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娘が出産するまでの間、更に仰天するような出来事が、いくつも続き、私自身、
時系列もよく覚えていない。ただ、いつも私は、ひたすら、一生懸命だった。
結果が良いとか悪いとか、死ぬまで、いや死んでも分からないかもしれないけれど
私と言う、「母親」はあのようにしか行動できなかった・・・と言うことだ。
義理の息子は私をとても慕ってくれた。しかし、育った環境や価値観はいかんともしが
たいものはあった。
自分の出産が日赤病院で、嫌な、まるでもの扱いのような出産だったので、娘の
出産は、いい思い出にしてやりたかった。運のいいことに、一軒家の一室で産むと言う
助産院のよいところが見つかったので、そこにした。
深いことは何も聞かず、とても親身になってくれる暖かい助産院だった。
そこで、娘は、妹と私と彼に見守られながら、普通のベットの上で、とても自然に
金属にも囲まれず、バスタオルを敷いて、出血も少なく、とてもいい出産をした。
私は、いい出産ができて本当に良かったと思った。
生まれた男の子は、とても健康で美男子だった・・・すでに、ばぁばの欲目である。
産んでも産まなくても、どちらにしても大変な人生なら、産む・・・と言う
方向に前進させてやりたかった。「いのち」を授かったのだから・・・
時系列もよく覚えていない。ただ、いつも私は、ひたすら、一生懸命だった。
結果が良いとか悪いとか、死ぬまで、いや死んでも分からないかもしれないけれど
私と言う、「母親」はあのようにしか行動できなかった・・・と言うことだ。
義理の息子は私をとても慕ってくれた。しかし、育った環境や価値観はいかんともしが
たいものはあった。
自分の出産が日赤病院で、嫌な、まるでもの扱いのような出産だったので、娘の
出産は、いい思い出にしてやりたかった。運のいいことに、一軒家の一室で産むと言う
助産院のよいところが見つかったので、そこにした。
深いことは何も聞かず、とても親身になってくれる暖かい助産院だった。
そこで、娘は、妹と私と彼に見守られながら、普通のベットの上で、とても自然に
金属にも囲まれず、バスタオルを敷いて、出血も少なく、とてもいい出産をした。
私は、いい出産ができて本当に良かったと思った。
生まれた男の子は、とても健康で美男子だった・・・すでに、ばぁばの欲目である。
産んでも産まなくても、どちらにしても大変な人生なら、産む・・・と言う
方向に前進させてやりたかった。「いのち」を授かったのだから・・・
娘は家を出た・・・と言っても、其のころは殆ど家にいなかったけれど・・・
其のころの事は断片式にしか覚えていない。最初は、向こうのお母さんと同居していた
のだが、いつごろからか、おんぼろアパートの一階で二人は生活を
始めた。娘はいつのまに覚えたのか料理を作り、彼は働きにでた。
傍若無人に10代を過ごした二人の生活。覚えているのは、玄関を開けた土間に
冷蔵庫が置いてあり、隙間風がヒューヒューと吹き込むような部屋だった事。
馬鹿なことばかりするから・・・こんな目にあって・・・と思っていた。
娘は人生の中で始めてそういう家に住んだのだ。
ところが、意外に、悲壮感もなく、友人たちがなんやかや見繕って、
家電も揃っていた。
私は、何とか主人の承諾を得る思案を始め、其の傍ら、食べ物や何やかにや
心配で車で何度も届けた。
娘のおなかは日増しに大きくなる。
其のころの事は断片式にしか覚えていない。最初は、向こうのお母さんと同居していた
のだが、いつごろからか、おんぼろアパートの一階で二人は生活を
始めた。娘はいつのまに覚えたのか料理を作り、彼は働きにでた。
傍若無人に10代を過ごした二人の生活。覚えているのは、玄関を開けた土間に
冷蔵庫が置いてあり、隙間風がヒューヒューと吹き込むような部屋だった事。
馬鹿なことばかりするから・・・こんな目にあって・・・と思っていた。
娘は人生の中で始めてそういう家に住んだのだ。
ところが、意外に、悲壮感もなく、友人たちがなんやかや見繕って、
家電も揃っていた。
私は、何とか主人の承諾を得る思案を始め、其の傍ら、食べ物や何やかにや
心配で車で何度も届けた。
娘のおなかは日増しに大きくなる。