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今月の活動も、一息つき、近くのホームで暮している母を訪ねる。
母は、父を亡くしてから、一回も住んだ事がない横浜で暮している。
福岡で夫婦で寄り添うように、しかし、毎日喧嘩ばかり
しながら共に暮していた、父と母・・・・
その父は、肺腺ガン末期と宣告され、半年でこの世を旅立った・・・
予想だにしていなかった人生の展開に、母は、自分を守るために
痴呆が始まった・・・・どこの家庭でもあるような様々な出来事があり
母は最初に引き取った私の家に再び戻ってきた。
つきっきりで面倒を見なければならない状態だった。運良く、我家の
近くの温かみのあるホームに入所できて、体重も増え、昔のように
わがままを言うようになった。
でも、老いた・・・確実に老いていく母を見ながら、自覚する。
生老病死・・・
藤岡さんのお母さんにも時々会いに行く。
母と息子二人きりの人生で、自分より早く、一人息子を失った母は、
息子が逝って、一週間でボケてしまった。
私は、それを救いだと思った。
死なない人間も老いない人もいない。もう足音をたてて、やってきている
「老い」に、私は、どう抗うのか、なんとか上手く、乗り越えたいもの
だと思っている。
母は、父を亡くしてから、一回も住んだ事がない横浜で暮している。
福岡で夫婦で寄り添うように、しかし、毎日喧嘩ばかり
しながら共に暮していた、父と母・・・・
その父は、肺腺ガン末期と宣告され、半年でこの世を旅立った・・・
予想だにしていなかった人生の展開に、母は、自分を守るために
痴呆が始まった・・・・どこの家庭でもあるような様々な出来事があり
母は最初に引き取った私の家に再び戻ってきた。
つきっきりで面倒を見なければならない状態だった。運良く、我家の
近くの温かみのあるホームに入所できて、体重も増え、昔のように
わがままを言うようになった。
でも、老いた・・・確実に老いていく母を見ながら、自覚する。
生老病死・・・
藤岡さんのお母さんにも時々会いに行く。
母と息子二人きりの人生で、自分より早く、一人息子を失った母は、
息子が逝って、一週間でボケてしまった。
私は、それを救いだと思った。
死なない人間も老いない人もいない。もう足音をたてて、やってきている
「老い」に、私は、どう抗うのか、なんとか上手く、乗り越えたいもの
だと思っている。
★ あぢさはふ 妹が目離れて 敷栲の 枕も巻かず 桜皮巻き
作れる船に 真楫貫き 我が漕ぎ来れば 淡路の 野島も過ぎ
印南都麻 辛荷の島の 島の際ゆ 我家を見れば 青山の
そことも見えず 白雲も 千重になり来ぬ 漕ぎ廻むる
浦のことごと 行き隠る 島の崎々 隈も置かず
思ひそ我が来る 旅の日長み
★ あぢさはふ いもがめかれて しきたへの まくらもまかず
かにはまき つくれるふねに まかぢぬき わがこぎくれば
あはぢの のしまもすぎ いなみつま からにのしまの
しまのまゆ わぎへをみれば あおやまの
そこともみえず しらくもも ちへになりきぬ こぎたむる
うらのことごと いきかくる しまのさきざき くまもおかず
おもひそあがくる たびのけながみ
★ 愛しき妻にも会わずに、いつもの枕もない。桜の皮を巻いて
作った舟に、両楫を通して、自分で漕いでくると
淡路の野島も過ぎ、印南島の端、辛荷の島の、あたりから
振り返って我が家を見ると、青々とした山が連なり、どこにあるか
わからない。白雲は幾重にも重なっている。漕ぎまわり、
浦の一つ一つに、行き隠れ行く 島の岬ごとに、思いを深めて
行く事です。旅の日数が長くて・・・・
巻き6-942 山部赤人
作れる船に 真楫貫き 我が漕ぎ来れば 淡路の 野島も過ぎ
印南都麻 辛荷の島の 島の際ゆ 我家を見れば 青山の
そことも見えず 白雲も 千重になり来ぬ 漕ぎ廻むる
浦のことごと 行き隠る 島の崎々 隈も置かず
思ひそ我が来る 旅の日長み
★ あぢさはふ いもがめかれて しきたへの まくらもまかず
かにはまき つくれるふねに まかぢぬき わがこぎくれば
あはぢの のしまもすぎ いなみつま からにのしまの
しまのまゆ わぎへをみれば あおやまの
そこともみえず しらくもも ちへになりきぬ こぎたむる
うらのことごと いきかくる しまのさきざき くまもおかず
おもひそあがくる たびのけながみ
★ 愛しき妻にも会わずに、いつもの枕もない。桜の皮を巻いて
作った舟に、両楫を通して、自分で漕いでくると
淡路の野島も過ぎ、印南島の端、辛荷の島の、あたりから
振り返って我が家を見ると、青々とした山が連なり、どこにあるか
わからない。白雲は幾重にも重なっている。漕ぎまわり、
浦の一つ一つに、行き隠れ行く 島の岬ごとに、思いを深めて
行く事です。旅の日数が長くて・・・・
巻き6-942 山部赤人
オペラアリアの第一回 コンサートが終了しました。
私個人の歌手活動は今年はこれで終わりました。後は、亡き師匠の
生誕祭のコンサートを残すのみです。
いつも、思うのですが、コンサートの準備は長い時間をかけて
そして、瞬間芸術である舞台は、あっという間に終わります。
本当に、あっという間・・・死ぬ時も、そう思うのでしょうか・・・・
そして、いつも、まだまだだ・・・もっともっと勉強しなくては・・・
と、思い、師匠 藤岡宣男の事を思い出すのです。
そして改めて、その素晴らしさを感じるのです。
次はもっと素晴らしいものにしたいと、思います。
いらしていただいた方が、ああとても満足したと全員がそう感じて、
いただける舞台を作りたいと思います。
影ながら、支えてくださった多くの皆様に心から感謝を申し上げます。
私個人の歌手活動は今年はこれで終わりました。後は、亡き師匠の
生誕祭のコンサートを残すのみです。
いつも、思うのですが、コンサートの準備は長い時間をかけて
そして、瞬間芸術である舞台は、あっという間に終わります。
本当に、あっという間・・・死ぬ時も、そう思うのでしょうか・・・・
そして、いつも、まだまだだ・・・もっともっと勉強しなくては・・・
と、思い、師匠 藤岡宣男の事を思い出すのです。
そして改めて、その素晴らしさを感じるのです。
次はもっと素晴らしいものにしたいと、思います。
いらしていただいた方が、ああとても満足したと全員がそう感じて、
いただける舞台を作りたいと思います。
影ながら、支えてくださった多くの皆様に心から感謝を申し上げます。