷い鬱で、ほぼ寝たきりだったので、その頃の行動を緻密には憶えていないけれど、仕事に行く
のがやっとだった私が、ヤマハで、藤岡さんのチラシにを手にしたこと・・・・それが全ての始まり
でした。
そして、コンサートは確か当日か翌日だったので、慌てて事務所に電話しました。
受けたのは、木村天山氏・・・・初めて、電話で話すのに、なんだか、何を話してもいい感じで
今の音楽教育や音楽の世界のことについて、自分が思っていることを立て続けに喋ったような
気がします。そういう、不思議な雰囲気を木村氏は持っていました。優しい人だな・・・と、感じた
事を憶えています。まぁ、今考えれば、心理カウンセラーの資格も持って、占いカウンセリングを
何万人もした木村氏にとっては、たわいない事かもしれません。でも、私は本当の心をぶつける
相手を探していたのでしょう・・・。
親しくなっても本当の事は話せない今のご時世です。なぜか、会った事も無い、木村氏に
私は、心をぶつけていたのでした。
そして、コンサート会場の受付で、実際に木村氏に会ったのです。
着物姿で、みなとみらいの小ホールの受付に、木村氏が立っていました。
走ってくる私の慌てた姿を見て、「待っていましたよ」と、おっしゃる。
「すみません」と、言いながら、チケットを受け取り、支払いを済ませ、
客席に駆け込みました。
その出会いと、その後の藤岡宣男の歌声との出会いが無かったら、今の私は在り得ないのです。
どちらが、欠けても、今の私は無い・・・・そう思うと、縁の不思議を感じずにはおられません。
藤岡さんだけでも、木村氏だけでも、在り得ない・・・お二人に出会ったから今の私が在る。
そう思うと、出会った方々との縁を大切にせずにはおられません。
出会おうと思って出会える訳ではない・・・そして、出会えたなら、大切にしたい・・・と
日本に、帰って、2週間と数日・・・もう一年ぐらい経った気がする・・・・
思い出は日々熟成していく、実りの多い旅だった。
今回は、ビデオに収めていたので、それを見ると、何か・・・こころがすっきりとし、満たされた
思いになるのだ・・・不思議だ・・・
戦没者の追悼慰霊・衣服支援・日本の歌メモリアルコンサート 第4回・そして、思いで深き
カレン村・様々な学校での交流と衣服支援・・・・どれひとつとっても、忘れられない大切な
思い出で、日々その思いは深まっていくのだ・・・・
本当に、不思議である・・・
昔、家族で超安い旅行で、ホノルルに行ったらしいのだが、何一つ覚えていない。
一体、この差は、何を示して居るのだろう・・・・
観光旅行は自主的にはもう出来ないと思う・・・本物の旅を知ってしまったから・・・
心のふれあい・・・と言えば簡単な事だけれど、実際、行動するのは容易なことではない。
この始まりは全て、木村天山先生による、発動から、始まっている。他のメンバーは、一人では
絶対に出来ないだろうと思う。 勿論、私も・・・だから、参加させてもらえる事を誇りに思うし、
嬉しくて楽しくてならない・・・・何の邪心もない旅での、心の交流がこんなに深い感動を
与えるものだとは・・・・こういう機会を与えてくださった、木村先生に感謝の心でいっぱいである。
勿論、来年も行きたい・・・今からお金を貯めよう。あの子にもこの子にももう一度、会いたい。
そして、戦没者の追悼慰霊の、心穏やかになることといったら・・・・・お経をお坊さんが唱えて
いるような、追悼慰霊だったら、けっしてこんな気持ちにはならない。生まれ持った清め払い
の能力で、素直な心で、真心を込めて、追悼をし、慰霊をしているので、もし、そこに佇んで
離れられない戦没者の霊たちは、本当に慰められる思う。型を守ることではなく、心を伝える
所作で追悼慰霊をしているから・・・・これからも、是非参加させてください。